感情のポジショニング (⚠️『インサイド・ヘッド1・2』ネタバレ有) 8月20日(火)日記

ピクサーはすごいな。
自分の感情を俯瞰して見るということを、子どもにも分かるエンターテイメントに落とし込んでしまった。
それが『インサイド・ヘッド』シリーズのすごいところだと思う。

劇場で隣に座っていた小学生の男の子2人が、映画中ずっとスクリーンを指差しながら熱く議論を交わしていた。
「上映中はお静かに」なのかもしれないけど、あの2人の見方はとても正しいと思う。
内容は聞き取れなかったけど、様子を見るに「あれはきっとこういうことじゃないか」みたいなことを延々と話しているようだった。
「応援上映」みたいな感じで「議論上映」をしてほしいくらい、彼らは白熱していたし、なんなら私も混ぜてほしかった。

『インサイド・ヘッド』を見ると、感情や性格についての捉え方がガラッと変わってしまうところが面白いのだけど、私が一番感銘を受けたのは「感情はチームだ」というところだ。

私たちは、喜び・悲しみ・恐怖・怒り・嫌悪など、感情を切り分けて考えてしまう。
もちろん別々のものなのだが、喜びさえあればいい、悲しみはなければない方がいい。という単純なものではない。
むしろ感情同士、お互いができないことを補完し合っている、という考え方なのだ。
本来感情そのものに感情はないが、この作品の感情たちにはある(ややこしっ)。それぞれが「ライリー(主人公)」を幸せにしたい、という正義感を持っているからこそぶつかり合う。

その感情たちの関係性を、まるで人間同士のように描いているところがすごい。
シリーズの1作目では、感情たちのリーダーであるヨロコビは、表向きみんなに優しいフリをしているが、自分と真逆の行動をとるカナシミを明らかに邪魔だと思って排除しようとしていた。
でも、カナシミがビンボンを立ち直らせたのを見て、彼女の長所に気づき、ここぞという場面で彼女を起用する。
まるで本当の仕事場みたいだ(美談すぎるけど)。

または、ムカムカがわざとイカリを怒らせて、頭から出た火を使って強化ガラスに穴を開けて、ヨロコビとカナシミを助け出すシーンも面白い。
ムカムカの嫌味なところと、イカリの突発的なエネルギーが、うまく活かされたシーンだ。

こう見ると、全ての感情には、その主(人間)を守ろうとする本能が備わっていて、決して敵ではないことが分かる。
ついつい、「くよくよするのは良くない」とか「こんなことで怒る自分はダメなのではないか」と思ってしまうが、全て防衛本能であり、必要なものなのだ。

ただ、偏りすぎるのがよくない、という話だ。
シリーズの1でも2でも、一部の偏った感情が、脳内を支配してしまうことで、ライリーが良くない方向に向かってしまう。
大切なのはバランスで、それを調整するのが、リーダーであるヨロコビの役目だった。

ここで面白いのが、人によって感情のリーダーが違うこと。
例えばライリーのお母さんは「カナシミ」、お父さんは「怒り」が司令部の真ん中にいる。
それに連なって、他の感情たちの配置も微妙に違っていた。
ということは、感情のバランスを調整するのは「ヨロコビ」に限らない、というメッセージなのかもしれない。

ちなみに、ライリーの感情たちは立っているのに、大人たちの感情は座っていた。
これは、大人の方が安定しているという意味だろうか。

ここでふと、私の脳内司令部のポジショニングはどうなっているのか気になった。
最新作に出てきた感情たちも含めて、考えてみた。

<リーダー>
 ①ヨロコビ
<前衛>
 ②イイナー
 ③ダリィ
 ④ムカムカ
<中衛>
 ⑤シンパイ
 ⑥ビビリ
<後衛>
 ⑦カナシミ
 ⑧怒り
 ⑨ハズカシ

リーダーは「ヨロコビ」。
大体のことを面白いか面白くないかで決めているから、赤ちゃんの頃から根本は変わっていなさそう。

そして前衛は、自分の原動力とストッパーになっている感情たち。
すぐ人の作ったものとか見ると「イイナー」が反応して、なんで私には思いつかなかったんだろうって思って、私もやりたい!ってなる。
一方で、すぐ怠けたい欲が出てくるのは「ダリィ」のせい。でもそのおかげで、自分の体調を管理できている面もある。
そして「ムカムカ」のおかげで、なんでこんなダサい作品や考え方が蔓延してるんだろう、私ならどうやって回避するだろうか、と考えるタネが生まれている。

中衛の「シンパイ」は、自分のやりたいことを叶えるために必要なこと、邪魔なものを精査してくれる。
でもそのおかげでいつまで経ってもリサーチが終わらない時がある。
「ビビリ」は、ホラーが苦手なのと、いざ上司に何か企画などを相談する時、相手の意見を鵜呑みにして結局無難な意見に落ち着いてしまうことがよくある。人に嫌われたくなくてビビってる節がある。

後衛は、あまり出番を与えてやれてなくて、動きがかなり鈍化している。
「カナシミ」や「イカリ」は、出て来るのが遅くて、例えば対人関係で何か悲しいこと、憤ることがあっても先に「シンパイ」や「ビビリ」が、「きっとあの人にもこういう事情があったに違いない」と余計なことを考えて、憶測で結論を自分のせいにしてしまうことがよくある。
本当はさっさと泣いたり、怒ったりした方が気持ちは楽になったんだろうな、と後から気づく。
そして「ハズカシ」が一番奥にいて、自分の行動が恥ずかしいかどうか考えずに走り回って、全部終わってから思い出して赤面したりする。

と、自分の感情をメタ視点で眺めてみると、色々と合点がいった。
後衛の感情たちをもっと活躍させてやらないと、バランスが良くない気がする。

シリーズ最新作でもう一つ印象的だったのが、「ヨロコビは今まで、よく間違ってきた」というセリフだ。
最初の方に司令部で「カナシミ」に、後半に記憶の棚のところで「イカリ」にと、2回も言われていた。
この言葉がディズニー作品から出てくるのが面白い。
勝手な偏見かもしれないけど、ディズニーってポジティブシンキングの権化みたいなとこないですか?
最近の作品はそうでもないのかもしれないけど、ここまでハッキリと「ヨロコビはよく間違う」というような、ポジティブシンキングをハッキリと否定するようなセリフってあったんだろうか。

そう考えると、成長の過程でリーダーが「ヨロコビ」以外にシフトしていく理由もなんとなく想像できる。
赤ちゃんの頃は、人間には「快(ヨロコビ)」「不快(カナシミ)」しか感情がないから、一番古参の「ヨロコビ」がリーダーになるのは頷ける。
でも、『インサイド・ヘッド』の世界では、感情にも感情があり、性格があるので、人によっては「カナシミ」が一番冷静に物事を判断できる性格だった、というパターンもありえる。
または、「イカリ」に舵を取らせてみたら、会社で出世しやすくなった、みたいなこともあるかもしれない。
しかし会社ではよくても、家族の前で高圧的な態度を取るのは得策ではないので、家では「ヨロコビ」にバトンタッチする、という人もいるかもしれない。

こうして人の個性はさらに分かれていくのかと考えると、今後の『インサイド・ヘッド』も無限に広がりそうでめちゃくちゃ楽しみだ。

今日のおすすめ🌿
シリーズ1作目のために発売された本。
各性格のことが説明されていて、映画の副読本としてちょっと面白い。

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