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つれづれ!『光る君へ』第13回

どうも。こんにちは。一週間遅れの感想、『光る君へ』第13回「進むべき道」の感想です。よろしくお願いします!

中関白家の日常が描かれましたね。
推しの多い中関白家。自滅男と界隈で言われる伊周も、三浦翔平さんが演じるとイケメンお調子者感が出てなかなかよろしい。
明るくていつも笑いが絶えない中関白家。定子が伊周の恋文(下書き)を破ってしまいますが、人の恋文、みんな普通に見ますので、別に定子にデリカシーがないわけではありません。
例えば伊周がどっかの姫に恋文を贈るとしましょう。
伊周が自分で持っていくはずがありませんので、近侍の誰かに渡します→それが下人の誰かにわたって→相手の家の衛侍にわたり→下女→担当女房→姫の側仕えの女房→姫、くらいの経路をたどることも珍しくなく、その全員が中身を見ている場合もあるわけですね。。。こわいね~
近侍の誰かっていうのは『源氏物語』でいうなら惟光(源氏の乳兄弟)ですね。惟光は源氏の通っている(通いたいと調査している)姫がいる家に自分も懇ろになった女房がだいたいいるので、上記のステップのいくつかは乗り越えられちゃいますね。
でも、ぜったい惟光は源氏の文の中身見てるぞ。

中関白家の陽気な日常が書かれれば書かれるほど、今後が気の毒でならない…。見るたびに道隆さまがご酒を召し上がっていらっしゃるので、ほんと、酒飲みすぎだからやめなさい!!と画面越しに注意してしまいますよね!

それと対比するように描かれる道兼邸。道兼の妻はお母さんの妹だった気がするのですが、それにしても娘かわいそう。でも、すげえ呪われた家っぽい道兼の息子と紫式部の娘が一時期結婚したりするので、人生はわからないものです。
道長とまひろが「妾でもいい」「妻にしてくれる?」のやりとりがありましたが、この場合、紫式部個人の地位(というか彰子の女房で道長の覚えもめでたい=後ろ盾あり)と道兼の落ちぶれ具合(子どもがえらくなって完璧に権力を持つまで死んではいけないのだ。なぜならその地位は完璧にがっつりすぐさま奪われるからね)がちょうど釣り合ったといえるのでしょう。紫式部の娘は大弐の三位と呼ばれてやっぱり彰子様に仕える女房になりますが、その後、道兼の息子(兼隆)と離婚しますけど。

さて、自力で就職活動をするまひろ。
えーっと普通、貴族の家をピンポンして「仕事ありませんか?」なんてしません。(ってことは誰でもわかるか)
基本紹介です。たとえどんな下女でも紹介じゃなければ入れられないですよね。だって、呪いがここまで浸透している社会ですからな。
明子女王だって呪っていたではないか。
あの呪詛っぷりはヤバかった。アレがバレたら一族郎党配流の危機ではないか。道長も無事ではいられないでしょう。
明子女王は別にばれてもよござんす!って感じでしたね。
紫式部父、藤原為時はこのあと越前守になりますけれど、ドラマの現在地では無職ですね。無職とはいえ、先祖代々の荘園収入があると思うので、まあ多少は実入りがあるはず。(まひろの畑仕事はおそらく創作でしょう。さすがに)ドラマではどう描かれるのかわかりませんが、この時、為時は官職を得るために漢詩を制作して除目の時に提出します。伝手をたどって、一条天皇の女房が読み上げたそうです。その詩に感激したそうです。ちょうど宋の国からの商人がやってきており、言葉が理解できるものが必要だったとか。
ほんとは別の場所の国司になる予定だったが、詩のすばらしさに一条天皇が泣き、じゃあ、という道長の鶴の一声で交代になったのだそう。
越前は交易の地ですから、ものすごく実入りがよかったんですよね。(為時にその才能はなさそうですが)だから、もともと越前と決まっていた人はショックのあまり病気になってしまってとうとう命を落としたとか…かわいそうに。
とにかく、こんなふうに伝手をたどって、知り合いを尋ねて、紹介に紹介を重ねての転職活動。
なのに倫子の家に呼ばれたときは嘘をつくまひろ。その辺の、なんていうかちょっと自意識過剰っぽいとことか、みえっぱりなとことか、すごく紫式部しぐさだな、と思うよね。
漢詩の下りのごまかし方はどうなんですかね。そろそろ気づかれそうですが。けれどそこは嫡妻の余裕でうまくコントロールするのかも。
あ、忘れないように言っておくと、倫子様のお部屋に伏籠がありましたね!!香炉まではうつってなくて残念でした。

うまくして欲しいなあ、倫子と道長は仲良し夫婦だからねえ。ドラマ内では二人の妻に等しく冷たく等しく優しいと。
夕霧かよ!!とツッコミ多数だろうと思います。そういえば夕霧も子だくさんだしな。

さて、貴族のみなさんだって庶民に目がいかないと!と道長が言っていましたが、実際道長は庶民の生活が目に入っていたかというと、それは全然入っていなかったと思いますよ。
道隆はどうだったか。もちろん入っていません。あえていえば租庸調の原資である、位の認識っていうか、そもそもその認識だって実務官さんが持っているくらいだったでしょう。
紫式部だってそう。
だって、紫式部、自分が越前に行くとき、かごを担いでくれる人足のみなさんにものすごい上から目線で「山を登って辛がっているが、人生なんてそんなものだと思いなさい」と歌っておられますからね。
見えていたらそんなこと言わんでしょう。

定子様の入内で一条天皇の最大に幸せな十年くらいが始まりました。このまま年末までいってもいいのよ…
定子ネタといえば詮子様。一条天皇の即位と同時に詮子ももちろん出世します。帝の母ですからね。7歳で即位したものだから、最初はお母さんががっつり補佐をしていたのですが、それはずうううううううっと続きます。幼いころはもちろん元服してもどっかに出かける際は一緒の車に乗っていく。詮子の前にそんな例はなかったようなので、どうにもこうにも過保護っていうか依存体質が垣間見えます。
全国の嫁業をやっているみなさんはうげげ、と思ったことでしょう。
子離れしない親ってつらいよね…。
自分は気を付けよ。

詮子はつよつよですから「私が選んだ嫁だけが!!」みたいな感じの嫁姑関係が続いていくし、いつまでも政治に口を出す、と実資が日記に愚痴っていましたよ。実資は愚痴ってばかりいるのだけど。

と、書いていたらきりがない。宣孝の衣装の件は清少納言にネタにされていましたね。清少納言は感心した!おもしろい!!って感じで文章にしていて、まあ結局すべてのことに「これ面白い!!」視点なのが『枕草子』なのだけど。

そんなこんなであれこれ書きたいけど、また次回!!

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