どうせ、「みんなそうだよ」と言われるだろうけど。


思えば、人生の半分くらいは自身の話を意図的にできていない気がします。


最近、コミュニケーションについて考えたり調べたりしています。
コミュニケーションには「伝える側」と「聞く側」が存在しますよね。会話や情報伝達などの場面ではその2つが必要不可欠です。

そして思ったのです。
人生のほとんどを“聞き手”として過ごしてきた僕は、自身の話をしようとすると全く言葉が出てこない。



元より僕は、人の話を聞く役回りの人間でした。


小学の頃まで。
同級生からは相談や愚痴、大人からは人生においての学びを聞く役。その頃はみんなが僕を求めているのだと嬉しい一心で、いつ何時でも応えていました。

中学の頃。
誰も僕を受け止めてすらくれないと自覚し始め、小学の頃から心のどこかにあった(誰も僕のことなんて興味もないし分かってくれないんだ)といった気持ちが膨らみます。そのため聞き手に徹することで、自身が話をすることを遠ざけていました。

高校の頃。
今度は意図的に自分から人と関係性を持つことを諦めます。しばらくは、2人だけいた大切な友人らのところにお邪魔していました。しかし途中からは、教室でずっと本を読み自分からは挨拶以外しないような、極端な学校生活を送っていました。



それを経て以降、何か自身について聞かれたときに、何も言葉が出てこない人間が出来上がってしまいました。

最近、質問をされたとき痛感します。


「今何していたの?」「最近の出来事何かあった?」「何が好きなの?」「何に興味があるの?」「何に悩んでいるの?」「行きたいところはある?」「趣味とか特技はなに?」「あなたってどういう人なの?」

一番近くにいるはずの、自分自身のことが一番わからない。
みんなそうなのだろうけど。



今も、「伝える側」と「聞く側」が存在するはずのコミュニケーションについて調べていたはずなのに、ふと我にかえると「聞く側」についてのことばかりを目で追っていました。
正直、その役の方がみんな重要で知りたいんだろうとも思います。



それでも、たまに僕の話を聞いてくれる存在がいてくれたりします。
僕もたまに吐き出すことがありますが、いつも嬉しさと居心地の悪さを感じてしまいます。

向いていなんでしょうか。話したいのに、話せない。
自分自身と対話ができたらいいのにな。

聞き手役の自分は、こんな自分とどう話をしてくれるんだろう。



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