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踏ん張る力はココで育みました~高校時代~

1.なにも考えていなかった高校時代

しょっぱなの見出しがコレってかなり恥ずかしいのですが、高校生の頃の私は、本当に何も考えていないでした人間でした。

社会のことはエライ誰かが考えてくれているだろうから自分が考える必要はないと本気で信じていたし、社会情勢や政治事よりも、部活ヤだな~とか、どうやったら授業中先生にバレないように寝られるかとか、今日の夕飯は何だろうとか、自分や身近なことを短期目線でしか物事を考えていませんでした。

同時に、深く考えずに『なんか良さそう』という軽い気持ちで何事も始める性格だったのですが、この『何も考えない性格』は時として大失敗を生むことになるのです。

結論から書くと、私は深く考えもせずに高校で運動部に入ったのですが、この選択は、私の高校生活の記憶を喪失させるほど衝撃の連続でした。
そんなわけで、今回は高校時代について書かせていただきます。


2.理不尽と耐える力はココで育まれた

私の通った学校は、創設者が吉田松陰をこよなく愛してやまない方だったのですが、吉田松陰と言えば、『武士道!!!』の塊じゃないですか。
そんな武士道魂に感化された創設者は、母校に『文武両道』を強いており、生徒は全員なんかしらの部活に入ることを強制していたのです(そして、一度入部するとなぜか辞められなかった・・・)。

この部活が曲者で、私は何の気なしに運動部に入ってしまったのですが、これが地獄の始まりなわけで。
休みは年末年始と文化祭の日のみという過酷さで、とにかく、練習・合宿・トレーニングに励む日々。
『いやぁ、ちょっと運動を経験してみたくって』気分で入部した私は、ついていくのがやっとで、学校に勉強をしに行っているのか部活をしに行っているのかわからないくらいでした(いや、部活をしに行っていました、確実に)。

オマケに、なぜか筋トレ大好きの先輩に気に入られた為、『部活終わったらジムに行こうよ』と毎日のように誘われ、連行されていました(これはこれで楽しかったのですが、本当にきつかったです)。
そんなわけで、朝は6時前に家を出て帰宅は21時過ぎという、過酷なスケジュールをこなしていました。

また、学校の授業は『学力別クラス』だったため、ホームルームが終わったらそれぞれ自分の授業クラスに移動するという不思議な学校でした。
そのため、『クラスメイトとキャッキャウフフの楽しい思い出』は1ミクロンもありません(悔しい!)。

軽い気持ちで決めた運動部への入部が、こんなにも高校生活の全てを捧げることになるなんて。
以降、何事も結論を出す前には、ありとあらゆる可能性を考え熟考するようになったのは、言うまでもありません・・・と書きたいところですが、考えても『とりあえずやってみたい』気質は変わることなく、深く考える力は育まれたのですが、無謀な行動と後から後悔は今でも継続しております。


3.ヘンな拘りがないから適応できた⁉

そんな感じで、深く考えずに何事も決めてしまう私でしたが、なぜ3年間逃げ出すこともせずに踏ん張れたかというと、『良い人に恵まれたから』の一言に尽きると思います。

私自身は部活も高校からの初心者で、スポーツ推薦組とは格が違かったのですが、先輩も同学年の仲間もとにかく仲が良かったのです。
そのため、理不尽な練習量にゼエゼエ言いながらも、『部活を辞めよう』とは思わなかったから不思議です。

また、私自身が運動部に対して『こうあるべき』的なイメージがなかったため、やることなすこと全て『ふ~ん、こんなものなんだ』という感じで、なんでも受け入れていたことが大きかったかもしれません。

先入観を持たず、始めたら流されながら進む。
また、どうせやるなら楽しみたいという欲張り精神が、3年間部活を続ける原動力だったと今は振り返りながら感じると同時に、あの時の理不尽ともいえる経験に耐えたという自負があるから、その後のさまざまな出来事を『イージーモード』に感じさせてくれるのではないかと考えています。


4.顧問は生徒をよく見てる

そんな部活中心の高校生活でしたが、3年生にもなると、さすがに進路を考えるわけで。
時代は、バブル崩壊後の1995年。
社会は決して良いとは言えない状況だったのですが、私はこの期に及んで、やはり『何も考えていない人間』でした。
そして、そんな私を見かねてか、顧問から呼び出しがかかりました。

彼は開口一番『これからは、女性も一生働く時代になる。それを踏まえての進路だが、看護師と介護士どっちがいい?』と聞いてきました。
恥ずかしい話、今までの人生で『介護』なるものに触れたことのなかった私は、介護士のイメージが湧かず、顧問に質問しました。

『介護士って、なんですか?』

すると、一瞬、グッと詰まった顧問は、こう返答しました。

『介護士っていうのはな・・・人として当たり前のことをしてお金をもらえる仕事だよ』

看護師は注射のイメージしかない私は、『他人様に針を刺すような仕事よりは、人として当たり前のことをしてお金をもらえる仕事に就いた方が良いよね~』と、これまた深く考えず『私、介護士になります!』と返答し、あっけなく進路は決まりました。

卒業時、顧問に『ところで、なんで私に看護師か介護士を勧めたんですか?』と聞いたら、『お前ななんでも嫌な顔をせず動くから、看護師か介護士をやれると思ったんだよ』と言われました。

『いや・・・先生の指導は、嫌な顔をする余裕すらくれなかったからだよ』としっかりツッコミつつ、顧問はしっかりと部員をみているんだなぁと感じた私でした。

そんな私も人の親となった今、高校3年生の長男には『将来のことをしっかり考えて進路を決めるのよ!!!』とエラそうに言っちゃったりしています。
そして、これを打ちこみながら、『あぁ、このサイト、子ども達だけには読まれたくないなぁ』と考えている私でした。

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