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[archives:2016/09]“負けたことに、負けない” ―信越五岳2016の記録

「ごめん・・・ほんとにごめん。」

目を赤くして言う彼女を抱きしめて謝らなくていいよ、頑張った、よく頑張ったと励ましたけれど、彼女は何度も布団に突っ伏して、うぇ~と泣いた。

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私が出た初めてのロングレース、信越五岳トレイルランニングレース。
1年目は台風で悔しい8Aまでの特別完走、リベンジを誓った2年目は抽選落ちでそれでも何かしら関わりたいと思いボランティアに、3年目はTDSの後で苦しい展開で完走、4年目となる今年は初めてのペーサーエントリー。

相方は、“山仲間”。初めて2人で縦走した時には偶然同じシャツを着てきて良い年して双子コーデになったり、山に行く時にはいつも爆笑井戸端会議で山どころではなかったり、私が怪我で走れない時に街歩きに付き合ってくれたり。年齢的にはお姉さんだけれど馬鹿な話をしたりふざけあったりできる大切な仲間。

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初めて会った時には一昨年のIZU TRAIL JOURNEYの後で、彼女はDNF(リタイア)だった。関門時間を間違えていたことと、そもそもあまりテンション上がらなかったというようなことを言っていて、正直なところ「楽しくないのかな」と感じたのを今でもはっきり覚えている。それ以降、彼女は山の麓に引っ越し、高山にも登るようになってそれまで以上に山に没頭するようになり、めきめきと山力を上げて、レースでもSTY、おんたけ100などを余裕のタイムで完走するようになった。レース後に話を聞くと、あの時とはまるで別人のように目を輝かせ、こんなことが楽しかった、あんなことで笑えてね、とキャッキャと話してくれるその様子に「すごく楽しんでいるんだな」と感じるようになった。きっと彼女なら完走できる、一緒に走ったらどんなに楽しいだろう、限界を超えてみてほしい、そう思って信越のペーサーをやらせてほしいと私から声を掛けた。

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そうと決まれば、わずかながら私のロングレースの際の持ち得る工夫や対策をすべて彼女に伝えた。これまでの彼女が出走したレース展開の特徴、強み弱み、補給食の得意不得意、最近の怪我や故障の傾向、当日のペース配分、パッキングリスト、サポートエイドで何をしてほしいかなど綿密に計画した。

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この夏UTMBを控えていた私。山岳会の山行中心に過ごした彼女。お互い山行は積みつつも一緒にトレーニングする時間はあまり作れず、UTMBからの帰国後に1度だけ日帰りのトレイルランニングに行ったきりになった。登りではやや不安が残ったものの下りは私が思っている以上に快調な走りで、仕上がっているな~ついていけるかな~と思ったほど。一緒に練習はしていないものの、イメージを共有すべく幾度かの打合せと作戦会議を経てレースを迎えた。

けれどもっと想定できることがあったのかもしれない。1年目に台風を経験しているので悪天の話もしていたものの、信越は暑さやハンガーノックに多くの選手が苦しむ大会というイメージが私の中で定着していて、豪雨の想定と対策まではほとんどできていなかった。

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現地入りしたレース前日。台風の予報は外れたものの、願い虚しく天候は悪化していくばかり。睡眠時間を十分に摂るために早めに宿に入り、前夜祭までにお互いパッキングを済ませた。前夜祭から宿に戻ってパッキングをしているとなんだかんだで寝るのが22時くらいになる。朝3時〜3時半起きと考えると、前夜祭から宿に戻ってすぐ寝れるようにしておくのが賢明だからだ。毎年仲間がたくさん参加する信越は宴会になりがちだけれど、今年は天候もあってかみんなややナーバス。窓の外の豪雨とは対照的に静かな夜になった。

レース当日。こわばる表情を見せつつも会場で用意される朝食をしっかり食べて、元気な様子。緊張は、するものだよね。と、お気楽モードなペーサーの私。一緒に緊張しても仕方ないので出来るだけ普段通りに接して、少しでもリラックスできるように心がけた。でも、緊張感もまたレースには時に必要で、緊迫した中で「ヤバイ」という気持ちが背中を押してくれることもある。そういったある意味追い立てる話はしなかったように思う。

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スタート時は前夜からの雨が止み、くもり空で、走るにはちょうど良い気温。予報が外れることの多い秋の空。多くの選手、ペーサー、サポートがすこしだけ希望を持ったかもしれない。


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けれど残酷にも再びの雨。スタートを見送り、次に会えるのは23.9km地点、2Aレストランハイジ。私達が2Aに着く頃には土砂降り。レストランハイジ前は瞬く間に車のタイヤも空回りする泥沼になっていた。

「トップ選手もお尻が泥だらけだよ!」

えっ?
一般ランナーよりはるかにバランスがいいはずのトップ勢が泥だらけで2Aに駆け込んでくる。その汚れっぷりは選手が増えるにつれ益々派手になっていき、ついにはランパンが破れてお尻に泥と血が付いている人や、前から突っ込んでしまったのだと顔まで泥だらけの人。暑さ対策のかぶり水は泥落とし用の水となり、大きな水の樽の周りに選手達が群がった。水を掛け合う選手達。ひっきりなしに水を運ぶボランティアスタッフ。選手達は斑尾山からの下りが滑り台と化していると口々に言う。仲間達が予測タイムより遅れて入ってくる。

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来ない、まだ来ない・・・。1人、また1人と仲間を見送るけれど、相方が来ない。やきもきしながら待ち続け、想定の20時間ペースから1時間経ってもまだ来ない。そこからさらに完走22時間ペースよりも30分遅れで2Aに飛び込んできた。泥だらけで滑って走れないという。私自身が相当焦っていたのかもしれない。彼女から後半追い上げタイプだと聞いていたこと、テンションを下げないようにということくらいしか考えられていなかったことが最大の反省で、タイムマネジメントができていなかった。

「大丈夫、大丈夫だよ。このコンディションでいいペースで来てる。後半で追い上げよう!」

私の口から出たのはそんな言葉で、あとは、袴岳の登りは短いからパワーウォーク、下りは林道が長く、その後ロードが少しあるからそこは巻き返しのために一生懸命走って!というようなアドバイスをしたと思う。足は残っているから頑張る、と言って元気に飛び出して行った。

なぜ、完走ペースよりも遅れていると伝えなかったのだろう。もっと危機感を与えるべきだった。せっかく作ったペース表を見ているようでちゃんと見ていなかった。冷静になるべき私が全く冷静になっていなかった。終わってから後悔しても遅い、ペーサーとして全く役割を果たせていない。この時点ですでにペーサー失格だった。

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サポートする仲間の前後の差が開いてしまったことで、次の応援ポイントの3Aでは相方に会えなかった。完走タイムを大きく左右する3A~4A。特に今回はトレイルのコンディションが悪かっただけに、わずかな走れる区間、関川の走りは後方選手にとって重要だったように思う。一瞬の晴れでまたも期待した天気は結局大雨に戻り、その後の走れるはずのトレイルではズルズルでかなり渋滞したらしい。メッセージを送ったけれど、見ている様子はない。彼女の頑張りを信じて祈るしかなかった。

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4Aへ入ってくる選手の声を聞くと、このあたりから明らかに得手不得手で差が出始めた。『予定よりも早く来たよ!』と嬉しそうに到着する選手、『もう予定より1時間も経つのに来ない・・・』と嘆くサポートのところへ『ヤバイ、全然走れない・・・』と青い顔でトボトボ入ってくる選手。止む様子のない雨に加え、蜂の襲撃もあったようで、第一関門にもなっている4Aではサポートの人達も一様に大混乱だった。

例年であれば関川で熱中症になる人が多く水でもかぶりたいところだけれど、びしょ濡れの仲間達は温かいものを欲していて、うどんや雑炊、スープを喜んで補給していた。サポートにとっては想定外で、もっとたくさん用意していればよかった。

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関門時間の15時30分が刻一刻と近づいてくる。
関門を通ったとしても、次の5Aの関門まで2時間しかない。ゲレンデ~林道登り、林道下りが長い区間。もしかしたら巻き返せるかもしれない。例年なら関門数分前に通過しても、完走している選手はたくさんいる。泥はこれまでの区間よりは多少マシかもしれない。それでもやっぱり2時間半は欲しい。せめて15時に到着してくれれば・・・。

関門など引っかからない、むしろ良いタイムを目指そう!と話していたレース前。おんたけ100kを16時間台で完走していて、走れるレースもきっと問題ない。“晴れていれば”十分に完走できる走力の持ち主だからと勝手に安心していた。まさか関門との戦いになるなんて。私が一番危機感に欠けていた。

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15時15分頃、彼女がエイドに飛び込んできた。

「間に合った?間に合った?」と言う。

「すぐ出よう!飲み物変えて、補給は?持って行く?足りてる?」飲み物やジェルを手渡しながら畳み掛けるようにこの先のアドバイスをする。

「次まで2時間ちょっと、コースは林道登りと林道下りがあるから、できるだけ走って、下りは特に足が終わってもいいから何が何でも走って!少しでも時間を短縮するように頑張って!」

「間に合う、絶対間に合うから信じて走って!」

それしか言えなかった。
かなり厳しいことはわかっている。でもおそらくもうタイム表やコースのことなどチェックできていないだろう状況の彼女には、とにかく何が何でも前に進めと伝えるしかなかった。絶対に間に合うという言葉で正解だったのか、それとももう間に合わない可能性の方が高いともっと明確に伝えるべきだったのか。こればかりはわからない。緊張感だけは伝わったと思う。ここで、やっと。

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サポート隊とペーサー勢が5Aに着いて、慌ただしく準備をする。
関門はエイドに入る時間で17時半、出る時間は17時45分締切。今日のトレイルの荒れ具合では、わずか15分でも短縮すべき。荷物の入れ替えやヘッドライトの装着どころか、着替えている暇も、補給している暇も正直全くない。全て持って、即エイドを出る。それがいいね、とサポートメンバーも皆同意した。

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より一層過酷なトレイルへペーサーと共に挑む仲間の出発を見送った。

私は、相方の後半の荷物、着替え、補給、すべて自分のザックに詰め込んだ。状況によっては彼女のザックを私のザックの中にまるごと入れられるようにと大きめのザックで来てよかった。自分はヘッドライトを着けて、いつでも走り出せるようにして彼女を待つことにした。水の補給の時間さえもないことを想定して、彼女の分の水分は予備のボトルとペットボトルを持った。1本入りきらなかったボトルを片手に、準備が整ったのは16時50分、関門までまだ40分あった。

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突然のアナウンスに会場がどよめいた。

「5Aの関門時間が、17時30分から17時になります。17時にここを出てください!」

17時まであと10分だった。
休憩していた選手やペーサー達が引き攣った顔で慌ただしく動き始め、会場はちょっとしたパニックになっていた。

信越五岳を選手やペーサーとして一度でも走ったことのある人なら少なくともどこか納得したと思う。なぜなら5A以降の登りは、晴れた日でも水はけが悪くどろっとしたトレイルで、しかも幅が狭くて急な登り。この土砂降りなら、足首上まで埋まり、川になっているだろうことは容易に想像できた。ただ、悪天候だからもしかしたら関門延長になるかもしれないという希望があったが、現実はその逆だった。完全に濁流と化しているトレイル。選手の身の安全を考えて、危険を回避するために関門が繰り上げになってしまった。

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関門を17時を過ぎる頃、エイドの周りは異様な雰囲気だった。選手達は変電所上の誘導スタッフによって関門短縮を告げられたらしい。トボトボと歩く姿、泣いて身体を震わせながらも走り続ける姿が辛かった。17時半なら、間に合ったのに・・・。

もう一つの処置として、レース最後にある信越名物の瑪瑙山がカットされたため、5Aに間に合ってさえいれば完走まで叱咤激励して連れていく自信があった。けれど、わたしの相方は関門を迎える頃でもまだ吊り橋前だった。その後に変電所の登り(15分以上)、5Aまでの登り基調のトレイルがあり(後方選手なら30分以上かかる)、いずれにしても本来の関門17時半にも間に合わなかった。

そんなこともあって、私たちペアには関門短縮はさほど悔やむ情報ではなかったものの、17時~17時半に5Aに到着した選手にはあまりにも辛すぎる状況だった。山のスポーツは自然が相手。その過酷さや厳しい現実もまたレースなのかもしれない。

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17時半過ぎ、携帯が鳴った。

「今戻されて収容中」
「どこですか?」
「もうすぐ5Aだったんだけど、反対側に戻されて車に乗った。でも混乱しててどこにいくかわからない」

吊り橋前のところで、それ以降の選手はその地点で拾った方が5Aより近くて安全にピックアップできるという判断だったらしい。当初から想定されていたものかもしれないけれど、丁寧な対応だ。きっと選手にとっては、関門アウトだったとしても、5Aまで懸命に進みたかったと思う。特にペーサーが待つ選手は、なんとか5Aまでという気持ちは強いはず。だから5Aにすら届かずにリタイアとなった選手もまた、あまりに辛い状況だった。ただ、あの状況でもし吊り橋前のピックアップがなければ、おそらく5Aに着く頃には暗い時間帯(18時頃日没)になっていて、ヘッドライトをドロップバッグに入れていた選手には危険だった。(※ヘッドライトは必要装備品として「推奨」されている。)彼女の悔しさは、2km離れた場所でも充分に伝わってきて、心が痛んだ。

「ほんとつらい、申し訳ない」

わたしもまた、悔しさで涙が溢れた。

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ゴール地点に運ばれる彼女に会いに行くか、今も走り続けている仲間をサポートするか、しばらく迷って、サポートを続けることにした。サポートメンバーと共に、8Aに到着する仲間を温かい食べ物や飲み物で迎え、出来得る限りのことをした。

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瑪瑙山がカットになった今回、ここまで来ればゴール関門にひっかかることはないだろう。満身創痍でボロボロな仲間たちを鼓舞して、ゴールで待っているから!と送り出した。やっぱり彼女とここへ来たかった。フィニッシュゲートに場所を移し、仲間を待った。

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8Aからのコース変更部分も泥沼だという情報で、トップ選手でも1時間ちかくかかっているという。ボリュームゾーンの選手なら2時間半かかるかもしれない。

まだまだ来ないだろうと思っていたら、仲間のなかで一番前を走っていたペアから「あと数分で着く」という連絡が入り、その後も続々とフィニッシュゲートへ2時間かからずに全力で走って駆け込んできた。仲間同士の接戦もあり、ドキドキハラハラする展開で各々のドラマのなかで感動のゴールを遂げていた。いままでの信越五岳とは違って、選手達の安堵の表情が印象的だった。

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私たち2人も、ここで、抱き合って、涙するはずだった。

700人中フィニッシュゲートをくぐったのは420人。関門通過できなかった選手が多かった箇所はやはり5Aの笹ヶ峰グリーンハウスで、その数180人。例年約80%の完走率を誇る信越五岳トレイルランニングレースでは異例の60%という低い完走率となった。(5Aを通過した選手の94%が完走)

過酷な状況下では思ったより高い完走率だったようにも思う。泥のトレイルや大雨は悪天候のレースではこれまでにもあることで、その経験の違いが影響したこと、また経験がなくともどれだけ恐れず怯まずに突っ込んでいけたか、降り続ける雨と悪化するばかりの状況でもいかにメンタルを保つことができたか、ということが重要だったのかもしれない。わたしが選手だったなら、この状況を楽しみ、完走できただろうか。

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宿に帰って部屋に入ると、物音に気付いて先に休んでいた相方が目を覚ました。

「ごめん・・・ほんとにごめん。」

目を赤くして言う彼女を抱きしめて謝らなくていいよ、頑張った、よく頑張ったと励ましたけれど、彼女は何度も布団に突っ伏して、うぇ~と泣いた。

涙する彼女にちょっとほっとした。
それでいい、それがいい。あっけらかんとしているわけでも、開き直っているわけでもなく、全力で悔やんでいて、ちょっと嬉しかった。本当に必死で頑張ったんだ、めちゃくちゃ完走したかったんだなと。私なんかが偉そうに言えるような立場でもレベルでもないけれど、思いっきり悔しがって、思いっきり悲しんで、あの時ああすればよかったこうすればよかった、なんで!なんで!なんで!と自分のレースを何度も何度も振り返っては悔やむのが、きっといいんじゃないか思う。悔しくて悔しくて忘れたい、なかったことにしたいような気持ちでいっぱいだと思うけれど、きっといっぱい悔やんだほうがいい。

もう二度とこんな思いはしたくない。
絶対にリベンジしてやるんだ。
その気持ちがきっと自分の背中を押してくれるはず。だって、わたし自身がそうだから。完走できなかったその日にはさすがに伝えられなかったけれど、彼女にこの言葉を伝えたいと思った。

「負けたことに 負けない」

リオオリンピックでメダルを逃した福士加代子さんのインタビューの一節だ。すごく印象的だった。耳が痛い言葉だ。インタビューを読んで、14位でメダルを逃したことが負けと言ってるわけじゃない気がした。

完走できなかったことが負けじゃない。必死で奮闘して、必死で走って、悔しくて悔しくて涙がでるほど物凄く頑張ったのだと思う。それでもやっぱり、悔しいという気持ちを抱える選手は、どこか自分のなかで自分に負けたという気持ちがあるんじゃないかと思う。

わたしはDNFを経験した時、とにかく敗北感に苛まれ続けた。大袈裟かもしれないけれど、舌を噛み切りたいくらい情けなくて恥ずかしくて悔しくて、夢に出てくるくらい再び負けることが怖かった。自分に負けたという敗北感に負けそうだった。自分が少しずつ積み上げてきた自信が一瞬にして崩れ堕ちて、荒れ果てた気持ちから立ち直るにはなかなかの時間を要した。次のチャレンジで目標を達成した時、自分の弱さをひとつ乗り越えた気がした。それ以来、何かに「負け」ても、目を背けずに受け入れて、その悔しい気持ちをめいっぱい次の肥やしにするようになった。満足できる「勝ち」などいつまでも遠い存在なんだとわかっているけれど、強くなるにはそれしかない。

負けたことに負けない。自分を見つめて、向き合って、より強くなる。

わたしも。
次の挑戦に向けて、共に、成長したい。
来年必ず悔しい涙を一緒に払拭しよう。

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■onyourmark [負けたことに負けない 福士加代子]
http://mag.onyourmark.jp/2016/09/fukushikayoko_adidas/97073

―最後に
信越のことをありのままに書いて良いかと相方に尋ねたら、即答で『もちろん。風化させてはいけない記憶だから』と返事があった。彼女のペーサーでよかった。また彼女と共にフィニッシュゲートを目指したい。今年はきっと、来年の感動に向けての序章にすぎない。


(翌年は結局信越には出なかったが、いつかまた2人で走りたい)

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