【フィン物語群】鶴の袋【和訳】

マナナンの鶴の袋(Crane-bag)

 アイルランド神話の神格であるマナナン・マクリール(Manannan Mac Lir)について調べていると、「Crane-bag(鶴の鞄、鶴の袋)」なるものがたびたび登場する。
 マナナンはドラえもんのごとく様々な魔法アイテム(武器、道具、乗り物)の所有者として描かれることが多いが、それら魔法ひみつ道具をおさめる魔法四次元ポケットめいたものが、この「鶴の袋」である。

 どの資料でも、おおむね
「マナナンの息子に恋した娘がいたが、恋敵によって鶴の姿に変えられてしまった。その鶴の死後、その皮を用いて作られたのがこの袋である。さまざまなマナナンの持ち物が入っており、それらは満ち潮の時に袋の中に現れ、引き潮になると姿を消す」
と説明される。

 中身のラインナップは書籍によって変わるが、だいたいは魔法の品や、王侯の持ち物といった宝物である。

 今回はこの鶴の袋について、和訳したものを掲載する。
誤訳ほかありましたらご一報ください


■出典はいずこ

 そもそも、この話はいったいどこから出てきたものだろうか?
 語り部による言い伝えは別として、紙に書かれた出典を見つけたいものである。

 というわけで探してきた。

 1904年の『IRISH TEXTS SOCIETY VOL VII』に収録されているEOIN MACNEILL著のものが、探した限り最古の印刷物のようである。
(※リンク先のものは、1948年の再版)

 これは「Duanaire Finn(ドゥアナレ・フィン)」あるいは『フィンの歌集』と呼ばれる詩群を刊行したもので、この中に鶴の袋について言及したものがある。

 本書のイントロダクションで、出典について触れられている。

「1.写本について
『Duanaire Finn』を含む写本は、現在ダブリンのフランシスコ会図書館(Franciscan Library in Dublin)にある。1897年に私がこの詩を書き写し始めたとき、オリジナルの装丁はほとんど擦り切れており、紙製のフォリオ(二つ折り本)である紙葉はゆるんでいた。最初の数ページの余白は擦り切れており、すべての紙が腐りかけている状態だった。その後、現在の管理者がこの本を丁寧にベラム(上質皮紙)に張り替え、背に(次の)タイトルを付けた。

SGEULTA.
DUANAIRE FINN.

また、数少ないほころびのある部分は透明紙が取り付けられ、写本全体がインターリーブ(間紙を閉じ込んで)されている。
文字はくっきりしている。一部のページには油絵のような汚れが見られるが、判読可能である」

IRISH TEXTS SOCIETY VOL VII
EOIN MACNEILL 1904
DUBLIN Published for The Irish Texts Society
by The Educational Company of Ireland Limited
89 Talbot Street
1948
p.xvii「INTRODUCTION」より

「III. Duanaire Finn.
 番号のないページには、明らかに後世の手によって付け加えられた見出し、" Clar dhunaire find anso sios " - "The following is the Poem-book of Fionn. "が付いている。同じページには索引があり、各詩の最初の行と詩が始まるページによって、68編の詩を参照している。索引はDuanaireの筆者によるものである」

同書p.xviii「INTRODUCTION」より

 つまり本書は、1897年頃から写本を基に転写したもののようである。
 写本のほうの執筆年代については、写本の74αページに筆記者Aodh O'Dochartaighの名と共に、1627年2月12日の記述があることが記されている。(本書xixページ)

 どうやらこれが、マナナンの鶴の袋に関する一次資料(の一つ)とみて良さそうである。

 ちなみに、EOIN MACNEILLの共著者Gerard Murphyによって1953年に「Duanaire Finn」の補遺が出版されているのだが、(『Duanaire Finn The book of the Lays of Fionn Part 3』)これによると『鶴の袋』は(使われている言語から推測するに)13世紀のものと考察されている。(p.20)

■和訳

 というわけで「鶴の袋」が登場する部分について英文訳を和訳したものがあるので、それを以下に記載したいと思う。
 一部どうにも日本語に訳しがたい部分があり、正確とは言えないが、とりあえず概要を把握することはできるだろう。

 本書冒頭にあった詩の概要も添える。

・・概要

VIII. The Crane-Bag, 21 118

 Dealbhaoth(神)の娘Aoifeは、嫉妬深いライバルluchraによって鶴に変えられてしまった。その鶴はマナナンの館で生き、死んだ。
 その皮は魔法の袋にされ、満潮のときだけ中身が見えるようになった。この詩は不完全なものであるが、マナナンに続いてこの宝物の持ち主の名前が記されている。
 鶴の袋は『Macgnimartha(マクグニマルタ)』にも出てくるが、特別な関心はない。

同書p.ixより

※Macgnimartha・・・フィンの少年時代を描いた物語

・・詩

 
 ※英訳からの重訳である点に注意。

 詩歌はOisinCaoilteの対話形式ではじまる。

 Ilbhreac:マナナンの息子。
 Aoife:Ilbhreacに恋した娘。のちに鶴の袋の材料となる鶴に変えられる。
 Iuchra:Aoifeを鶴に変えた恋敵。

 Oisin:フィンの息子。
 Caoilte:フィアナ戦士団の一人。
 Tréanmhórの子Cumhall:フィンの父。

VIII. The Crane-Bag.
8:鶴の袋

(Oisin)「武器を交換せし者Caoilteよ、そなたに問いたい。Tréanmhórの子Cumhallが持っていた、良くできた鶴の袋は誰の物だったのか?」

(Caoilte)「鶴は寛大なるマナナンのものであり──それは多くの美徳を持つ力ある宝物で──その皮は妖しくも素晴らしく──それが鶴の袋となったのだ」

(Oisin)「その鶴が何であったのか教えてくれ、多くの勲しをもつ我がCaoilteよ、あるいは何故その皮が宝物となったかを教えてくれ」

(Caoilte)「親愛なるDealbhaothの娘Aoife、多くの美しさを持つIlbhreacの恋人──彼女と、見目よき色のIuchraは、ともにその男に恋をしたのだ。

 怒るIuchraは、Aoifeを泳ぎに来るよう誘ったが、それは幸せな訪問ではなかった。彼女(Iuchra)は鶴の姿になった彼女(Aoife)を荒野で激しく追い立てたのだ。

 Aoifeは、Abhartachの美しき娘に問うた。『いつまでこの姿でいるのですか、貴女、美しき白き胸のIuchraよ?』

『わらわが定めし時はあなたにとって短くはないでしょう、鈍き眼差しのAoifeよ。そなたはマナナンの高貴なる館にて二百の白き年月を過ごすのです。

 そなたは常に館にいて、誰もが嘲笑うでしょう。どの土地にも訪れぬ鶴のようだと。そなたはどこにも行けぬのです。

 宝物の良き器はその皮より作られるでしょう──それは小さな出来事ではない。その名は──わらわは嘘をつかぬ──遠き時代に鶴の袋となるだろう』

 彼女が死んだ時、マナナンはその皮でこれを作った。実際にそれから、これには彼にとって大事な物が収まっていた。

 マナナンのシャツと彼のナイフ、Goibhneの帯、丸々。獰猛な男が持っていた鍛冶師のフック。が鶴の袋に入っていた宝物だ。

 スコットランド王のハサミは完全で、そしてLochlainnの王の兜、これらは語るべきものであり、そしてAsalの豚の骨。

 大鯨の背中の帯が形良き鶴の袋に入っていた。そなたに悪意なく言うが、それはかつて、この中に入っていたのだ。

 満ち潮の時、それらの宝物は中に見え、激しく潮が引く時には鶴の袋は順に空になるのだ

 さあ、高貴なるOisinよ、これがいかにして作られたか、わかっただろう。では今よりその来歴と出来事を語ろう。

 長い間、鶴の袋は英雄たる『長腕のルー』のものだったが、最期に王は『口達者なCearmaid』の子らによって殺害された。

 次に袋は彼らの物となり、三人は活躍したが、Mileの偉大なる子らによって倒された。

 マナナンは倦むことなく来たりて、再び鶴の袋を持ち去った。Conaireの時代が来るまで、彼はそれを誰にも見せなかった。

 麗しきConaireは平原のタラの側で眠りについた。狡猾で体格よき者が目覚めし時、鶴の鞄は彼の首にあるのが見いだされた。等々・・・」

同書p.118~120より

※OisinとCaoilteのどちらが喋っているか原文には書かれていないが、
わかりやすくするため「」の前に付した。

・要約

 要約すると

Oisin「私の祖父が持っていたという鶴の袋とはなんぞや」

Caoilte「マナナンの鶴の皮から作られた袋だ。その鶴は元々、マナナンの息子Ilbhreacの恋人Aoifeで、恋敵のIuchraによって鶴に変えられてしまったのだ」

(Iuchra「おまえはマナナンのもとで二百年を過ごすのよ!」)

Caoilte「鶴が死んだ後、マナナンはその皮で袋を作り、それに色んな宝物を入れたのだ。その袋はのちに、長腕のルー、それを殺した三兄弟のものになり、三人がミレー族に倒されると、Conaireの時代までマナナンが持ち去った。Conaireがタラ(※都市名)で眠りについて、目覚めるとその首に袋が
かかっていた・・・」

 といった感じになるか。

■解説(と覚え書き)

 OisinとCaoilteはフィン物語群(フィニアン・サイクル)の時代の人物だが、ここで主に語られるAoifeのエピソードは、神話物語群の時系列にあたるようである。

 恋敵が相手を水浴びに誘って鳥に変えてしまうというのは、継母が子どもたちを水浴びさせてるうちに白鳥にかえて何百年も彷徨わせた『リルの子らの最期』を彷彿とさせる展開である。
(リルはマナナンの父にあたるが、親子そろって似たような悲劇を目の当たりにしている・・・)

「Crane-bag」は、本書のゲール文字表記では「Corrbholg」となっている。(本書p.21) Corr(鶴)とbolg(袋)の合成語であろう。
 長らく「bag」を「鞄」と訳していたが、bolg(バッグ、袋)を踏まえれば「袋」と訳すほうが妥当かもしれない。(本記事では袋とした)

 Cearmaidの子らとは、『来寇の書』などに見られる、ルーを害したMac Cuill、Mac Cecht、Mac Greineの三兄弟のことだろう。彼らはトゥアハ・デ・ダナンの王となったが、最後の来寇民ミレー族と戦って敗北した。
(ここまでが神話物語群の範疇)

 麗しきConaire(Comely Conaire)についてだが、ゲール文字表記では「Conaire Cáomh」と記されている。(本書p.22)
 このことから、同じ上級王でも、Conaire Mórのほうではなく、Conaire Cóemのほうを指していると察せられる。
 https://en.wikipedia.org/wiki/Conaire_C%C3%B3em

 この詩の冒頭では、鶴の袋について「Tréanmhórの子Cumhallが持っていた」と語りつつ、最後の所有者変遷についてはConaireで終わってしまっている。
 概要部分で「この詩は不完全なものである」と書かれているが、おそらくこの来歴部分に欠落があるのではと思われる。

・鶴の袋の宝物リスト

 ・マナナンのシャツとナイフ
 ・Goibhneの帯(girdle)
 ・獰猛な男が持っていた鍛冶師のフック
 ・スコットランド王のハサミ
 ・Lochlainn王の兜
 ・Asalの豚の骨
 ・大鯨の背中の帯(A girdle of the great whale's back)

 一部、特に鯨の和訳と解釈がこれで正しいのか確信を持てない。(背中の帯というのは背筋のことだと思うのだが、あるいは骨盤など他の部位かもしれない)

 Goibhneは鍛冶の神ゴブニュのことと思われる。
 ここの英文は
「The shirt of Manannán and his knife, and Goibhne's girdle, altogether : a smith's hook from the fierce man : were treasures that the Crane-bag held.」
 であり、素直に読むならGoibhneの帯と鍛冶師のフックは別物のようなのだが、文法その他でよくわからない部分もあり自信がない。ゲール文字のほうを読めば英訳の意図などがわかるかもしれない。

 Lochlainnはフォモール族の本拠地とされる地名。

 このラインナップの中で特に注目すべきは「Asalの豚の骨」である。

 これは『トゥレンの子らの最期』でルーが父の死の代償としてトゥレンの三兄弟に要求する品々の一つ、「黄金柱の国の王Easal(Asal)の七匹の豚」のことと思われる。「毎晩屠っても翌朝には蘇り、一度食せば病や不調にならなくなる」とされる。
 しかし、その骨とはなんぞや? と思う人もいるだろう。

 『トゥレンの子らの最期』には古いバージョンがあり、『来寇の書』にある概要では、賠償品のラインナップに近世版との相違点がいくつかある。
 そのうち複数頭の豚については以下のように記されている。
(なお、この概要版ではAsalは槍の持ち主の名であり、豚の持ち主はEssachとなっている)

「4
 Essachの六匹の豚。
 それらは毎夜屠られ、もしその骨を折ることも齧ることもなく保てば、毎日生き返った」

Lebor gabála Érenn : The book of the taking of Ireland (Volume IV)
by Macalister, Robert Alexander Stewart
Dublin : Published for the Irish texts Society by the Educational Company of Ireland
p,137

 「そしてEssachの六匹の豚は、
  切り刻まれたとしても、
  全て生きて蘇る、
  骨さえ残っていれば」

Lebor gabála Érenn : The book of the taking of Ireland (Volume IV)
by Macalister, Robert Alexander Stewart
Dublin : Published for the Irish texts Society by the Educational Company of Ireland
p,287

 このように、これらの豚は「骨さえ残っていれば」翌日には蘇り、また屠って食すことができる、というのである。
(まるで北欧神話のトール神の戦車をひく山羊のようである)

『トゥレンの子らの最期』の一次資料の一つO'Curry版には、この「骨」にまつわる言及は(自分の見落としがない限り)見当たらない。

『トゥレン~』は現存するゲール文字写本が十七世紀以降のものしかないのだが、この『鶴の袋』についての詩は前述のように1627年に書かれており、ゲール文字写本としては『トゥレン~』よりもわずかに古い。

 つまり、この「Asalの豚」についての言及は私が確認できた限り現存最古のものであり、またO'Curry版では欠落していた「骨」という設定がまだ生き残っている記述とみて良いかもしれない。
 これ以上は非専門家の自分には断言しかねるが、この点は非常に興味深く、重要なものなのではと思う次第である。

■おわり

 以上、鶴の袋の出典とその和訳(注:重訳)でした。

 元々は『トゥレンの子らの最期』に関連してマナナンまわりを調べていた折「この鶴の鞄の言及をよく目にするけど出典はどこだ?」と思い、別途調べたものになります。
 完全に横道にそれてはいたのですが、結果として『トゥレン~』に関連する記述が出典元に記述されているという発見もありました。
(Asalの豚がマナナンの持ち物になっているという記述を見つけて、それにちゃんとした出典があるのか確かめるという側面もあった)

 noteをはじめたのを機に、これまで和訳したものを一度まとめておこうと思い、今回はこの「鶴の袋」の記事を書きました。
 訳や考察につたないところがあると思いますが、なにかありましたらご一報ください。それでは。

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