性差別と美少女表現_極論で考えてみる

 今回のnoteは、自分なりにただ考えてみただけの記事だ。
しかも極論に基づく推測が多分に含まれる。もし何か疑問や指摘があればぜひコメントをいただきたい。

 さて、昨日温泉むすめの騒動について初めてnoteを書いてみたのだが、SNS上の論争はおおまかに下記の3つの論調に分かれるだろう。

①スカートめくり、夜這いや飲酒といった、観光庁が後援するような人目に触れるコンテンツにおいて、問題のある表現は規制すべき。
②温泉むすめはコンテンツ全体として性差別、性的搾取である。
③温泉むすめの表現は問題ない、表現の自由の範囲内である。

と、だいたいこの辺だろう。実際①の中には「問題はあるけど、全体を批判する必要はない、上手く折り合い付けてほしい」というレベルの意見の幅はあるだろう。私もそのタイプだ。

 更に①②と③の人々が「温泉むすめ」それ自体から飛び越えて「性差別」「表現の自由」の話で議論しているような状況だ。
 で、性差別を無くそうとする人々から出てくるのが仁藤夢乃さんが主張するような下記の意見。

要は、温泉むすめをはじめとする現代日本の「美少女表現」的なコンテンツが現実の「性差別」「性犯罪」と繋がっているという意見だ。

これに対してのカウンターとして

上記のような、統計情報から関連性は見られない、「そういうデータあるんですか?」みたいな言葉をぶつけたい人は多いことだろう。
それに加えて「創作物に被害者はいない、現実の被害を重視すべきだ」みたいな意見もセットになりやすい。

確かに真っ当な意見かもしれないが、今回は敢えてそれを一旦置いておく。
今回はそもそも何故性差別を無くそうとする人たちはそこまで表現物に反対するのか、考えてみたい。

 ここで断りを。以後、「性差別」「性的搾取」「性的消費」「女性蔑視」といったこの辺の概念は全て「性差別」と統一して表記する。調べたけど言葉の意味が人によって違うというか幅がありすぎるので、上手く使い分けられないのだ。

1.美少女表現はなぜ「性差別」と言われるのか?

とにもかくにもそもそも性差別etc...って何なの? と調べていた中で、コトバンク内の「百科事典マイペディア」の「性差別」の項目が自分にしっくりきたので引用する。
https://kotobank.jp/word/%E6%80%A7%E5%B7%AE%E5%88%A5-154598

性別(セックス)を理由に人を差別すること,またそれを支える制度,思想。英語ではsexism。女性に対する偏見や男性中心的な考え方,行動,風潮など女性に対する差別をさすことが多い。たとえば女性に対して〈女性にふさわしい〉言動を強制したり,男性にとっての魅力だけを基準に女性の存在価値を決めたりといった男性中心的な女性観である。おそらく家父長制社会の成立と同時にはじまったと見られるが,差別として表面化したのは比較的新しく,フェミニズムが生まれて以来のことである。現在もなお,法,政治,職場,学校など,社会の中で最も公正であるべき機関の中にも性差別があり,女性が差別を受けても,当然であるかのようにみなす風潮が消えない。なぜ性差別がこれほど根強いのかという問題については,女性学によって研究が続けられている。なお,一定の期間アファーマティブ・アクションを適用し,女性に優先的に雇用機会などを与えている国もある。男性差別も現実性が皆無とは言えない問題である。

「セックス」じゃなくて「ジェンダー」と書いてほしい、という批判が来そうだが、私が書いたわけじゃないので許してほしい。

たとえば女性に対して〈女性にふさわしい〉言動を強制したり,男性にとっての魅力だけを基準に女性の存在価値を決めたりといった男性中心的な女性観である。

 この部分が「性差別」をはじめとする言葉を使う人々の中にある共通意識だと感じた。先に断っておくが、私は一切現代の日本に「性差別」がないと言う気はない。こういった考え方は今もいろいろな所に残っていると思っているし、改善がなされるべき事案はいくらでもあるだろう。

 そして、まずここが「美少女表現」への批判が集まるポイントの1つだと感じた。表現物に言動や存在価値というものを当てはめてみよう。
 表現物というのは、制作者側がキャラクターの言動やそのキャラクターの特徴(容姿、服装、特技や能力etc...)を自由に決めることができる。勿論「温泉や現地の文化に関係した要素を入れて」みたいな縛りが登場することもあるだろうが、制限があった方がむしろ作りやすいというタイプのクリエイターも多いだろう。そうして出来た美少女キャラクターが、「男性人気の高いキャラ」のような分類をアニメ界隈でされることもよくある話だ。そういった結果はグッズの売れ行き等に現れてくる。キャラ人気が高まったので出番を増やした、という話も聞いたことがある。制作側といっても作者だけでなく編集者やその他の影響も考えられるだろう。
 つまりは、創作物のキャラクターは制作者側が可能な限り「男性にとって魅力的な言動や設定」を詰め込むことが可能なのだ。

(こういうことを言うと「男性キャラもそうだろ」という意見が来そうだが、今回は敢えて無視する。話が進まないので。)

 ものすごい偏った言い方だが、表現物の世界では現実に存在しないような男性の欲望モリモリの美少女キャラクターを作り出すことが可能だ。
 そして、そういった意図がなかったとしてもある美少女表現を見た人がそのように認識することも可能だし、それも自由なのだ。それは個人の感想の範疇なのだから。

 つまり美少女表現をするクリエイターは、極論だが女性のキャラクターに現実ではまず不可能な「超性差別的な設定」を求めている「性差別過激派」と考えることもできてしまう。そんな性差別過激派の作ったコンテンツが公衆の面前に触れるようなところにあれば、それは表現の自由を越えて「性差別だ」と批判をしたくもなるのかもしれない。美少女表現は人によっては「性差別」を無限大に含んでいるように見えてしまうし、それが「アニメ・漫画」として制限なく広まってしまうことを警戒したくもなるだろう。しかもやろうと思えばそれを何個でもモノとして生み出すことも出来てしまう。温泉むすめみたいに122キャラも作ることだって可能なわけだ。

表現物は現実の限界を超えて「超性差別的な設定」を詰め込むことが可能であり、にも関わらず「アニメ・漫画」として平然と受け入れられている。

 こう考えると表現物がある種現実より批判されているように見える現状に納得がいった。

2.表現物の女性それ自体からは批判が返ってこない

 先に述べた「表現物の世界には被害者はいない」という論理、実は性差別を批判する側にも都合がいいのだ。
 表現物の女性それ自体から文句を言われることはない。VTuberはどうなんだと言われそうだが、完全な自己表現としてやっている方もおられるだろうが、キャラとしての設定や会社としての方針で魂を吹き込む人と完全にイコールとは言い切れない場合はあるだろう。見た目も設定も全部自分で作って自己責任なんてことはほとんど個人で活動している人に限られるだろう。

 そして批判すれば反対意見は多く返ってくるかもしれないが、その意見の多くはコンテンツのお客様(=男性)であったり、コンテンツを作っている男性だ。その人たちは性差別的なコンテンツを作っているor楽しんでいる性差別主義者であって、差別者が火に油を注いでいるのにすぎないのだ。
 何ならその人たちに「性差別だ」とレッテルを貼ることもあるのかもしれない。

 実際の例として、県警とVTuberのコラボの騒動の際、署名を行おうと立ち上がったのは当事者側を除けば男性ネット論客と別の地域の男性区議会議員が中心であり、署名ページの賛同者の欄にいた女性は区議会議員の一名のみ。そもそも女性議員が少ないからどうしようもない部分はあるが、もっと女性をもっと取り込まないと今後批判に対するカウンターはさらに厳しくなるだろう。結局現在も話し合いは無く、火に油で終わってしまっている状況だ。
 今回の温泉むすめの騒動においては、観光庁やスポンサーへの問い合わせは今回一定の実績を上げている。「内側にいる女性の仕事を奪っている」という批判はあるが、「男性オタク」の勢いが強すぎてその女性があまり声をあげていないように見えているので、その批判の説得力も薄まってしまう。   
(こう書くと声をあげていない女性への批判と思われそうだが、声を上げるかどうかは自由であるべきだ、そこを勘違いして女性に反対を促すようなことは控えるべき)

表現物そのものは本物の女性ではない故に、性差別の対象として批判が容易であり、その批判にカウンターをするのは結局差別側となる男性が主体となってしまう。

3.性犯罪の「暗数」

この章では性犯罪について言及する。まずは下記サイトからの引用だ。http://shiawasenamida.org/m05_02_02

2016年の強姦件数は989件、強制わいせつ件数は6,188件となっています。 ただ、これはあくまで警察に届け出た件数です。 法務省の調査では、性暴力に遭い、被害を届け出る女性は、わずか18.5%というデータがあります(法務総合研究所「第4回犯罪被害実態(暗数)調査」より)。 これに当てはめると、強かんは5,346件、強制わいせつは33,449件、合わせれば38,795件になります。1日あたりに換算すると、強かんは15件、強制わいせつは92件起きていることになります。

 これは2016年のデータではあるが、性犯罪は届け出のパーセンテージが非常に低く、被害届が受理されないというニュースが検索中に何個も飛び込んできた。
 中には5%だけだと言及するデータもあったが重要なのはとにかく性犯罪は届け出がされていない、届け出が難しいということだ。この原因を言い出すとキリがないのでここでは割愛するが、ぜひ皆さん調べてみてほしい。

 さて、引用した部分の計算では強かんと強制わいせつを素直に同じ比率で掛けて計算しているが、実際はどうだろうか。もしかすると強制わいせつの方はほとんど申告されているが強かんがほとんど申告されていないという場合も考えられる。こういった見えていない部分のことを「暗数」と呼ぶらしいが、この暗数の加害者が何に影響を受けているのかは捕まっていない以上調べようがないだろう。逆に言うと「いくらでも解釈の仕様がある」。
「暗数の部分で性犯罪が過激化している」「それは表現物の影響かもしれない」と解釈するのは自由だ。解釈するだけなら。

被害を届け出る女性は、わずか18.5%

「では残りの81.5%はどうなのか」この答えは誰にも確定できない。
これも推測だが、性差別や性犯罪を問題視している方はこの膨大な「暗数」をも含めて問題視しているように思う。「声をあげることができない女性」といったフレーズは良く耳にするだろう。
 表現規制に慎重な人々が提示する「相関関係が見られないデータ」は実際データとしては正しいのかもしれないが、8割近くの「暗数」については見えているデータと同様にそうだと判断することはできない。
ある種問題意識の範囲の違い、と言えるだろう。

性差別反対派は「データでは見えない」「声を上げられない」人々を想定している。

4.まとめ

1.表現物は現実の限界を超えて「超性差別的な設定」を詰め込むことが可能であり、にも関わらず「アニメ・漫画」として平然と受け入れられている。

2.表現物そのものは本物の女性ではない故に、性差別の対象として批判が容易であり、その批判にカウンターをするのは結局差別側となる男性が主体となってしまう。

3.性差別反対派は「データでは見えない」「声を上げられない」人々を想定している。

これらはあくまで私の推測、極論である。そのうえでまとめると、

美少女表現は現実の限界を超えた「超性差別的なコンテンツ」である可能性を含みながら「アニメ・漫画」として社会に広がっており、当事者からの反論がないため対男性の構図に持ち込めんでの批判が容易である。それがデータで見えてこないような声をあげられない性犯罪被害者と結び付けられて語られている。

といったところだ。

今回はそもそも何故性差別を無くそうとする人たちはそこまで表現物に反対するのか、考えてみたい。

というのが最初のテーマだったので、一応のゴールにはたどり着いた。
別にこの論理がおかしいと思うのも自由だし、私も書いておきながらなんだが「もし本当にこうだったら理解されにくいだろうなぁ」と思っている。

1.表現物は現実の限界を超えて「超性差別的な設定」を詰め込むことが可能であり、にも関わらず「アニメ・漫画」として平然と受け入れられている。

多分これが表現物に対する性差別反対派の核だと思う。ここに、
「データでは見えない」「声を上げられない」性犯罪被害
これが加わることで美少女表現への批判が生み出されるのだと思う。

そしてその批判の当事者の女性は空想の存在が故に、結局対抗するのは差別 する側の男性中心になってしまう。「データでは見えない」部分を見ようとしている人間にデータをぶつけても当然耳を貸すことはなく、批判を続けられるのだ。

 ここまで言語化した性差別表現反対派の方はさすがにいないだろうが、概ねこれに当てはめることで自分の中では理解できたつもりだ。
 そうでもないと私はお金をもらってでもあそこまでの批判はできないと思っている。

 さて、今回の記事は本当に極論だらけのチラシ裏レベルの内容なので、 どんどん指摘や意見をいただければと思う。

では、最後までお読みいただきありがとうございます。

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