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ここ数年で手放すことができたもの

自問自答ファッション講座を受けたのが2021年6月。
それから約2年の間、手に入れたもの、身に付いたことなど得るものが多かったのはもちろんですが、手放すことができたものも同じぐらい多かったな…と思います💭
得るものが多いと心が満たされていってそれはそれで良いんですが、手放すことができたものが増えたことで「生きやすくなったな〜」と感じています🌈

なんでこんなことを思ったかというと、先日推しのソロコンに行った時に、ふと私が見てきた推しの変化と今・オタ活全盛期の自分と今の自分を思い返し、「お互いいろいろあったけど、今に辿り着いて良かったなあ🥲」と思ったのがきっかけでした。
オタ活全盛期の頃は確かに楽しかったけど、オタクならではのしがらみや嫉妬が周りにたくさんあって息苦しさを感じていたのも事実。
🦠になってオタ活ができなくなり、"一生懸命追っていなくても許される"環境になって、それまでオタクでいるために一生懸命していたことをしなくなってからとても楽になりました😮‍💨
何も情報を知っていなくても、追っていなくても「仕方がないよね」で済むのが楽でしょうがない!
誰かに強制されていたわけでもないのに、沼底に片足突っ込んでいたせいもあって「こうしないと…!」と、勝手に義務的にしていたことがたくさんあったんだなあとしみじみ感じています❤️‍🩹
まあでも最推しが除隊し、グループ活動が再開するという噂を聞くと、今までのように渡韓したりコンサートに行ったりできないのがもどかしい気持ちは正直ありますが…(笑)

これってオタ活以外でもたくさんあって。
推しの歴史と自分の歴史は重なっているわけではないけれど、自分を紐解くきっかけや材料になると思うと「我がオタク人生に悔い無し」だなあ、なんて思っています(完全にオタクを辞めていないけど!)⚰💫

前置きが長くなりましたが、1つずつ書いていきまーす!✍️

■職種・役職へのこだわり

前職の看護師は社会的信頼が厚い仕事で、主任という立場、福利厚生もしっかりしていた職場ということもあり、辞める時にいろんな人から「もったいない」と言われました。
私自身も、やりたいことがある!と前向きな退職なのに「今以上の収入や評価をもらえることは今後ないだろうな」、「今以上がない中で、どうやって自分を納得させながらやりたいことをやっていくか考えていかないとな…」と思っていました🌀
その思いは辞めてからもしばらく抱えていて、看護師に戻りたいと一度も思ったことないですが(サービス残業で23時帰宅、胃腸炎で点滴をしながら仕事なんてもう無理!)、収入や立場など目に見える数字や評価に囚われていたんだなあと思います🤔

でも、実際にやりたいことに向かって試行錯誤していく中で、自分の1つの行動が次のステップに繋がっていたり、誰かの喜びに繋がっていたりすることを直接的に感じることができています💖
これは前職では経験できなかったこと。
また、有り難いことにたくさんの人から応援していただき、たとえ収入や目に見える評価基準がなくても幸せだなあと日々感謝の気持ちでいっぱいです✨
「物質的なものは幸せに直結しない」という意味を強く実感している今日この頃です❤️‍🔥❤️‍🔥

■誰かに与えられる「幸せ」

末っ子ということもあり、何かを与えられることに対して鈍感に生きてきました。
加えて自分に自信がないので、誰かが与えてくれるものや愛情なら間違いないだろうと考えることも放棄していました➰🧹
私が「幸せ」だと感じてきたのは誰かが与えてくれたもので、今振り返るとオタ活も自分では感じられない「幸せ」を、推しに満たしてもらおうとしていた部分もあったのではないかなと思います(私のように依存しなければ、それも決して悪いことではないと思います✨)😔

今のパートナーと出会った時「なんてしっかりしていて、愛情深い人なんだろう!」と驚き、最初はこの人となら幸せになれるかも…と思っていました💦
でもだんだんと「一緒に幸せになりたい」と思うようになり、そのためには自分には何ができるのか…と考えるようになりました🤔💓
パートナーは「むっちゃんが幸せなら自分も幸せ」という考えの人。
やりたいことに向けて試行錯誤している中で経験した嬉しいことを話すと、嬉しそうに「良かったねぇ(ニコニコ)」と返してくれます🫶
自分が行動したことが自分だけでなくパートナーの幸せにも繋がっているんだ、と実感しています✨

ずっと「幸せ」=誰かに与えられるものと認識していましたが、自分のことは自分でしか幸せにできないし、誰かを幸せにしたいならまず自分にとっての幸せは何かが分かっていないとダメなんだと己の精神を鍛え中です✊❤️‍🔥

■自分を責める考え

誰かが何かを達成した時に純粋に「すごいなあ」と思う一方で、「なんで私にはできない/できなかったんだろう…」と自分を責める癖がありました😫🥊💥
つい最近もこの癖のせいで半泣きでお風呂に入っていたんですが、その時にふと「あ、違う、そうじゃない。危ない、また自分の悪い癖が出てた。その人と自分は別なんだから、自分にできることを考えないと…。」と自分を俯瞰できるようになったんですよね💫
これは今でもなぜなのか不思議。おそらく自問自答ファッションやJJGとの関わり、読んだ本など今までの積み重ねが突然覚醒したんだとは思いますが…。
自分を責める癖は失敗した時も同様で、"how to"ではなく"why"でしか考えることができませんでした。
まだまだ完全に手放すことはできていませんし、要因はこの癖だけではありませんが、1つの考えの癖に気付いて自分を俯瞰できるようになると"why"の考え方に持っていきやすくなったなあと感じています🌷

また、この癖のせいで自分が選択・行動してきた結果を曇らせ、自分ができていること・強みを、自分で分からなくさせてしまっていたように思います☁️
これからはこの癖をもっと手放して、自分の強みを自覚しながら行動して、在りたい未来の自分になっていきたいです✊✨

■若さへのこだわり

どちらかと言うと童顔な私。
20代までは、美術展などに行くと学生証を求められることが多々ありました。
若いことを良しとする世間の風潮と、「童顔は一気に老けるよ!」という母親の言葉への恐怖心から、若い=良いことと自分のステータスにして、外見の努力も「少しでも若く見られるように…」という方向性が強かったように思います💄
自問自答ファッションを通して"誰かに見られた時の自分の姿"ではなく、"自分が在りたい姿"を考えるようになってからは、若く見られることへの執着を少しずつ手放せるようになってきました➰👋
年を重ねたからこそ楽しめること、表現できることがあると思うとワクワクするし、どんなおばあちゃんになりたいかを考えられるようにもなりました☺️💕
自分を評価する軸を手放すと第三者からあれこれ言われるのが気にならなくなって、楽ですね✨


いろいろと手放すことができたおかげか、最近「20代より30代の今の方が楽だな~!人生楽しい~!」と思えるようになりました✨
20代までは若さしか武器がないような状態でしたが、今は自分のやりたいこと・強み・幸せがはっきりしてきて、人生を楽しむツールを少しずつ増やすことができているように思います🪄💫
自問自答ファッションに出会って、最高のパートナーと一緒になって、素敵な仲間に囲まれて、私が何か大きなきっかけで闇落ちしなければ、きっとこれからの人生もっと楽しくなっていくんだろうな~!と思っています🌹🍀☀️
JJGにはいつも大変お世話になっていますが、どうぞ今後ともよろしくお願いします🙇‍♀️🤍

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