22年振りに恩師に会おうと思った話

初めまして、Emmaです。
今日からnoteをはじめました。

さて、みなさんに質問ですが「忘れられない恩師または恩人はいますか?」

私にはいます。
ずっと会いたくて、忘れられなくて…どんなに辛い時があっても先生のようになりたくて頑張って生きてきました。
ふとしたタイミングで思い出す大切な先生です。
 よく思い出は美化されるといいますが、もしかしたらそれもあるかもしれません。 
それでも確かに言えることは、先生は私にとっての恩人でありヒーローであり目標だ。 

さて、今まで何回も会おうと思ったけど行動をおこせなかったわけですが…。
今回は勇気を出して会ってみたいと思いました。
それはひとえに私自身パートだけど教育者の立場になったのも大きいかもしれません。 
様々な教育者や生徒に触れ合い、学び私自身気持ちの整理をつけたいと思いました。

まず、私が先生に会いたいと思った理由を説明します。
1.東日本大震災の一件以降いつ人は死ぬか分からないということ
2.後悔したくない、感謝は言わないと伝わらないと学んだこと 
3.忘れられててもいいから、一目先生に会いたかった
 これが主な理由です。

さて、少し先生とのエピソードを話します。 
今から22年前、私は当時小学校3年生でした。
親が前の年に離婚し、市営住宅に引っ越した結果転校を余儀なくされた時期。 私自身不安定で不安でどうしようもない頃。
妹が病弱で母は妹にかかりっきりで私はさらに話せる人が少なかった記憶があります。
そんな時担任になったのが恩師の先生でした。
最初は厳しく強面な先生が少し苦手でした。
けれど、先生と過ごすうちに先生の優しさに触れました。
当時9歳になった私に家事の大切さや、お茶の入れ方を教えてくれました。
今でもお茶は私の趣味で、大人になっても評判がいいくらいお茶つぎに自信があります。

家庭訪問の時先生に出して、褒めてもらったのをよく覚えてます。
次に私が妹から水疱瘡とおたふくを貰い長期入院した時です。
先生は仕事が終わると定期的に私のお見舞いに来てくれました。 
手土産にテレビカードや干し芋を買ってきてくれた思い出があります笑
そして先生は私がすぐ学校生活に戻れるように勉強を教えてくれたんです。
当時の公務員的に残業代なんかつくわけないので、先生の優しさを今なら理解できます。
子供の頃は入院してて勉強させられるなんて…という不満も多少ありましたが今となってはとても感謝しています。 
お陰様で小学校時代は80以下をとったことがほぼないくらい勉学が好きでした。
また、先生は国語の楽しさを教えてくれました。
今でも読書や活字を読み書きするのは好きなのでこれも先生のおかげです。
22年以上前のことなのに、こんなにもハッキリ思い出せるのは本当に記憶に残ってるんだな…と思いました。
他にも沢山ありますが、先生は私にとって母のような…そんな存在です。


話は逸れましたが、先生を探す上で何をすべきか調べました。
その結果県の教育局に連絡をし、調べてもらうことになりました。
今はまだ待ちの状態ですが、どういう結果になろうとも私は今日行動したことは忘れないし大切な行動だったと誇れると思います。

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