見出し画像

文章は心を表す

いつしか文章を書くことが多くなって今に到っている。
依頼されて雑誌や本などに記事を書いたり、講演のレジュメや資料を書いたりしてきた。もちろん本務としての文章(学年通信や連絡文・通知文など)も書いてきた。そのうちにネット社会が到来し、友人に勧められるままにHPから始まり、blogへと移り、今はnoteに書いている。
しかし、文章の下手さは相変わらずであるが、それ以上に自戒しているのはその時の感情にまかせて他者を非難する愚かさである。

SNSの普及により誰もが簡単に意見や主張をネット上に公開できる利便性を手に入れたが、それ以上に「誹謗中傷・罵詈雑言」などの弊害が増えている。私もその被害に心を痛めた数年間があった。これについては<「誹謗中傷」の背景>(1)~(14)に書いているので、同じ思いをされている方は一読されたい。

文章を書く上で心に刻んでいることがある。20数年前の記事を再掲する。ネット社会だからこそ必要な姿勢だと思う。
…………………………………………………………………………………………………………
長年探していた林力先生の『「癩者」の息子として』(1988年 明石書店)を偶然にも入手することができた。林先生の著書は全部持っているが,この本だけは古書店を探してもWebsite「日本の古書店」等で探求書として登録しても見つけることはできなかった。数日前,ネットオークションに出品されているのを偶然に見つけ,すぐさま申し込み,手に入れることができた。

一読して,林先生の誠実さに圧倒され,言葉を失った。お会いする前から著書や講演を通して,林先生の人柄とその生き様に心惹かれていたが,直接に会ってお話しさせていただき,より尊敬の思いが強くなった。

その揺るぎない信念は一体どこから生まれてくるのだろうと思っていたが,その答えはこの本の中にあった。彼の「原点」がこの本に書かれていると確信した。

彼は赤裸々に自分を語り尽くそうとする。ハンセン病患者であった父,極貧であった生活,どれほど部落を差別していたか…なぜそこまで自分を曝け出して語るのかと思えるほど,彼は自分を語る。隠すことも誤魔化すこともせず,如何なる言い訳も理由付けもしない。まして社会や時代,周囲の人間たちのせいなどには決してしない。すべてを正直に語り,自らの内面と自らの歩いてきた人生に対して真摯に向き合おうとする。

他者の人間像を把握する場合,多角的・多面的な視点から論じる必要がある。特定の視点のみから一面的にその人間像を論じることは独断的でしかない。たとえば,主義・主張,知識・理論など,その人間の思考基盤や指向性のみから,彼の全体像や人間性まで断定することなどできるはずもない。まして見ず知らずの一面識もない人間について,わずかな見聞や著書,風評などから憶測して,彼の人間像に言及するなど不遜としか思えない。

同様に,論文に対してはその論文についてのみ論じるべきであり,著者の人間像にまで踏み込んで論評を並べるなど高慢とさえ思える。私はそのような文章を論文とは認めない。

自分の意に反する内容が書かれている場合,その論考に対する反論ではなく,書いた人間の人物像に対してあれこれと扱き下ろす文章などは,読んでいて不快感さえ感じる。

諄さのないすっきりとした文章には,論旨や論述に爽快感がある。小林秀雄の文章などは,たとえ辛辣な批評であっても,明晰かつ洗練されたrhetoricがあり,同じ語句や表現,引用句が繰り返し多用されることはほとんどない。文章に品格がある。名文と言われる所以がそこにはある。

文章はその人間の心を現すとも言う。たかが文章かもしれないが,誰かが読むかもしれないという前提があれば,独り善がりの文章は書くべきではないと,私は思っている。

ネット世界の拡がりにより,誰もが自分の文章を「公開」することが可能になった。しかも不特定多数に向けて一方的に何でもありの文章を発信できる。本や雑誌として出版する場合,編集者によって校閲されるが,ネットでは自己判断と自己責任のみで公開することができる。ネットモラルが問われているが,規制する法整備が不十分である現在,個人攻撃的な内容も含めて,あまりにも野放し状態である。その結果,どれだけ多くの人間が理不尽な人権侵害に心を痛めていることだろう。

林先生の文章にはイヤミとか皮肉とかいったものが一切ない。ひたすらに自分を見つめ他者を見つめ,社会を見つめながら,差別と向き合い,差別と闘い続ける。彼は,人間の内面にある予断と偏見に対する糺弾は厳しいが,その人間自身に対しては限りなくやさしい。

彼は,同和教育と出会うまでの自分の姿,まさしく差別者であった自分自身を常に省みながら部落問題と向き合い,同和教育・部落解放運動に邁進してきた。そして自らを変革できたように,すべての人間に差別からの変革を問い続けているのだ。決して自分の原点を忘れることなく,目を背けることなく,真摯に対峙している。だからこそ,彼の書く文章は人の心を打つのだ。

「ふるさとをかくすことを,父はけもののような鋭さで教えた」という部落問題に迫ろうとする時,わたしは,己がひたすらに隠しつづけてきたわたしの父を想う。「ねた子を起こすな」というのは,すくなくとも被差別部落自身の思想ではない。「胸張ってふるさとを名のらせたい」のだが,名のらせぬようにしたものはだれか。名のることで不利益にならぬという保障がありえたのか,ということこそ厳しく点検されなければならない。

「名のらせぬようにしたものはだれか」こそが,部落問題の根本命題である。林先生は,自らに父のことを語らせなかったものを問い続けることで,自らが部落を差別してきた背景を知ったのだ。

貧しさのなかで,わたしは部落を差別することを教えられた。赤貧のなかにある良心にとって,自分たちよりもみじめな人々の存在は,自らをなぐさめるには最も手近かな好材料であった。またのぞき視る「エッタ」ムラの現実はひどかった。まさに非人間的,悲惨という他になかった。だからわたしたちにとって,そこは「違うところ」「けがれたところ」「こわいところ」であり,けっして関わりをもったり,近づいてはならぬところであった。
…誰もかれもみんな無知であった。というより目をつぶらされていた。こうして道向こうは「違う」ところ,「特別」な地区であった。「特殊部落」ということばも両親から教えられたと記憶する。このことばは,長いことわたしをとりこにして離さない。明治政府が国民分断のために自らの手でつくりだし,公用語として国民のなかに定着させていったことや,国民の部落への予断と偏見の裏付けとして大きな役割をになってきたことばなどとは知るよしもなかった。
だから,わたしは小学校の頃からすでに部落からの学友を避けつづけるようになる。さわらぬ神にたたりなしである。彼らと交わりをもち,何かもつれだすと大挙して押しかけてきて,暴力の限りをつくすという思いこみは,わたしを把えて離さなかった。
当時の部落に対する社会認識,差別の連鎖が生まれる経緯,予断と偏見が固定観念となり人間の判断や価値観を曇らせていく背景など,この一文から考えさせられることは多い。その中で,私は「人間の弱さと脆さ」を痛感する。「下を見て暮らせ」と教えられたからではなく,そう思わなければ,あまりにも自分が惨めになってしまう,そう思うことで,辛うじて自分が生きている意味を実感する,哀しい優越感である。

形は違えども似たような感情をもって人を揶揄し愚弄する人間もいる。人権教育はこのような感情そのものを,差別を形成する要因として否定する。林先生が自らの半生を語る目的もここにある。

【恥でないことを恥とするとき、それは本当の恥となる。】(林力)

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。