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歌川国芳 / メトロポリタン美術館
朝も夜もおんなじ
今日も夜がやってきました。
そして数時間後には勝手に朝が来るのでしょう。
去年の春は、川沿いのベンチでひとり、川の流れをぼんやり眺めながら
「私も川底の石になって、鯉たちの休憩所になりたい」と思っていました。
石たちには、明日もおそらく100パーセント今日と変わらない同じ日がやってくるから。悩みのない毎日。
うらやましい。私も石になりたい。砂でもいいです。
変化は、時にとんでもないダメージを私たちに与えることがあります。
いつも前向きにいられたらいいのに、と思いながらもなかなかそれがむずかしい。生きていると圧倒的不可抗力でぶん殴られて吹っ飛ぶこともあります。
朝からちっとも軽くなってくれないどころか、重さを増した憂鬱を抱えたまま夜を迎えることもあるでしょう。
それでも私たちはこうして生きています。
涙目で、沈む太陽を見送っている方も、ほとんど眠れずに途方に暮れたまま朝日を迎えた方も、これから少しずつ変わっていくでしょう。
なぜなら、それが人間の世界の特権だからです。
変わっていくこととは、新しくなっていくこと。新しい生活。
以前と同じ、あるいは、「また逆戻りかよ」と思えたとしても、それは同じではないのではないかと思います。
何かが変わっているはずです。たぶん。
そのわずかな変化は、私たちが前と同じ場所にはいないのだと控えめに教えてくれています。
朝も夜も勝手にやってくる。
それがおそろしいくらい、すばらしいことなんだと気づきました。
人間は傲慢だから生きていけるのかもしれません。
木にもなりたいです。
ここまで読んでくださっているあなたに、心からの感謝を捧げます。
ありがとうございました。
それではまた。
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