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秋の句会に参加したつぶやきと連歌の小話。

先日句会に参加いたしまして、そのレポートです。

句会っていうのは
みんなが集まって俳句をひねる会ですね。
今は俳句を詠む人とか川柳とかやるひとは多いと思うのだけど、もともとは連歌からです。
和歌って上の句と下の句がありますよね。上の句は575。下の句は77。
在原業平の有名な歌でいうと、
「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川」これが上の句。
「からくれないに みずくくるとは」 これが下の句なわけです。
これを連中(その場にいるメンバー)で分担して詠んでいくのが連歌です。

最初は二人で上の句、下の句、と担当して詠んでいたものが、どんどん人を増やして575→77→575→77・・・とずーっとつなげていくようになりました。平安時代の終わりくらいのお話です。
鎌倉時代から室町時代にかけては庶民から寺社、武士、貴族すべての階層で大流行します。連歌は上の句を詠んで次の人がいい句を出せないと盛り上がらないし、こういうゲームはだんだんルール的なものも増えたりしますね。(あるある)

こんなお話があります。
後冷泉帝の皇后が帰省をした。めったにない帰省だから貴族たちは集まって管弦の会を開いた。船を仕立てて池で漕ぎ、秋の紅葉も美しく、またとない美しい風景だった。池のほとりの普賢堂で修法をしていた僧侶に当時有名な歌読みがいたので、発句(最初の575)をお願いした。僧はそんなこともあろうかと準備をしていた句を披露した。
「もみじ葉のこがれてみゆるみふねかな」
これに合う句を!!とあまたいる貴族たちが頭をひねるが出てこない。そのうち、船をこぐのもやめ、句をひねる。しかし出てこずとうとう日が暮れてしまった…
ここで見ると句をつけるために、必死な貴族たち。もう、音も出さず歌うこともなく、次の句を考える異様な真剣さです。

だいたい10人で連歌していて、自分のところでネタが完全に枯渇してたら死にそうな気分になるじゃないですか。
昔の人だってきっとそう。
というわけで、困った時にスムーズに会を進める連歌師なんていうプロも出てきます。
いくさの前に武士たちが集まって連歌をやることもありました。
その連歌の記録は奉納され現在に伝わっているものもありますね。
そういう時に上のように「だれもなんもでない」ってことがあったらまさに縁起悪すぎるので、そういう時にも連歌師は活躍しました。
全員で連歌を詠むことによって結束も固まるわけです。(同じ釜の飯を食う効果?)

連歌はこのくらいにして、今回は俳句の話。
その後、江戸時代になってから、最初の575を発句、というのですが、それだけを出し合う会、っていうのが出てきます。
左右に分かれて対戦したり、俳句の宗匠による講評をもらったりすることになって句会、というのが始まりました。(長い)

私が今回参加したのは互選句会です。
テーマは紅葉。
一人三句ずつ出して、それを主宰の方が名前をわからないようにして掲示。
参加者はそれぞれ特選1句、秀選2句を選びました。

句会に参加するのはこれが二回目なんですけれど、ほかの参加者の句を見て、こういう視点があるのか!と驚いたり、感心することがいっぱいだったので、いつか連歌の会をすることを目標にがんばろう!(なにを?)

私の今回提出した句はこの三つでした。
じつはここに書いておかないと、どっか行ってわすれちゃうので、前回は月がテーマだったんですけど、もう覚えていないし、探す気もない…ってことでちゃんとここに残しておこうっと。

木の葉ちる音に秋か冬か知る

秋の香の訪れを知る金木犀

空の下紅葉のベッドに飛び込む子

情緒が足りないのはご愛敬。ですよね?!
恋の歌とかそのうちよみたい


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