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「公共の電波のパーテーションを開けて見えたこと(前編)」

「公共の電波。」

この言葉を聞いて、自分は基本的に見聞きする側、そういう概念のみを持っている人が多数だと思います。
私もその1人でした。自分と公共の電波
の間がパーテーションで仕切られている様な。

一方、SNSが普及したこの時世では、匿名性を高くできるが故の、個人の意見や見解が跋扈しています。発信の場としてなのか、解放区としてなのか、捌け口なのか。まるで流れる先の海を持たぬ川が、幾つも幾つも流れては滞留している様に私には感じます。
流れる先の海を目指しているはずなのに、です。(滞留を楽しんでいる方もいるのかもしれませんが。)
私は、このところ漂う淀みに近い空気に、なんか疲れと尻込みをしていました。

話は公共の電波に戻ります。
私はjwaveで放送されているjamtheworldという番組のリスナーです。興味深く好きな番組でよく聴いています。
その番組の中で、

「公共の電波で、当事者であるあなたの声を聞かせてください」

、という堀潤さんの言葉が耳に入ってきました。

公共の電波であり、視聴者も沢山いるラジオというメディア。けれど、そもそも電波は誰のためにあるんだろう? 

決して大きくないけれど、伝えたい、知ってもらいたいことがある、そんな小さくも強い声に開かれてもいいんじゃないかな!


というのが、ふと、感じた第一印象でした。ハードル高いけれど、素敵な企画だな、とも思いました。さらには、だれもがなにかの当事者で、そのことに各人が頭を巡らせる機会にもなるんだろうな、と。


そんな中で、

「私は何の当事者なんだろう??」


と頭を巡らせました。
公私でいう、公では、コロナ禍でなんとか職を得ながらも、いつ待機、若しくは職自体を失いかねない状況の派遣社員、という当事者、であります。
見えざる危機は日常に潜んでいる訳です。
 
一方、「私」の部分で当事者性が強いものとしては、私は性的少数者、であることです。
3年程前に駆け落ち同然で、今のパートナーとの生活を始めました。当事、実家住まいだった私は、家を出た後、こそこそと世帯分離をし、携帯電話も解約し、パートナーの家に住まわせてもらいながらの日々の後、結果として、今の住まいへの転居を決意しました。
自分のことを知らない人しかいない土地に行きたい。そんな気持ちでいっぱいでした。
同性同士の2人住まいでの物件探しは難しい、と聞いていましたが、運良く住まいを見つけることができました。
そして、今、私はパートナーとともに穏やかに暮らしています。

日常で、自分が性的マイノリティであることを実感することは、あまりありませんが、職場での身の上話で、「設定」という小さな嘘をつき続けることには、慣れてしまいつつも時には疲れたりもします。
ですが、それは一側面に過ぎません。

と、そんなことを考え、振り返ったりしていた私は、気づくとjamtheworld宛てにメールを書いていました。
公共の電波で、一生活者でもあり、ある側面から見たら当事者でもある私の発信をしてみたい。パーテーションを外してみた先には何があるんだろう。そんな思いにも駆られました。

そして、その思いは、結実しました。

もしも、発信するならば、実名で話したい。

これは、私なりの一つの発信の形でした。
(小さな主語の際たるもの、とでもいいましょうか。)
めちゃめちゃ緊張しましたが、なんとか話すことができました。
綺麗事に聞こえるかもしれませんが、私にとっては、さらなる発信への勇気にもなりました。

だれもが、なにかの当事者であること。実は当たり前なこのことに気づくと、人に対しても優しくなれる、というか、より耳を澄まし、だれかを、なにかを知ることの大切さに気づける様になると感じます。
氷山の一角の裾野に広がる暗数の声を届ける公共の電波があることには、意義があると私は思いました。

様々な学びや気付きを得たことに、jamtheworldの皆様に感謝しています。
また、同様の企画が行われることを願います。

放送時に話題に出た、「多様性と孤独(発信へのためらい)」については、後編にて書きます。

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