見出し画像

『平家物語』のかっこよさを語りたい

『平家物語』って、すごくカッコいいんですよ…!!ということを勝手に主張しまくりたいと思います。よろしくおねがいします。では、『平家物語』がいかにいい!!かどうぞお付き合いください。

1,声に出して読みたい日本語…No1(厨二病的にも)

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す
奢れるもの久しからず ただ春の夜の夢の如し
猛きものついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ…」
小学校、中学校で覚えたよ!!という方も多いでしょう。

『平家物語』冒頭です。
あれ?まだ覚えてるかな?という方ー?!
大丈夫、声に出して読み出せば
あら不思議、最後まで思い出せちゃう!

画像1

さて、『平家物語』。
保元平治の乱で台頭してきた武士の一族、平家と源家の栄枯盛衰のものがたりです。
日本初の軍記物語であり、琵琶法師の語りで全国津々浦々に伝わりました。

というのが国語便覧に載ってる話です。

2.『平家物語』は語り文学なのでしょうか

琵琶法師というのは昔はそこそこの人数で活動していました。江戸幕府の庇護の元で「座」(組合)を組んできちんとした組織として伝承がされていました。実際のところハンディキャップがあるひとをいかに自立させるのか、ということが大きな課題で、そのために琵琶法師だとか、按摩さんだとかは目の見えない方(弱視の方)への仕事として提供されていました。

明治時代にその「座」(組合みたいなものですね)は解体され、その伝承がなされなくなりました。
昭和期(戦後)の調査では「琵琶法師」は3人しか残っておらず現在まで生き残っている方はたった一人。しかもお弟子さんもいない、という状態。
東大寺開眼の時からあったこの平曲文化は、今では研究者が研究するもの、となりました。ときどき音大の研究発表などでやることがあるらしいので、ぜひ一度見てみたいものですねー!

画像2

まあ、その歌や語りは長い年月で少しずつ形を変えるのが世の常でもありますし、その形は今、能になっているものも多くありますから、今残っているものは大切に伝承すべく、たくさん見たり聞いたりしたいものですね。と、ここまでお話すると、「語り文学」でここまで残ってきたのかあ、と思われるかと思いますが、語る系(琵琶法師)のほかに読み物系もありますよ。

どっちが先とも言えないくらい同時に発達したと今は言われていて、(昔は琵琶法師の平曲を聞き書きした、とされていました)
なんと、大英博物館には天草版といわれるローマ字で書かれた『平家物語』が残っていますよ。16世紀に印刷されました。

この『平家物語』は、なんと世界に一冊しかのこされていません!!すごい。

画像3

ということで、しばらくは平家物語にお付き合いください。


3.ざっくり!『平家物語』

学校で習った『平家物語』の内容は覚えていますか?
中学校で『敦盛の最後』もしかしたら『那須与一』くらいは習ったのではないでしょうか。ええと、ええと!!そーだったかな?
そんなあなたに『平家物語』をざっくり解説しまーす!

画像4

知ってる人は端折りっぷりに眉をひそめてご覧ください!

鎌倉時代に成立し、軍記物語として多大な影響を与えた『平家物語』。時は平安時代末期。
前半、片方の主人公は平清盛です。伊勢平氏と言われる家の出で、なかなかのビンボー武士でした。
もう一方の主人公は清和源氏の一門です。最初は戦友だった源義朝。平治の乱で敵になり、敗れた義朝は命を失い、義朝の子頼朝は伊豆に流刑。弟義経は寺へ預けられます。

平清盛は保元平治の乱を通じて、御白河天皇の信頼を得てどんどん出世して、とうとう太政大臣までなりました。
劣等感の塊、清盛は権力とコネを使い、平氏一門の人間と仲良し貴族をどんどん登用し、オトモダチ政権を持ちました。
一族には出来る子もいるけど、そうじゃないのもいるわけで、そこで出てきたのがあの名言、「平氏にあらずんば人にあらず」ウキウキするくらいのバカ息子!

そんな栄華を極めていても、世の中は乱れ、清盛母の一存で助けてあげた頼朝もなんだか東国をまとめ上げ、その上御白河法皇の息子以仁王が平氏追討の令旨を出してきました。

いざ、決戦!
ところがその頃すでに平氏の皆さんはすっかり貴族になってしまい、東国武士には全く敵わない。(←この辺りが敦盛。)
そんな中頼みの清盛も死んでしまう。

源氏は弟、義経の鬼神の如きの戦いで、平氏ばかりでなく、源氏の有力武士もバッタバッタと薙ぎ払い、どんどん国内を平定していきます。
都落ちした平氏一門の皆さんは、いろいろありながらも義経に追い詰められて、壇ノ浦でまだ4歳の安徳天皇に三種の神器を抱えさせ、入水。

最後は平家を滅亡させた義経自身に頼朝から追手がかかり、平泉で亡くなります。

そして、彼らの供養をしながら質素に暮らす建礼門院(清盛の娘で安徳天皇の母)に舅でもある後白河法皇がお忍びで尋ね、涙涙の和解をする…。

そう、これは全編通して「祇園精舎の鐘の声〜ひとえに風の前の塵に同じ」
あの冒頭なんです。
同時の仏教観、仏教美学を表している作品です。

最近、ジュニア文庫とかも出てるから、読んでみてね!! 

以上、思ったより長くなってすみません。
ざっくり解説でしたー!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?