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つれづれ!『光る君へ』第15回

さて一週間遅れの徒然思うままに感想を書きなぐる…『光る君へ』第15回「おごれる者たち」ですけれども。
一条天皇大きくなったな~~

なんか、この大河ドラマは中関白家にブーメランかましまくってますけれど、何か恨みでもあるのか…あ、史実だった!

職御曹司に行く詮子。すっごおおおおおおい怒っていましたけれど、ほんとは仲良しです。
中関白家だって、権力の源泉は詮子ですから。だいじだいじなんです。
とはいえ、詮子がかわいがっていたのは道長で、それは接触機会が多かったからでは?っていうか、おねえちゃん末っ子かわいがりがちですよね。私の知る限りですけど。

そんな詮子は991年、落飾して初の女院となります。ええと女院ていうのは天皇が位を譲って、太上天皇とかになった時、合わせて女院となり、女院は女院として、大きい権力を握ってるわけなんですけど、初めての女院はこの人、詮子です。ただ出家するだけではなくて、院庁という役所をもって、役人もつきます。そんな感じ。
『源氏物語』の中では藤壺が女院になってますね。「女院」は出家してるけれども、あんがい世俗間にまみれて欲マシマシです。帝に口出しもするし、あれこれアドバイス(それって必要?)もするわけで、朝廷への影響力半端ない。もちろん詮子の時代は、実資がしばしば日記に「なんでもかんでも詮子が口を出す」って愚痴っていました。

ブーメランっていうのは職御曹司に行くのは詮子だけではなく、のちのち、定子がいくことになるわけで…むむむ。ですよね。

まあ気を取り直していきましょう。
一条天皇の横笛!!!ナマ演奏(違)と思ってときめきました。一条天皇は詩歌管弦にすぐれていたと言われておりまして、父円融院に竜笛を披露したのが10歳の時だったと言われています。
枕草子を見てみましょう


二月二十日ばかりのうらうらとのどかに照たるに、渡殿の西の廂にて、上の御笛吹かせ給ふ。高遠の兵部卿御笛の師にてものし給ふを、御笛二つして、高砂ををりかへして吹かせ給ふは、なほいみじうめでたしといふも世の常なり。御笛のことどもなど奏し給ふ、いとめでたし。御簾のもとに集まり出でて、見奉る折は、「芹摘みし」などおぼゆることこそなけれ。

一条天皇が横笛の練習をしている場面ですね。笛の先生は藤原高遠で、公任のいとこですね。中古三十六歌仙のひとりで。一条天皇が春宮時代。東宮御所のいろいろをやる春宮権坊をやっていて、その縁もあって従三位まで出世します。
「高砂」という曲を繰り返し繰り返し練習していて、この世のものとは思えないほど素敵だというようなことを言っています。二人が練習しているところ近くの御簾に寄って見上げていると「芹摘みし」なんて思うこともなかったと。
芹を摘む、というのは当時の言い回しで、いろいろ考え方はあるんだけども、芹っていうのは抜いても抜いても生えてくるもらしく、(除草したい)という「思ひ」が「かな」えられないものというたとえ、という考え方からいうと、「思いが叶えられない」なんて思うことはなかった、という強い否定。ようするに定子への宮仕えにひとつも後悔なんてない!!という強い意志ですね。

「芹摘みしむかしの人もわがことや心にものやかなはざりけん」
という歌がありまして、ここから、「芹摘みし」という言い回しが流行っていたのでは、といいます。上記の「芹摘み」で答えると、抜いても抜いても生えてくる芹のように、心に思うものが叶うことはないよなあ、みたいな感じですかね。


まあとにかく一条天皇の笛は絶品だったそうですね。

あとはファーストサマー少納言があまりにも清少納言でびっくり。いや、よかったです。推しに会えた時の顔。
できれば定子の指の爪が桜色で…みたいに書いてますので、その様子をえがいてくれればもう、きゅん!!で死んでしまうかもしれなかったですね…
あと、たぶん一条天皇はこの時代が人生で一番楽しかった、幸せだった日々だと思うので、そんなふうに見ると切なさが倍増します。

道隆!お酒は控えて!!
あと、伊周のちっちゃい感じ。そして、チャラいイケメン感が伊周でした。
弓の出来事は『大鏡』で出ています。
『大鏡』では伊周がけしかけた、というより「道長はすげえもってる男だから、自分から願いをかけて!!って射かけるんだぜ」というスタンスですね。今の感覚でこの場面になった時、先に「願」を口に出して射る、っていうのをやったら「感じ悪い」ってなるけど、当時はそれこそが「さすが道長さま」だったのが面白いな。と感覚?感性の違いを感じました。
文章で読むと「フーン」でしたけど、こうやって映像で見ると先に「和が家が…」とか言ったらかなり感じ悪かったですね!

そして、まひろは石山寺で道綱母と出会いました。参詣は貴族の女子の唯一といっていいほどの外出機会ですし、紫式部は石山寺で着想を得た、とも伝わっていますから(証拠はない)、ここで道綱母と出会って「心を文章でえがくこと」を伝えられるのが、『源氏物語』への道につながるっていうのは面白いなあと思いました。
そして、道綱の人違いは『源氏』の「空蝉」ですね。人違いと気づいた後、源氏は最後までいたしますけれどもね。道綱に言い寄られそうになって逃げだすのかと思ったら、最初からおふとんにいなかったという。(がっかり)ではございました。

ではまた来週!!

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