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インターナショナルな正義の味方は出現するのか?
その国の中では「絶対にやっちゃいけない」とされていることでも、他の国とのことになると「やらないほうがいいけどしょうがないからやっちゃえ」になることがよくあります。
たとえば殺人です。たいていの国では人を殺すのはよくないこととされていますが、戦争になると他の国の人を殺すように命じられます。侵略戦争をしかけられたらそれに対して自国を守るために戦う権利があるのは当然のことですが、それならやくざの方が自分のシマを荒らされたときにそこに乗り込んできた相手を殺してもよさそうなものですがそれが認められることはほとんどありません。
それから平等もそうです。たとえば、日本の選挙においては国民のひとりひとりが投票する権利を持っています。都市部に住んでいる人も田舎に住んでいる人もひとり1票に変わりはありません。いわゆる「一票の格差」は発生しますが、それでもその格差は5倍程度が最大であり、それでも違憲論争が持ち上げられて是正に向けての動きは継続しています。少なくとも日本において、お金持ちか貧乏かとか、知能指数が高いか低いか、とか健康か病気かとかで選挙権に比重がかけられることは(今のところ)ありません。しかしながら事が国と国との間の話になると、人口の多少が考慮されることはほとんどありません。日本の人口は約1.2億人ですが14億人の国や1,000万人の国も同じ一国です。国連の加盟国数は193らしいですが、これだけ人口が違うとそこで行われる多数決が平等であるとはとても思えません。ヨーロッパで年間5万人が死んでしまうような戦争が起こると年間500万人が死んでいるという飢餓問題はそっちのけになってしまいます。
昔ある芸人さんが「どこか知らない場所で苦しんでいる会ったこともない他人よりも自分ちの猫が風邪を引いた方が心配なのはあたりまえだろう!」と言っていましたがまさにそういうことで、残念ながら「正義が行われるべきだ」と考えるのは自分の関心領域に限定されてしまっているというのが現状のようです。
平和や平等は大切なことです。今の日本は相対的に見て(別の場所、別の時代と比べて)とても恵まれた環境にあると思います。だからこそ関心領域をちょっと広げてみることはできるはずで、ひょっとしたらそれが世界正義のきっかけになるかもしれません。ぼくはその可能性に賭けます。
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