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Je voudrais être ton amie. あなたの友達になりたい。

よくもまあ、いろんなことが重なった2月で、書き残したいことを今から挽回するか迷うけど、これだけは書く。

友達ができた。きっとあちらも私を友と認めてくれているであろう。

彼女の父親と私は以前から親しく、一時仕事で世話になったこともあり、職場での小噺で娘さんの話を幾度となく聞いていた。彼女が過去の雑誌からか「CHIANTIはニューミュージックとゆかりの深い店である」的な情報を得て、そこに行きたいとのこと。行ったことないけど「私が連れてく!」と宣言した。でも当時はCOVID-19元年、何かと待ちに待った。
そしてこの2月、麻布十番駅で待ち合わせ。リアルで会ったのは彼女が 3,4歳くらいだったと思う。もう15歳。あまりにも違和感がなさすぎるという違和感。

実は前日に、別の友人とCHIANTIの所在地と佇まいを下調べしておいた。だって。スムーズにエスコートしてみたいとか、それくらいの見栄っ張りは持ってもいいよね。初めてのことなんだもの。で、もう冬の夕方だから暗かったけどちゃんと下調べしました。


云うなら、絵葉書やパンフレットの表紙で見続けていた「札幌時計台」をリアルで見た感じといえばいいのかな。趣は十分、でもこじんまり。彼女も「思ったより小さい」とごく素直に、落胆する訳でもなくあっさり云ってくれて無意味に安堵。

父、娘、私の3者間での情報の共有項から漏れているところをお互い補完し合ったり。普段少女に接することのない私が、なんのストレスも軋轢もないのが不気味である。確かに15歳だけど、だからなに?って感じ。

せっかくCHIANTIに来たけど連れてきた私かて不案内、ここはおばさん力を発揮してお腹を見せることにする。オーダー後「彼女は15歳、松本隆さんの記事を読んだか何かでCHIANTIを知って今日一緒に来ました。少しでも音楽にまつわることを聞かせていただけたら嬉しいです」その若いスタッフも不案内だったようで、軽いランチコースの合間に「精通した方」がスゥッと現れ、ここにミュージシャンは座っていたとか、ユーミンの話とか、1Fは以前はブティックだったなどのエピソードをポツポツと話してくれた。彼女も嬉しそうに目が輝くものの、突然の変化球に戸惑いも、でも嬉しそう。

料理は、私は良し悪しがわかる方ではないが、きっとオーソドックスで良質なイタリアンなのではないだろうか。ひたすら美味しく、でもお喋りの邪魔をしない感じがもっとも美味しさの秘訣だった。

都合3時間近くのんびり、いや会話はエキサイティングにCHIANTIで過ごし、なけなしの土地勘では六本木まで散歩した方が面白そうだと思い、腹ごなしも兼ねて天気の良いやわらかい午後の日差しを歩いたのはまだくっきり憶えている。
恋か?なぁんて。

お互い課題図書もとい課題映画を観終えてから、彼女の定期試験終了後に、と次のデートを約束して六本木でバイバイ。

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