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かこつけて、謹賀新年。

2日仕事始め。年末から元日まで実家に帰る。2キロほど太る。

私の世代でも年賀状のやり取りは少なくなったが、まだ親の世代にとっては大事な慣習のようで、けっこうな数が届いていた。

何の気なしに眺めてみると、たかだかはがき1枚でも個性の違いが表れており興味深い。

家族写真を載せたものから、表面にまでびっしり文字を綴るもの、かたや裏表すべて印刷のそっけないもの…などなど。なかでも、昨年一年で行ったのであろう数々の旅行地での自分の写真を送りつけてきた1枚は一際異彩を放っていた。しかも写真を小さく編集し何カットも載せている。何箇所も行っているというアピールも抜かりなし。もちろん全カットにその人の姿が写っている。「楽しかったです」「この景色は生で見ると最高ですよ」とか一言コメントまで添えてある。



ある種の狂気を感じた。年賀って何かね。


「この類の年賀状を作る人って、自己顕示欲が強いのではなくて、単に細かい作業が好きな努力家なのではないか」

「仮に旅行ではなくカブトムシが趣味ならば、ありとあらゆる種類のカブトムシ(幼虫~さなぎ~成虫)の写真が来るのではないか」

「努力家が高じて『自分写真年賀状化キット』を発明しており、ワンタッチでありとあらゆるテメエの写真が年賀状にできるのでもしかしたら手間じゃないのかもしれない。ということは見比べたら1枚1枚微妙に違う、みたいな粋な演出も施してあったりして…」

それはそれで別恐怖なのだが、いろんなケースを想定しないとこの事態がうまく咀嚼できない。お餅ばりに喉に詰まりそうである。



本日の大喜利7問勝負

Q「こいつ、運動会初めてかも。何をした?」(2017年10月5日・すっぴん!・日本一早い!大喜利コーナー より)

・綱引きの綱を物珍しそうに撮影していた。

・ニュースで「平和で公正な社会」についてスピーチをしていたのを見た。

・ハイヒールで来た。

・騎馬戦に向けてなぜか銃猟免許を取得していた。

・耳に赤鉛筆を挟み換金所を探していた。

・借り物競争の封筒を開け「何と書かれているのか教えてくれ?」とスワヒリ語で聞いてきた。

・玉入れの玉を持ち「これは食べれるのか?」とスワヒリ語で聞いてきた。

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