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悪口がないと団結できない

人は、悪口がないと生きていけない(のかも)。

悪口のない職場で働きたいと思う。
最初は良くても、気心知れてくと、人の悪口ばかり。
いつでもどこでも同じ。
そして、よくよく考えると、
自分もしっかり悪口を言ってる側だったりする。
だから毎日こんなに気分が晴れないのか、と、
自分へのガッカリと納得で、ちゃぶ台をひっくり返したい気分。

他人の至らない箇所を指摘して、焦点を当て、
他人を落とすことで相対的に自分をあげる。
別の他人に同意を求めて、安心する。
仕事でも、学校でも、いろんな友だちの集まりでも、
気心知れた仲間が集まると、結局は悪口が生まれていく。
人は本心を内には秘めておけないから?
誰か1人が言い出すと、場の雰囲気という魔物が暴れ出す。
悪口に同意せざるを得ない魔物。
魔物はみんなの心の中に住んでいる。
悪口に同意する努力(相槌など)によって悪口は強められ、
新たな悪口が創造されるスパイラル。
最初は聞き手だった側も、だんだん止まらなくなって、
気付いたら、悪口の新たな創造主になっている。

そして傷付く。
悪口は、誰よりも自分が傷付く。
言った自分自身が、その言葉やニュアンスに重苦しく包まれる。
気持ち悪さが離れなくなる。
しかも、そういう気持ち悪い経験も重なると、
慣れて、麻痺して、
気持ち悪さにさえ気付けなくなる。
でも確実に傷付いてはいて、
時が経っても形を変えながらも、自分を傷付ける。

それでもなお、悪口をやめられない。
私たちは悪口を言うことで
自尊心を守り、生きる術としている。
他人の悪口を言い合い、共感し合うことは
何よりも強力なコミュニケーションツール。
残念ながら。
いつでもどこでもそう。

自分が悪口を言わないこと、
他人にも悪口を言わせないこと、
悪口以外をコミュニケーションツールとして仲良くなる
(別に仲良くなりたいわけでもないが、という人と)ことは、
かなりの難易度。

口は災いのもと。
めぐりめぐる。
悪口を言わない世界を作れるのは、自分だけ。
悪口のスパイラルを止めよう。

悪口を言わずにみんなと仲良くしたい。
多様な人を認め合うなんてキレイゴトみたいな話じゃなくて、
だからって、人がどうあれ無関心、とも違うし。
ただ、優しく「OK」と認め合い、
ニコニコ生きていけないのか。
縁あって同じ時を生き、伴走しながら走る仲間同士なんだから。

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