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40歳で、ダンスを始める。

‥といっても、駅前の社交ダンス教室に通い始めるわけではない。

きょう話題にするのは TikTok だ。

私は知っている。この一文で、40歳代の同志たちの関心が、大きく離れたことを。TikTokへの興味など、とうに尽きているだろう。でもお願いだ、もう少しだけ付き合ってほしい。

■コミュニケーションはショート動画化していく

私たちが40年生きてきた間、長らくメディアの中心は、地上波のテレビだった。ユーザー数と資本が最も多いメディアは、ずっとテレビであり続けた。私たちの目に触れる動画のほとんどはテレビであり、流行はたいていテレビから生まれた。

だが2006年ごろから、YouTube、Twitter、ヤフーニュース、Netflix、様々なインターネットメディアが、テレビが元来持っていた優位性を少しずつ削るようにして、その一強の牙城を攻め始めた。そして、2020年、コロナ禍による変化の境目を越えたときには、メディアの中心は、完全にYouTubeになっていた。これまで、テレビの担い手だった才能ある表現者たちも、YouTubeにも手を伸ばし、のびのびと本来の魅力を出すようになった。

一方、YouTubeネイティブ世代の表現者は、インプットもアウトプットも、自然とYouTubeに向かう。そして今後この変化は加速していく。変化はよりシンプルで手軽な媒体へと歩を進めるだろう。つまり、媒体はあらゆるものが動画化していき、同時にショート化していく。ショート動画のプラットフォームである、TikTok、YouTubeショート、TwitterやInstagramのストーリーが、メディアの中心になっていく。これは既にそうなっている‥とも言えるし、これからもっと強まる。

<ショート動画で際立つ才能の例>

歌ネタ芸人「メンバー」

■もはやダンスは、ただの挨拶

TikTokにおけるコンテンツの代表は、音楽であり、もっといえばダンスだ。なんといっても媒体と相性が良い。学生も、芸能人も、みんな踊る。今後のショート動画の隆盛に合わせて、ダンスを見る機会はどんどん増えるだろう。私たちはこれを「かつては踊らなかった芸能人や文化人まで、最近は踊ってるな」という形で、徐々に変化を認識する。

この状況下で、ダンスは高度なショーではなく、もっと身近な個人間のコミュニケーション方法になってきているのを感じる。江戸の町の井戸端会議や、猿山における毛づくろいと同じ部類だ。お互いが、同じ集団に所属している一体感を確認しあうための儀式になっている。昔の会社員が、飲み会の二次会で行っていたカラオケと同じ役割と言っていい。

TikTokを愛する世代の年齢が、時と共に持ち上がって、彼らが社会に参加し始める。2012年に中学校でダンスが体育の授業項目に加わったが、それを受けた第一世代は、もう26歳だ。もう大人として社会の一員にいる。

それに合わせ、ダンスはどんどん使用機会の多い共通言語になっていく。いうなれば、もはやダンスは、ただの挨拶になる。好きとか苦手と言える段階は過ぎた。住んでいる国の挨拶ぐらいは覚えた方がいい。私はそう予感した。

私は、人生でダンスを熱心に練習していた時期は一度もない。大学生のころ、校舎の窓ガラスを鏡代わりにしてダンスの練習をする友人を、遠巻きから見ていた。そうだ、私は、踊らず生きてきた。

一方、小学生の娘は、音楽に合わせて、ショート動画を同級生と踊る習慣を、すでに自然に身につけている。これは千載一遇のチャンスだ。娘と遊ぶ時間というテイにして、一緒に踊り始めよう。娘が仮に1歳ならTikTokは見ていなかっただろうし、仮に17歳なら父親とは一緒に踊らなかっただろう。タイミングに恵まれた。今しかない。踊るなら、今だ。

■PUFFY「愛のしるし」

この曲名は、きっとご存じだろう。90年代後半を代表する名曲だ。

当時、彼女たちがテレビCMで軽やかに歌い上げたこの曲は、24年の月日を経て、2022年に、TikTok内で再ブレイクした。TikTok上でオリジナルの振り付けが加えられ、またたく間に、この曲は10億回以上も再生され、TikTok流行語大賞2022特別賞を受賞した。

「愛のしるし」ダンス

改めて思う。楽曲を作った、奥田民生さん、草野正宗さん、PUFFYの偉大さを。時代をゆうゆうと飛び越える、晴れやかなムード。踊る人から自然と笑みがこぼれる。こういうものをマスターピースと呼ぶのだろう。

■必要なのは「踊ってもいいよ、という気持ち」だけ

Tiktokでは、皆が挨拶のように踊る。このとき、踊るさまが不格好かどうかは問題ではない。むしろ、私のようなおじさんは、気取って、かっこつけている方が、かっこ悪いだろう。

気取って踊らないよりも、こっちの方が素敵だ

2023年2月現在で、トレンドを示すためのダンス曲として最適なのは、本当は「Waifu on Fire」なのだが、知らないハイテンポの楽曲をゼロから覚えるのは敷居が高い。なにより流行曲は移ろい去ってしまう。来月にはまた別の曲が流行っているかもしれない。それは困る。振り付けを1個覚えたら、長持ちするものであってほしい。(2016年 星野源さんの楽曲「恋ダンス」は長持ちした方だったが、あれも、7年経って、さすがに見かけなくなった)

その点「愛のしるし」は復刻だし、きっと賞味期限が長いはずだ。

この先、暮らすなかで「ショート動画の撮影のために、踊るべきシチュエーション」が、私の元にある日、唐突にやってくるのだろう。そのとき、備えがなく手ぶらなのか、それとも懐に「愛のしるし」を忍ばせていられるか。両者には大きな違いがある。

「愛のしるし」は曲を新たに覚えなくていい。すでに口ずさめる。あとは振り付けも前もって覚える必要はない。いざ踊る日に、その場で覚えれば十分だし、なにより、おじさんは、かっこよく踊る必要などないのだ。むしろ、恥ずかしげにぎこちなく踊っているぐらいの方が愛される。

となれば、踊るか、踊らないか、それを分け隔てている物理的障壁や技能的障壁は何もない。そこに残っているのは、精神的な障壁だけだ。私に必要なのは「踊ってもいいよ、という気持ち」だけだ。そのために、前もって私が準備できることがあるとしたら、TikTokで次々と「愛のしるし」のダンス動画を見ておくことぐらいだろう。見慣れて、それを自然に受け入れられる準備をする。それだけでいい。

■橋を渡る若者たち

とある中年男性が立っている。彼は、飲み会に参加しようとしない新入社員を「ムラ社会のコミュニケーション作法に染まらない異端児」と決めつけ、眉をひそめている。だが、もしかしたら、対岸にいる若者たちから見ると「踊らない中年男性」は、それと同じに見えているかもしれない。

そんななか、中年男性が、対岸へかけられた橋を見る。そうすると、どうだ。橋の向こうから、「愛のしるし」の楽曲冒頭、楽しげなドラムの音に合わせ、こちらへ行進してくる一団がいる。パレードは、こちらの岸に向かって、リズミカルに進む。行進しながら、晴れやかな笑顔を浮かべている。1998年の曲を聴きながら踊っている。

どうだろう、ずいぶん、歩み寄ってきてくれているとは思わないか?無下にするのは忍びないだろう、あんな笑顔で近づいてきているのに。あと、純粋に楽しそうだ。あれなら分かりあえるかもしれない。中年男性はパレードに加わることにした。

■踊るなら、今だ。

とはいえ私は、SNSに顔を晒してダンス動画を投稿することは、まだしないだろう。(それはまたダンスとは別の話だ)誰かと一緒に、ダンスのショート動画を撮影し、その場で見たら、ローカルに保存して終わりで良い。これは挨拶なのだから、どこにも発信しなくていい。かつてのカラオケだって、その場限りだったはずだ。

またTikTokアプリを、いつか地政学的な文脈で毛嫌いしたくなるかもしれない。その場合は、米国製アプリである、YouTubeショートでも代替になるだろう。(THE SUPER FRUITも「嫌なことは嫌と言ってokay」と歌っていたし、許してくれるはずだ)

私は今日から「踊ってもいいよ」という気持ちで過ごすことにする。たった15秒間。さあ、踊るなら、今だ。

<参考文献>
TikTokにおける「愛のしるし」の再ブレイクの経緯
https://www.thefirsttimes.jp/column/0000197347/

TikTok流行語大賞
https://newsroom.tiktok.com/ja-jp/tiktok-buzzword-award-2022-results

Waifu On Fire
https://www.tiktok.com/@atsuhiko_nakata/video/7198083038616571138

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