仰向けで動かなくなった彼女は黒い奇妙な鳥に似ていた
9月からツイッターに投稿する短歌を画像化した。
短歌なんだから文字だけで殴るべきと思ってきたが、使える武器はなんでも使って殴るべきではないかと思った。
まぁ私が釘のついた金属バットを振り回しても猫パンチ程度の威力しかないわけだが。か弱いので。
ということで9月短歌まとめ。
なんか「あー幸せだな」と思う瞬間、それと同時に冷水をぶっかけられたみたいな感覚が裏側にべったりと張り付いている感じがする。
私が好ましく思っている人や憧れているような人は刹那的なときめきを与えてはくれるけれどそういう人たちの想定する「幸せにしたい」人の中に私は果たして含まれているのか考えたときにそれを受け取るだけの資格があるのかみたいなことを考えてしまう。
幸福とは、もっと素直で美しく当たり前に他人のことを思いやれるようなそういう人のために用意されているのではないのか。
手放しで幸せを享受できないのは人間として欠陥があるのだろうなと思うのだが、誰かから何かを与えられることで孤独が色濃くなることは当然ある。
これも常々思っていることではあるのだが、人間は何らかの記号によってしか認識されないし、その外側に出た瞬間いないことにされてしまうんだよな。
現代のガーゴイル、お天気カメラ。
寝る時もまた、身体の芯が冷えていくような気分になる。普段からずっと冷たいのだが、それが夜になるとより鮮明になるというか。
これは私が好きな小説に出てくる台詞だが、そう。そんな感じ。
好きな音楽を聴いているときこれ。
ずっとこれシリーズ。
GRAPEVINEの「Everyman, everywhere」って曲がめちゃめちゃ好きなのだが、なんかこう、人というのはどんなに強く思っていたことや持ち合わせていたものもいつの間にか忘れてしまうというのどうしようもないんだけど「あー」ってなる。
退廃、、、退廃だ、、、
N号棟って映画めちゃめちゃ好きなのだが、Nというのは文字式の自然数(Natural number)のことで、n乗とかそういうイメージ。
あとめちゃめちゃ地元のバスダイヤ減らされた。つら。
短歌であれ音楽であれ作り手の意図100%で届くことって絶対になくて、やはり受け取り手のフィルターが掛かる。
それってつまり全てのものは他人の手に渡った瞬間に壊れてしまうんじゃないのかと思った。
それは善し悪しだけれど、そうなるのは仕方がなくてその断片からもとの形を想像するか、その断片から新たなものを組み上げるしかない。
ローソンのチョコメロンパンがおいしくて、これ食べた瞬間の幸せな気持ちのまま死にたいと思った。
レイトショーのやつと鳥のやつはテーマとしては近しいのだけれど、あまり詳しく言及するのは野暮なので割愛。
作る短歌に意図的に、解釈を複数持たせているものがあるのだけれど、これもそういうやつ。
両方とも大変気に入っています。
オマージュと言葉遊びのやつ。
これ語感と意味と言いたいことがうまくまとまっているので気に入っている。
なんかこないだ歩いてたら手を握りしめていたのに雨粒が当たる感覚があってちょっと意味がわからなかったですね。
なんていうか、他人の痛みによってそこに共感して安心を得るみたいなことが人間の心の働きとしておそらくあって、そういうのって実際気持ちが悪いよな。という自覚がある。
ひとつ忘れていたので10/6追加。
コーヒー毎日飲んでる。
冷めたコーヒーほんと不味い。
これも語感と意味と言いたいことのバランスがよく収まったやつ。
よく、人の心はどこにあるのか。という話があるじゃないですか。心臓のあたりが痛むのは、頭が痛くなるのは、というやつ。
この解説みたいなやつもだけど言葉は並べれば並べるだけ薄く強度を失っていってしまうわけです。
痛みや仄暗さの物差しでしか他者に触れることができない。
ユニボールワンの黒って世界一黒いボールペンとしてギネス登録されてるんですよ。
またひとつ賢くなりましたね。
ユニボールワンで書いたんだろうか。
後半は気をつけたけどやはり短歌に人称、特に「君」「あなた」「僕」「私」入れると非常に安っぽくなるので本当は入れない方がいい。
他の人物を立てるとしても人称を用いない方法は動作や部位や痕跡などいくらでもある。
人称代名詞っていうのは最大公約数だからある程度の共感性を得られて適当にエモいかんじになるわけよ。人と人の間のことに皆興味があるから。だからこそ安易。みんな最大公約数を狙いに行くから。
私は素数の短歌が詠みたい。