「居る」ために「居る」6月19日(水)日記

7:07
今日は5:30にすっきり目が覚めた。
夜トイレ行かなかったのと、昨日プチ二日酔いと雨で爆睡したのが良かったのかしら。
とにかくめちゃくちゃ清々しい朝。企画書日和ですな。

ふと、サービスのファンがSNSでつぶやきそうなことから企画を考えてみるのはどうかと思いつく。
「このサービスのこういうとこと、こういうとこが最高」と言ってほしいな、というところから逆算してみる。

11:10
電車の中。
企画書を書き上げてチームに送った。
これからもっと情報収集せなやけど、とりあえず叩き台。
今回のは、「ほかほかおにぎりクラブ」をヒントに考えたものなので、完全なる趣味も仕事に繋がるんだなぁと嬉しくなった。
むしろ最近は、何の役に立つかもわからない完全なる趣味からの方が発想が広がることを身に染みて感じる。
とりあえず続けてみようと思って始めた日記も、無限に見てしまうにじさんじのGTAも、何かしら思考の種になっておもしろい。

これは見てない人にはほとんど伝わらない話なんだけど、にじさんじのGTAは本当に見ていて飽きない。
GTA(グランドセフトオート)というゲームの世界に、にじさんじ(Vtuberのグループ)のメンバー60人しかいない街をつくって、各々好きな職業について自由に遊ぶ10日間。
警官やギャングや医者などが主な職業で、他にも飲食店を営んだりニートのままふらついてる人もいる。
にじさんじファンとしては、普段絡みのない人同士が、ゲームの中で自然に暮らしながら交流しているのがたまらなく愛おしい。
また、ゲームがもっと面白くなるように、麻薬密売人がギャングに犯罪を勧めたり、車のメンテナンス業者が街の経済状況に合わせて値段設定をしたりするのが、「生態系つくってんな〜」と蟻塚を見ているような感覚になっていい。
そしてその状況を見た神視点の運営が、より円滑にゲームを楽しめるように毎日ゲームバランスを調整するのも、このゲームならではの面白さだ。
各個人のストーリーとしてのゲームはもちろん、コミュニティを運営していくこと自体の面白さも体験できるのがこの企画の良いところだなと思う。

帰りの電車で、東畑開人さんの『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』を読む。

最近の自分のテーマが「何もしないことの意味」なので、流行りの"チル""リラックス""ご自愛"みたいなおしゃれな捉え方とは別の、"ケア"という視点から「何もしない」について眺めてみたかった。
本の中では、デイケア施設に心理士として就職した東畑さんが、ただ何もしないでぼーっとその場に「居る」ことの辛さについて書かれている。
実はそれが立派なケアになるのだけれど、若き日の東畑さんは、心理士として働いているからには、何かをしなければ、という焦りにかられてしまう。そこで、統合失調症の女性に対して、その人の内面を掘り下げながら社会復帰を目指すカウンセリングを行う。
要するに、「居る」に耐えきれず「する」をしてしまった。
女性は自分の辛い体験を話すことで一見自分と向き合えたようにすっきりして見えるのだけど、しばらく続けたある日、デイケアに来なくなってしまった。
実は女性もその場にただ「居る」のが不安で仕方なく、早く退院しようと施設内で料理を手伝ったり、グループワークのリーダーを務めたり、東畑さんにカウンセリングをお願いしたりと、「する」をたくさんしていた。
これが彼女を疲弊させてしまったらしい。
これって精神病の患者さんに限らず、普通の人にも当てはまる人がいるんじゃないかと思った。
自分のストレスや、うまく行かないことに対して、何か自分で解決策を講じなければという焦りにかられ、何か「する」をしてしまう。
でも、大体そういう時ってすでに心身が疲れているのだから、それ以上何かを「する」のは得策じゃない気がする。
そして東畑さんはついに「居る」の極意に到達する。

僕らは誰かにずっぽり頼っているとき、依存しているときには、「本当の自己」でいられて、それができなくなると「偽りの自己」をつくり出す。
だから「いる」がつらくなると、「する」を始める。
逆に言うならば、「いる」ためには、その場に慣れ、そこにいる人たちに安心して、身を委ねられないといけない。

東畑開人『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』


「本当の自己」とは、赤ちゃんが完全にお母さんに身を預けられている状態のような、ぼーっとしていて、無防備な自分のこと。
「偽りの自己」とは、お母さんがお世話に失敗して、子どもが身を委ねられないときに、お母さんの機嫌をうかがったり、お母さんを喜ばせようとすること。
つまり、環境に身を預けられるかどうかが、安心して「居る」ことができるかどうかにかかっている。
デイケアには、環境に身を委ねることが困難な人が集まって、「居る」ために「居る」場所なのだという。
私たちも、キャンプや温泉に行く理由はここにあるのかもしれない。
ストレスフルで居心地の悪い環境から逃避して、「居る」をするために環境を変えたい、という本能的な欲求があるのかもしれない。
これを家でできるようにするのが、マインドフルネスやヨガなのだろうか。
それでもまだハードルが高い気がする(やりにいってる)感じがするので、日常生活の延長でうまく「居る」をデザインできないものか。

今日のおすすめ🌿
お経とヒューマンビートボックスをループステーションで輪廻させて奏でる赤坂陽月さん。無になりたいときにとてもいい。

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