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『血塗られた慈悲,笞打つ帝国』(1)

多くの史料や書籍を読み深めていくとき,著者の分析や考察のレトリックに誤魔化されて本質を見失ってしまうことがある。このレトリックの罠にはまらないようにするためには自分の考えを構築させながら読み込んでいく必要がある。
論理の破綻が容易に見えるような文章,資料の曲解,歪曲した論法などは論外であるが,厳密な構成による論理に対しては注意深く検証しなければ,翻弄されてしまう。

自己主張の強い独断的な論法は自己矛盾が散見しており,参考にもならない。そのような文章ほど,自己正当化のために他者の主張や意見を否定ばかりして,しかも紋切り型のワンパターンな批判を繰り返すだけで,ただの「イチャモン」の域を出ない。

だが逆に,多くの資料を徹底的に分析し,多角的な視点と論理の一貫性により考察した「論文」や「論考」は読み応えがある。まるで推理小説を読み解くようなおもしろさがある。誰だったか忘れたが,難解な哲学書であっても推理小説のおもしろさがある,それは推敲に推敲を重ねて練り上げた文章だからだと言っていたが,まったく同感だ。
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偶然にネットで見つけて注文したのが,本書である。従来の部落史とは異なる視点から書かれている論考で,読んでみたいと思った。

本書は「論文」の体裁をとっているからだろうが,まず論証のための「引用」が非常に多い。外国人の「論文」は根拠を提示することが厳密さの証明であることから,とにかく参考文献・引用文献の原注が多い。本書も,これでもかというほど原注が細かい。しかし,本書の5分の1にもなる参考文献と原注は,それだけでも十分に参考になるし,考察のヒントをあたえてくれる。
ただし,「検証」という面では一貫性に疑問を感じる点もある。テーマの論証が多岐に渡っているからかもしれないが,引用資料の比較検証が不十分のままに論拠としている感じがする。例えば,被差別民と行刑役については,それだけで相当の文献があるはずだが,一部しか参考・引用としていなかったり,被差別民の生活や支配形態は地方によって異なる面を追究していなかったりする。
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『血塗られた慈悲,笞打つ帝国-江戸から明治へ,刑罰はいかに権力を変えたのか?』(Punishment and Power in the Making of Modern Japan )
ダニエル・V・ボツマン(Daniel V.Botsman)

本書は,刑罰と監獄について,江戸から明治まで,各時代の現実に即して丁寧に検討した歴史研究である。刑罰から社会秩序の構築を考察しようとする方法論などミシェル・フーコーの「監獄の誕生」からの影響は明らかであるが,それだけでない。江戸時代の社会秩序の維持に身分制度が巧妙に利用されている点を解明している。つまり,社会秩序の維持に被差別民の役割を不可欠なものとして位置づける一方で,自らは刑罰に直接手を下すことなく,むしろ「慈悲」により支配しようとする重層的な社会構造を構築してきた江戸幕府の意図を読み取っている点で興味深い。

武士が直接に手を下さず,なぜ被差別民にさせたのか。
それは,「刑罰を効果的に晒すのは確かに有益だが,名君という武士のイメージを守るためには,慈悲を生かした様々な戦略とのバランス」が重要だからである。残虐性と慈悲といった両面が徳川幕府の政治政策としてあり,名君がむごさを与えている印象を薄れさせるためには,被差別民の役目が重要だったのだ。刑罰に関わる作業や引き回しやさらし首の番人のような役は,被差別民が担っていた。そして,刑罰をゆるめる「慈悲」の沙汰は武士の権限であった。

治安維持の側面から被差別民の役割を考察することは重要であると思っていたので,本書を読みながら少し考えてみたいと思っている。
『日本近世行刑史稿』はぜひとも読んでみたいと思った。

日米修好通商条約の「治外法権」(領事裁判権)が,江戸時代の拷問・刑罰制度に対する欧米列強の恐怖による要求項目であったこと,それゆえ条約改正の絶対条件が日本の刑罰制度の改革であったこと,この歴史的背景と経緯を詳しくまとめているのが本書である。

日本の過酷な刑罰制度は,ペリー来航以前からヨーロッパに十分に(誇張されて)伝わっていた。日本を含む極東を旅した多くの西洋人が故国に書き送った報告書や旅行記に,戦国時代末期から江戸時代を通じての「過酷で残虐な刑罰」が紹介されていた。

1663年に出版されたフランソワ・カロンおよびヨースト・スホーテン著『日本,シャム王国誌』の英訳には,「彼らの刑罰は,火あぶり,焼殺,磔と逆磔,牛四頭を使った牛裂き,および油や湯での釜煎りである」と列挙されている。…他の文献には,ごく些細な窃盗でも死刑の対象になると記されているし,さらに「腹部を切り開く」ことによる「合法的自殺」という明らかに非キリスト教的な習慣がほぼ例外なく取り上げられている。

旅行記を読んだモンテスキューも『法の精神』で江戸時代の日本の刑罰を取り上げている。

さらに,幕末から明治初年に日本を訪問した多くの外国人は「攘夷」に遭遇し,日本の「血なまぐさい刑罰」を目撃することになる。「攘夷」を実行した日本人の処刑の場面を見た彼らは,その報告を欧米諸国に頻繁に届けた。

私も幕末期の写真集を数冊持っているが,清水清次の処刑図やさらし首などは残酷さを感じさせるに十分だ。
また,岡山藩の藩兵が神戸郊外で起こした外国人発砲事件では,責任者の切腹を欧米外交官の目の前で行っている。(神戸事件)

さらに,その数日後にはフランス水兵の一団に発砲する事件があり,土佐藩士20人が切腹を命じられている。(死亡したフランス水兵11名と同数が切腹後は,フランス外交官は処刑を中止させている)

欧米列強,中でもイギリスは,日本が平等な条約を結ぶに足りるだけの文明国であることを立証できない限り,現在の条約を改めるのに同意する気のないことが,日本側にわかってきたのだ。そうなると,問題になってくるのは刑罰と司法制度である。白人が磔になったり切腹を強要されたりする不安が残る限り,治外法権は絶対に撤廃できない。

本書で気になったのは,1章から4章までは江戸時代の刑罰制度に関連して被差別民の役割と存在理由を考察しているが,5章から7章の幕末から明治中期にかけて日本の刑罰制度の改革を考察している中で,被差別民がどのようになったかについて分析も言及もなされていないことだ。

拷問・刑罰(処刑)の実行役であった被差別民が,すべての責任を負わされて解雇されたと考えるのは短絡的である。拷問や処刑,(晒しの)見張り役,引き回し役を行う被差別民に外国人の嫌悪を集中させ,彼らを賤視の対象にすることで,政府は外国人の目をそらそうとしたと考えるのも早計と思う。それほど単純に,政府の思惑どおりに,外国人のみならず民衆までもが,それまでと異なった認識に早々となることができたとは思えない。
また,被差別民がそのまま警察官になったとも思えない。中には,番非人などが警察官になるケースもあっただろうが,ほとんどは下級武士が任命されている。

幕末から明治にかけての動乱期をもう一度詳しく分析・検証してみる必要がある。
大政奉還により江戸幕府の支配機構が崩壊した江戸で,各藩の大名が江戸屋敷を引き上げてそれぞれの領国にもどった後,江戸の町はどうなっただろうか。町人たちの生活はどうなっただろうか。そして,本書で治安維持の一端を担った被差別民はどうなっただろう。

私は,解放令の理由や背景などから考察すべきであると考えている。






部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。