かみさま
小さいころから私のそばには神様がいる。
私が勝手にそう呼んでいるだけなのだが。
神様は7歳ぐらいの子どもの姿をしている。
私がとても小さいころ、初めての記憶は両親の姿ではなく、昼寝から起きたら子供用ベッドの上からニコニコと私を覗きこんでいる神様の姿だった。
私が幼稚園の頃、ちょうちょを追いかけているときに足がもつれて転んでひざを擦りむいたとき、神様は大きな声をあげて泣く私の頭をなでてくれた。その頃の神様は私にとっては少し年上の頼れるお姉さんのようなものだった。
神様は私以外の人には見えない。
私が神様についてほかの人に尋ねてみても、変なことを言うなと怒られた。
それから私は神様のことを誰にも言っていない。
「この人は私にしか見えないんだ。」と思うとなんだか気味が悪かったし、どこに行くにもずっとついてくるので疎ましくなって一度、「私に付きまとわないで!」と怒鳴ったことがある。
神様はしょんぼりした顔で泣きそうになっていたので、いたたまれなくなって「ごめん」と謝った。神様はそれからしばらくしょんぼりしていた。
小学生の頃、私は神様の身長を追い越してしまった。
神様は年を取らない。
私が中学生になっても、高校生になっても相変わらず神様は7歳のままの姿だ。
段々神様の年齢を追い越していくのがなんだか少し寂しかった。
どこにでもついてくる神様だが、トイレ、風呂といった水回りにはついてこない。空気が読める。
そんな神様と一緒に私はずっと生きていた。
「でさぁ、なんで何回も言ってんのにできないわけ? バカなのかお前」
「すみません。今度から気を付けます。」
「今度じゃ意味ねぇんだよ! お前がミスったから顧客一人減ったんだぞ」
「すみません。」
「すみませんで済んだら誰も困らねぇんだよ!」
「・・・・・・」
私は理不尽な理由で理不尽にクソ上司に怒られている。
その横で神様はほっぺたを引っ張って「いー!」という顔をしてクソ上司を威嚇している。
あっかんべーとかしている。
神様はいつでも私が理不尽な目に遭って耐え忍び黙っているしかないときに私の気持ちを代弁してくれる。
私がクソ上司の執務室から出て、廊下の隅でしょんぼりしてしゃがみこんで泣いていたら、神様は頭をなでてくれた。
「ありがとう。」
神様はニコニコしている。
神様は私が親から八つ当たりされて家から閉め出されたときも、テストで4点を取ったときも、クラスで仲間外れにされたときも、就職面接で落ちまくったときもいつでも私の頭をなでてくれた。
まるで生きているだけでえらいとでもいうように。
この小さい神様がいるおかげで私はどれだけ救われてきたのだろうか。
会社から最寄り駅に向かう帰り道に移動販売のたこ焼き屋が出ていた。
(買おっか。)
私は神様のほうを見て心の中で話しかけた。
神様がぱぁーっと笑顔になった。
たこ焼きを買って一人暮らしの部屋に帰る。
手を洗って服を部屋着に着替えている間、神様はリビングでたこ焼きが一刻も早く食べたくてしょうがないといった様子でちゃぶ台の周りをくるくるとスキップしている。
「今日はありがとう。」
私はたこ焼きを串にさして神様のほうに差し出す。
神様はたこ焼きをぱくっと食べると、熱さからなのかおいしいからなのか両手をぱたぱたさせて地団太を踏んだ。
神様に頭をなでてもらった日、私は「お供え」と称して神様に食べ物を買う。
普段、神様はものを食べないので食費は浮くのだけれど、ケーキだったりちょっとした移動販売を見かけたり、そういうときに買って自分も食べる。
私もたこ焼きを食べた。
おいしい、、、
私には神様がいてよかったなぁーと思うけれど、神様がいない人たちは一体どんなふうに生活しているのか全く想像がつかない。
理不尽な目に遭ったときに代わりに怒ってくれる人はいるんだろうか。
悲しいときに頭をなでてくれる人はいるんだろうか。
たこ焼きをあげたら喜んでくれる人はいるんだろうか。
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