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高橋和巳と池田晶子

今では読む者も少なくなっているだろうが,高橋和巳は全共闘時代のカリスマだった。学生運動の残り火も消えかけていた時期に大学に入った私が彼を知っていたのは,高校時代の恩師が好きな作家と紹介され,ほぼ全ての著作を読んでいたからだ。特に彼の評論やエッセイに強い影響を受けた。いつか彼に関する評論を書こうと関係する書籍や雑誌を買い集めているが,未だ緒に就いていない。

初めて秋山駿という評論家を知ったのは,確か高橋和巳に関する批評文であった。高校時代の恩師の影響から高橋和巳という作家に心惹かれ,彼の著書や彼に関する評論や批評を手当たり次第に読み耽っていた頃だ。『高橋和巳作品集』の補巻として「埴谷雄高編 高橋和巳論」があり,その最初の評論が秋山駿の「高橋和巳論」であった。この編書には17人の作家や評論家の高橋和巳論が収録されているが,私が最も共感したのは奇しくも哲学者である梅原猛の書いたものであった。当時の私が梅原猛に傾倒していただけの理由ではない。高橋和巳追悼号として特集された雑誌に掲載された彼に関する小論も含め,やはり彼と身近に接してきた友人たち,特に大学時代からの旧友-たとえば小松左京-の書いた文章が高橋の核心を的確に表現していると感じるからである。
その中にあって,秋山駿の「高橋和巳論」は独特であった。高橋和巳について語りながら「自分」を語っているように思えた。その自分,つまり秋山駿という「自分」に興味がわいて,彼の著書を読み始めた。最初に手にした評論は『作家論』であった。次に出版されたばかりの『知れざる炎-評伝中原中也』を読んで,小林秀雄にはまってしまった。
だが,何度も中断しながら最後まで読み終えていないのが『無用の告発-存在のための考察』である。それは途中で立ち止まって考え込んでしまうからだ。また,実存哲学を志したのも秋山の影響が少しは関与しているかもしれない。
その後,秋山駿の個人ノートが出版されると知り,本屋に予約を入れた。日記なら買ってはいないし,読む気のしなかっただろう。思索ノートであるがゆえに興味がわいた。

あれから長い歳月が流れ,先日古書店で偶然に,その『地下室の手記』を見つけ,懐かしさで買い求めた。以前の本は古書店に売り払ってしまっていたからだ。堅く頑強な製本の黒表紙を開くと,あの頃が思い出された。彼を真似て「思索ノート」を作り,思いつくままにあれこれと書いていた。
秋山駿の独特の表現や言葉が断片的に書かれており,あまりの断章化された散文と修辞に彩られた語彙のため,思考が追いつかない。だが,それゆえに魅力を感じてしまう。埴谷雄高とも森有正とも異なるが,引き込まれてしまう魅惑さは同じだ。この得体の知れない羨望は何なのだろうか。

保健室に置いてあった池田晶子さんの『人生は愉快だ』を拝借して読んでいる。この世を若くして去った哲学者である彼女の本は今までに何冊か読んでいるが,論旨の展開がわかりやすくおもしろいという印象がある。本書は「死」をテーマに古今東西の思索者たちの思想を俎上に載せて考察している。彼女の本は,哲学史でも哲学概説でもなく,まさに哲学者たちを「俎上に載せて」自分の考えを述べていると喩えるのが適切と思う。ハイデガーやヴィトゲンシュタイン,西田幾多郎の項などは,彼らの「死」についての考察・解釈を要約しているのではなく,「死」について彼らがどのように,またなぜそのように考察しているかを推論している。その展開がスピーディで,実に小気味がよい。

彼女の早すぎる「死」を惜しむ。だが,巻末の著書一覧を見る限り,まるで予期したかのような多作に生き急ぎを感じる。時間に余裕ができたら読んでみたいと思う。

最近どこか焦っているような自分を感じるのは,人生の後半を迎えたからかもしれない。残された時間がそれほどにないと実感するのは,自分がしたいこととそれに要する時間とを考えるからかもしれない。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。