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どういう時に自信が育まれるのか


自信って、いろんな種類があると思っていて

わたしはずっと
“誰かに誇れることがある”
“わたしが一番だと感じられる”

ことが自信だと思っていた。


でも、これまでの人生を振り返ってきて
何が一番、自分に対していいな!って思えるかって


何かを成し遂げた時や、クラスで一位を取った時じゃ
なかったのかもしれない。


もちろんその成果は嬉しいけど
それは、その結果が自分に肯定をくれるんじゃなくて


もっと身近な、
自分が頑張れたかどうか。だったんだと思う



もっといえば、
最近、私が、
「あ、前に進めてるな。」

って感じるのはいつも


マンションの廊下に落ちていたゴミをそっとゴミ箱にいれた時や

電車に転がっていた誰かが置いてったペットボトルを
危ないからと捨てた時


雨の日に、満員電車で私の傘が当たってキレてるお姉さんに、自分から”ごめんなさい”と言えた時


好きな人に、自分から勇気を出して電話をかけた時



そんな、時だ。



そういうことをすると
自分の中で、よっしゃ! みたいなのがあって
その日から自分のことを、ちょっと好きになる。


そんな小さな好きの積み重ねで
自信って保たれていくんじゃないかな


いつも自信満々って訳にはいかないけど
それは減ったり増えたり
外の世界の色んな変化によって
自分の内側も変わるけど。


今思うと

あの時の小さな自分のしてきたことが
自分への信頼になっている。


それが、徳を積むってことと似てるんかな。


誰かが見てるからそれをやるんじゃなくて
神様が見てる。誰も見てなくても、誰かが喜ぶことをする。



でも、これはまじで
私は大谷翔平選手の真似で、マンションの廊下に落ちてるチラシみたいなのを
見つけたら配置してあるゴミ箱に入れるようにしたんだけど、

最初、めっちゃ恥ずかしくて


拾う瞬間とか見られたらやだなとか
偽善って思われたらやだなとか
もごもごしてたんだけど

とりあえず続けてみたら
いつの間にかなんとも思わなくなって。


いいことしてる自分。っていう感覚さえも
もはやないんだけど


自分が邪魔だから避けたのもあるけど

でも、心はあったかい。


いいことをする。って
小っ恥ずかしいよね


なんか、

おばあちゃんに席を譲ったり

困ってる人に声をかけたり

私は人に声をかけたり誘ったりするのが
めちゃくちゃ苦手っていうか、恥ずかしいから


いいことって分かってても
こっちが勇気のいることだったりするんだけど


でもその勇気を出したりすると
世界って変わる。


誰かのためだけじゃなく
自分のために勇気を出して行動することって
(断ったり、休みを取ったりするのもそう)


これは戦いなんだ。って

自分との戦いで、そして訓練なんだって思う。


苦手苦手、無理無理!

って思ってたけど

これは訓練が必要みたいだ。
そして、いつか慣れる。


そういう行動を積み重ねることでしか
自信ってつかないのかも。


そして、自分の殻を破くことにもつながるのかも。



そう思った日でした





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