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[archives:2015/09]信越五岳に向けて、それまでの話。

― わたしはバカなのかな?

信越五岳トレイルランニングレース2015に選手として参加してきました。
1Aを過ぎて、すでにそんなことを考えていました。

今年は同じ週内にUTMFも開催となり、参加者は出走694名(男性606名、女性88名)、女性は2013年2014年は100人以上いたと思うので、やや後半に流れた印象です。※男女全体の出走人数はほとんど変わりません。

信越五岳トレイルランニングレースには特別な想いがあります。大袈裟にいうと、わたしの人生を変えたようなものです。初めての信越五岳はトレイルランニング1年目、トレイルランニングを始めて早々に別のスポーツで足首の靭帯断裂の怪我をしたので、実質半年くらいしか走ったことのない中で、まだ3回目のレースといういきなりの挑戦でした。しかも、両脚腸脛靭帯炎という律儀にもランナーの通る道というべき故障も抱えていました。

それまでたった38kmしか走ったことのない中で、自分なりに必死で走りたい、だけれどハンガーノックになって座り込んだり、ペーサーとの距離感をどう取ればいいのかわからず色々伝えなかったことで結局迷惑をかけたり、復活しても結局歩き通したり、台風で8Aで終わってしまったりしました。

今思えば仲間が最後まで奮闘する中で、わたしは甘えに甘えて歩きまくり、8Aに着いたのは特別完走に “してもらえる” 関門0時ギリギリで、台風じゃなかったらその先の瑪瑙を越えて完走などできていなかった。特別完走など本当にラッキーとしか言い様がない状況でした。6Aで聞いた8A中断に、悔しさよりも正直ホッとしたんじゃないか、それに甘えてしまったんじゃないか、そんな自分の弱さがずっと情けなくてわたしの痼りでした。

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翌年リベンジを誓って信越にエントリーするも、2014年は抽選で、だいたいそういうここぞという時の運のないわたしは落選。大きな目標を失う怖さで、全くジャンルの異なる上州武尊120k(120km/8400mD+)にエントリーするという暴挙に出ました。

ラッキーなことに、「当たったらいいな~」とエントリーした2014年のSTYには当選していたので(おそらくここで運を使い果たしたのでしょう)、ロングレースの経験はSTYから武尊という流れになりました。

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上州武尊という格段にレベルの違う未知の世界に不安しかなく、2014年は何かに取り憑かれたかのように標高を上げて距離を伸ばして、とにかくひたすら高い山で登りの練習に励みました。レースでタイムが近いことの多い戦友サクさんからは『あの時のエマちゃんの気迫はなんか凄かったからね』なんて言われます。

登りの年と決め込んで、スリーピークス、キタタン、富士登山、安達太良山などにチャレンジしました。上州武尊は後方ながらも無事完走。大きな自身に繋がりました。

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120kmを完走、さてじゃあ次は何がしたいのか。
やっぱり100マイルかな。フルマラソンを初めて走る時『初めてならホノルルとか、ド派手なものに出た方が初フルの思い出になっていいよ』と言われたのを思い出し、UTMBにエントリーしました。

“激走モンブランを見てトレランを始めた” 人も多いなかで、わたしは全くその道を辿っておらず、トレイルランニング歴も2年足らずでやや世代が違うのかもしれません。UTMBはめっちゃ憧れ‼︎ というわけでもなかったのですが、海外に行けるのはフリーランスのうち。出るならUTMBか。という選択でした。

しかしまたしても(IZU TRAIL JOURNEYで運を使い果たしたのか)、UTMBはアッサリ落選。そうそうなんでもかんでも当たりません。そして落選のショックで半ば衝動的にTDSにトランスファー(エントリー変更)しました。

2014年に取り憑かれた山熱は、ボーボー燃えていたところから次第に炭火の熾火のように、静かに高温で燃え続けるようになり、今年は黙々と単独行で長い距離を歩き通す旅のような山行で自分と向き合うようになりました。それがTDSにはほとんど偶然にも効果的で、無事TDSを完走しました。

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話は戻りますが、TDS(119km / 7,250mD+)から帰国して2週間半後に信越(110km/4,670mD+)など、なぜそんなに無謀なことをしたのか。

去年の信越は抽選に落ちた後にすぐボランティアに申し込みました。翌年のエントリー権も得られる信越ボランティアですが、そもそもボランティアは対価を期待してやるようなもんじゃないのはわたしもそう思います。だけど翌年走りたいという思いがなかったかと言えばうそでしょう。出るばかりだったレースでボランティアもやろうと思っていた頃で、同時に思い入れのある信越をボランティアの目線から見る、レースに挑む選手を応援したい、大会ボランティアを初めてやるなら信越が良い、そう思ってのことです。

結果的には2015年の優先エントリー権を持つことになったのですが、TDSを走ることが決まったのはその4ヶ月後でした。もちろんTDSで故障をしたりしていれば、信越は出ないつもりでした。

『ゆっくり楽しんで走ればいい』

そんなことが通用する性格じゃないと、なんで自分で判らないんでしょうかね。ましてや2年前の痼りを残した状態で、“悔しい”という感情に異常反応する大人になれないわたしが、割り切ることなどできるわけがないと、本当は最初からわかっていたはずなのですが、いやいやとわからないように言い聞かせていました。

結局は、どうなるかわからない、もしかしたら・・・?、くらいの挑戦にすこし期待した馬鹿な部分があったのかもしれません。

シャモニーからの帰国後、当たり前だけれど10日間も休んだしっぺ返しで仕事が恐ろしいほどに忙しく、疲労抜き以前の問題でした。ジョギングなんて以ての外。何日も何度も徹夜が続き、マトモな食事もできず、終いにはレース3日前から酷い頭痛と吐き気に悩まされたまま現地入り。

前夜は頭痛で一睡もできず、当日の朝も貧血のような感覚。疲労は抜けているのか?脚の調子は走り出してみないとわからないといった状態。万が一の時は潔くやめなければ、そんな風に思うのは初めてのことでした。

脚の調子はともかくとして、風邪でもひいたのかと思っていた体調については、本当は、思い入れのある信越をまた完走できないんじゃないかと、実はものすごくものすごく緊張してたのかもしれません。

今まででいちばん最悪のコンディション。不安がるわたしを隣でしきりに「大丈夫、大丈夫だよ」とペーサーがなだめてくれました。そんな風にして、わたしは2年ぶりに信越五岳トレイルランニングレースのスタートラインに立つことになりました。

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【本編につづく】

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