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一日一日が愛おしい。地球上に息づく生命が愛おしい。 だから自分の思いを形にしておきたい…

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一日一日が愛おしい。地球上に息づく生命が愛おしい。 だから自分の思いを形にしておきたいと少しずつ書いていきます。

マガジン

  • 思い

    心に浮かんだ思いを書き記しています。

  • 夫と私

最近の記事

折り合いをつける

「妥協する」ということが嫌な若者が増えているというのをどこかで読んだ。デジタル大辞典によると、「対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること」らしい。双方が譲り合って一致点を見いだすはずなのに、譲ることが負けた感覚になるそうだ。 同じような言い方で「折り合いをつける」という表現もある。実用日本語表現辞典の意味は「交渉において、互いにある程度譲り合って双方が納得できる妥協点を定めること。互いに意見や立場が対立しないポイントを見出すこと」。譲り

    • 「あたりまえ」を疑う

      私たちは自分の暮らしている社会や日常を「あたりまえ」と捉えがちだ。他を知らなければ、もちろん自分の目の前にある、自分が知っていることがすべてで、それが「あたりまえ」と感じる。 でも、「あたりまえ」ってなんだろう。朝起きて、仕事に行って、たまに友達と夜の街に繰り出すかもしれないが、仕事が終われば家に帰って夜を過ごし、次の朝を迎える。手元にはスマホがあり、いろんな情報が常に流されていて、それに踊らされないようにと、やはりスマホから得たおすすめの自分を高めるための本などをスマホで

      • 合言葉は「まあ、いっか」

        昨日また一つ年をとった。この間まで増え続ける数字を老いの象徴と感じて、自分の命が確実に死に向かっていることに、かなり凹んでいたが、昨日はなんだか少し違った。数字は数字だとなんとなく腑に落ちた感があって、「まあ、いっか」という思いが広がった。 「まあ、いっか」の感覚は私にとって重要だ。昔夫がかなりの鬱で、どうにもならない閉塞感が漂っていた中でも、朝目が覚めると「まあ、いっか」と思えて心が軽くなっていた。自分が更年期と子供の問題で鬱の方向にベクトルが向いていたとき、その感覚は私

        • 感覚の話 その2

           子供の頃は直感って大事と思っていた。なのに、ちょっと知識がついてくると、言語化して説明できることのほうを選びがちになり、自分の感覚に耳を傾けなくなってきた。たくさん言葉を知っていて、言葉を駆使して説明できるようになることで、自分が高められるような気になっていた。  自分の感覚に耳を傾けるようになったのは、合気道がきっかけかもしれない。40を過ぎて始めた合気道は、私の身体と心に新しい刺激を送り込んだ。言葉で理解できるから、言われたことは納得できるし、技をかけるときも手順を理

        折り合いをつける

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        • 思い
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          1本

        記事

          感覚の話

           直感とか第六感ってばかにならない。  地球上に今存在する人間の数は膨大で、SNSで遠く離れた人とも繋がれるようになったとはいえ、ほとんどの人に出会うこともないだろうし、私の人生と交わることはないだろう。そんな中で出会う人たち、一瞬でも交わる人たちというのは特別な存在だ。  特別だからすべてがいいわけではない。そのすべての出会いや交わりが、私の人生を彩り豊かに光輝く素晴らしいものにしてくれるわけではない。中にはまさに崖から突き落とされるような経験をもたらす人もいるわけで、

          感覚の話

          会社、職業、生き方

           将来どんな仕事がしたいかという質問を大学生に投げかけてみた。ぼんやりでもやりたいことがあると答えたのは30人中たった2人。あとは明確な何かはなく、とりあえず就職できればいいという感じの反応だった。  友人から会社、職業、生き方についての話を聞いた。今多くの人がどの会社に入りたいかと考え、就職する。就職すると会社で仕事(職)を教えてもらう。そして会社で仕事をしている中で部署が変わったり、転勤したりし、それによって生き方が決まったり、変化したりする。でも、その生き方は本当に望

          会社、職業、生き方

          届かない

          言葉を尽くして語り合いたい 届けたい思いは 届けたい人にはなぜだかうまく届かない 届けようともがけばもがくほど 言葉はどこかで抜け落ちていく 私の中にあった思いは 言葉になって私の中から出た瞬間に変わってしまう 確かに私の中にあったものなのに 明らかに私の中にあったものではない 心が揺れる 心がもがく 心が叫ぶ 思いがほとばしる でも受けとめられない 言葉は宙に浮き 行き場をなくして戸惑っている そこに見えている人なのに 存在していないようだ 尽くしきれない言葉が泣いて

          届かない

          子供のときの体験は尾を引く

          人間関係というものにとてつもなく苦手意識がある。理由は理解しているつもりだ。親子関係に根ざすもの、そして子供の頃の友人関係の失敗体験だ。 親子関係は母との関係が大きい。私自身は一人っ子なので、兄弟姉妹で比較されることはなかったわけだが、常に他の誰かの素晴らしさを口にしていた母だった。悪気はない。何十年も親子をしていると、悪気がなく言っていたとことはよくわかる。しかし、いつも誰かと自分を比較し、自分はまだまだだと考え、上に上に、一番になりたいと考える癖が染み付いてしまった。

          子供のときの体験は尾を引く

          頭の中の迷路

          世の中が騒がしい。ニュースを見れば、一目瞭然で、心が波立たせるようなことがこれでもかというくらい思考の中に侵入してくる。  自分をそんな世の中のさまざまなことから遮断して、心安らかに自分を保ちながら生きたいと思うが、そうは問屋が卸さない。もともといろんなこと、他人事が気になってしまう質だ。気持ちが巻き込まれてしまうのはいとも簡単だ。  特に時間ができるとよくない。時間の有効活用ができない。昔から空想の世界に浸ることが多く、考えることに慣れているようだ。人間というのは、つく

          頭の中の迷路

          暑い

          フランスへの里帰りという名のバカンスが終わった。「暑い日本を脱出し、フランスで避暑」が理想なのだが、現実はそうそう理想通りには運ばない。暑い日本を脱出し、フランスで酷暑を経験がこの夏だった。 特に旅の後半、義母の住む、ボルドーから東に位置するロット川沿いの街と義姉家族の住むリヨンでの2週間ほどは暑さとの戦いだった。日本の暑さは湿気を伴い、この湿度に苦しむわけだが、乾燥したフランスの酷暑もかなりのものだ。この暑さをどう形容すればいいかと考えたのだが、それは雲ひとつない青い空の

          「精霊の木」

          表題は作家、上橋菜穂子さんのデビュー作のタイトルだ。デビュー作はぜひ読まないと上橋菜穂子ファンの名が廃ると、夏の旅のお供にと購入した。上橋さんの本は児童文学のくくりになっていることもあり、文体がわかりやすく、いつも本当にすらすら読めてしまう。そして読者をぐいぐいと引き込む物語の展開に本を置くことができない。結局2日で最後の「あとがき」「解説」まで読み切ってしまった。 「精霊の木」は、「守り人」シリーズなどで描かれるファンタジーにちょっとしたSFの味付けを加えた印象だ。近未来

          「精霊の木」

          生と死 光と影 表裏一体 どちらもが真実

          生と死 光と影 表裏一体 どちらもが真実

          My Thought of the Day

          It takes time to build or achieve "something". "Something" could be an object, a purpose, a relationship, trust, love... etc. But we throw whatever we have built away so easily and carelessly. How thoughtless and inconsiderate we can be! W

          My Thought of the Day

          海鳥よ

          今日は風が強い その風に向かって私は歩く その私の上を海鳥が飛んでいく 翼を広げて、羽ばたき、滑空し、滑らかに空を舞う その下を私は歩く 地面に這いつくばるかのように 私もあんなふうに飛んでみたいと願いながら 目線の先に舞う海鳥の軽やかさが 私の体にのしかかるいろんな想いにつぶされそうな 不器用な私の歩みとあまりに対照的で 涙が出そうな気もしたが、 なんだか、あの軽やかさがなぜ私にないのかと 悲しい想いで心が満ちていく 私もあの風に乗りたい 私もあの風に舞いたい 這いつくばる

          想いを伝え合うことに思いを馳せる

          誰かと話をすること、とてつもなく当たり前のようなことに思えるが、とてつもなく難しい。人生の経験年数を踏むと少しは楽になると思っていたが、そうは問屋がおろさない。 子供の頃は言葉が稚拙だ。感情表現も露骨だ。真っ直ぐに言葉が感情と共に飛んでくる。楽しいことや嬉しいことは見事に倍増するが、飛んできた矢の刺さり方はかなり深い。子供は新陳代謝がいいので、傷なんてすごく治ってしまう。心の傷も同じだ、一見。でも心の傷は深いところで完全治癒までいかずに残っている。 そんな古傷を抱えながら

          想いを伝え合うことに思いを馳せる

          言葉を尽くす

          自分の言葉の稚拙さに頭を抱える。伝えたい感情を適切な言葉で表現できない。感情と言葉の間に微妙な膜があって、私の感情は言葉の衣をぴったりとまとうことができない。 この苦痛というか苦悩は常に私とともにある。伝えたい想いが強ければ強いほど、その苦悩は深く私を苦しめる。届きそうで届かないもどかしさだ。 言葉を尽くす、最大限に。でも尽くしきれない思いが残り、言葉を濁してしまう。言葉を交わし、言葉巧みに、ときに言葉に詰まり、そして言葉に耳を傾け、また言葉を繰り返し – なんどもなんど

          言葉を尽くす