つれづれ!『光る君へ』20回
中関白家推しを削ってくるなあ。しばらくはまだ、我慢!!
がんばれ、俺。
さて。20話ですね。衝撃のまひろ&ききょうのコントコーナー…
あの二条邸は例の事件の時、庶民の皆さんが見物に来て十重二十重だったらしいですから、まひろききょうコンビ並みに偽装しなくても、入れたよね…(今だと野次馬が家の外に十重二十重、となっていてもそこまでは恐ろしくないと思いますが、定子や高階貴子とっては本気で「やばいのがきた!!」という感じだったと思います。あ、ドラマの中では庶民感覚を持っている紫式部だってそうですよ。貴族は庶民とは関わらないもの。ましてや帝の女御であれば、検非違使がズカズカ入ってきて顔出しさせるなんてとんでもないというか、あってはならない話でした。
というか、そうさせた伊周…ばーかばーか
伊周の小物感、やばかったですね。これがイケメンで詩歌にすぐれ、あれほどきゃあきゃあ言われた(といわれています)伊周とは。悲しい。チャラかったなあ、伊周。
あんなに皇子をうめ~~~~~~~!!!とか
いっちゃだめよ。
長徳の変のあの射かけ事件ですが、花山天皇は「大げさにしないで」って言っていたんですよね。伊周の従者が花山天皇に従っていた稚児の首を上げてますけれど。花山天皇はつくづく忯子系の顔が好きなんだなあ。
そういえば、斉信はしにかけの忯子に「出世!!出世!!」言ってましたね。こっちもなかなかクズクズしい。
この事件は当人同士は誤解しちゃった!テヘペロでもまあまあ済んだのに、(済んだかどうかはともかくとして)斉信は即、即道長に言いつけに行きます。そう、一番大事にしたかったのは「出世したい!!」斉信なのでした。そして、ほんとうにこの時、斉信は出世して、念願であった参議の仲間入りを果たすのでした。(ひどい)
というわけで、中関白家をチクった斉信を定子付きの女房たちは許すわけありません。そして、定子サロンで斉信(イケメン)と道長を推してた少納言は裏切り者扱いをされるのでした。
そんな姿を『枕草子』ではどんなふうに描いているのでしょう。
「故殿の御服のころ」の段では、4月初めから7月の七夕にかけてのお話になりますが、このお話の間に斉信は宰相に出世をしています。実際に斉信が参議に就任したのは上記のとおり長徳2年なのですが、このお話を長徳2年とするのはさすがに無理。どんなお話かというと、斉信と何人かの貴族が定子の元をおとずれあれこれお喋りしていました。明け方、さて帰るかな、となった時、斉信も連れも見事な詩や歌を披露したのですが、その元歌が七夕の歌であったので、清少納言がそれに気づいて「ずいぶん早い七夕ですね!」とからかったんですね。(こいつ、よく知ってるな!と感心するふたり)そして7月。また定子の元に遊び来たふたりに、清少納言は問いかけました「明日の朝は…?」と。すると斉信がすぐに「人間の4月の歌を詠むよw」と答えた。という定子サロンの機知にとんだやりとり、という場面なのですが、ここで斉信は4月と7月の間に昇進しています。ところが、実際の7月、定子は伊周の事件とか、自身の落飾騒ぎとか、二条院焼かれる、とか…いろいろありすぎてそんな軽口叩いているばあいじゃなかったわけで、ということは清少納言は一年間違えた???となるわけです。
でも、『光る君へ』でえがかれたとおり、この年とそれより前の年を間違えるわけないですよね。普通に。だって、斉信は中関白家を完膚なきまで叩きのめした裏切り者なのですから。
この段はまだ続きます。そののち一条天皇がいる場で、清少納言は「斉信は歌も詩も素晴らしいから、(蔵人頭から)出世させないでこのままいてくれたらいいのに!」と言います。すると一条天皇は大笑いして「少納言がいうならしょうがない、このままにしよう!」と言うのでした。でも出世して寂しいものだ、と続きます。
長徳の変後、清少納言に話がある、と呼び出した斉信ですが、清少納言は決して二人で会おうとしませんでした。定子の妹で宮中にいた御匣殿の部屋で面会をします。清少納言は斉信と親しく、定子の前でいつも道長を推していたし、定子も道長が来ると「少納言の推しの道長」と言ってからかっていたんですね。(道長は中宮大夫であった)だからこそよりいっそう「清少納言が裏切り者」と陰口がたたかれて、定子の元にいられなくなったのでした。
あ、そうそう。ドラマの中では詮子が仮病…っていうか中関白家を呪詛したとおとしめていましたが、高階家のものが呪詛した、とほんとに疑われて流罪にふたりともなっています。けど、そっちでもいいがかり、というかでっち上げであった、と当時から言われていたんだろうな、となっていますね。というのもそれにしてはすぐ許されたので、これは…という話ですね。
道隆が高階家のものをじゃんじゃん出世させるので、貴族たちから嫌がられていたのはほんとで、高階家は道隆んちと比べたらもう、それはそれは中流貴族で、血筋で出世が決まっていた当時、そんなことされたらほんとうに困る、という状態だったのでしょう。
ついでだから、位の感じで官職を奪われて流されています。(少しかわいそうでもある)
結局詮子が一番お父さんに似てる、っていうね。
そして、倫子、怖い人…
もうすぐまひろのこともバレバレにばれちゃいそうだな!!とおもいました 。
そうそう。
まひろ、文書偽造しちゃダメだって。漢詩は父為時に書かせろや。為時、漢詩書けるって。
ていうか、紫式部日記に数字のイチも書けないふりしてるんだぜ!って書いていたじゃないか。 当時、筆跡鑑定とかめちゃくちゃみんなできますよ!
清少納言は得意だったようですが、基本的に顔を見ずにやりとりするんだから、字によって人柄を推察するくらい感嘆なわけで…
為時、越前守おめでとう!!ではまた。
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