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父の教え〜生きるということ〜

 2016年元旦。久しぶりに父と会った。たわいもない話をしてたら、ひょんなことから問わず語りが始まる。戦争体験の話だ。

 フィリピンのルソン島で玉音放送を聞き、その後、半年、米軍の捕虜収容所で過ごした。担当のアメリカ人がよくしてくれ、他の捕虜より早く帰国することになった。横須賀、横浜は上陸許可が降りず、ようやく浦賀に上陸した。

 決死の思いで祖国に帰還したのに待っていたのは、軍刀を持った日本人上官の「明日の朝、お前たちを殺す」と言葉だった。

 悩んだ挙句、夜中、上官のところに行き、「そんなことをすればあなたの方が殺される」と諭し、何とか生き延びた。

 故郷を目指すが、両親に連絡するすべもなく、東京から汽車を乗り継ぎ、飲まず食わずで実家にたどり着いた。両親は大声で名前を呼びながらシラミだらけの自分を抱きしめてくれた。そして、銃弾で跳ね飛ばされ、途中からなくなった指を両手で温めてくれた。

 毎日、死と隣り合わせに生きることを強いられた時代を生き抜いた父は、その年の夏、天に召された。96歳だった。

 今、私は還暦を過ぎ、第二の人生を送っている。いろいろ悩みはあるが、戦禍をくぐり抜けて生きてきた父に比べれば、取るに足らないことだ。

 決死の思いで上官に立ち向かった父。「先のことを考えるより、今を必死に生きることだぞ」。毎朝、父の遺影を見るたびに、そう諭されている気がする。



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