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山羊

コンビニで買った昼食のたまごサンドを食べながら封筒を開ける。
知らない遠くの町に住む知らない人間のことが書いてある。
僕の知らないところでチューリップが盗まれ、ハマグリは砂を吐く。

この寂れた漁師町で簡易郵便局の仕事を一人でやり始めてからしばらく経つ。
郵便を受け取り切手やはがきを売るなどの業務を一人で淡々と行っている。
配達自体は隣町の大きな郵便局の配達員がやるため、一日の大半を事務所で過ごす。
この町の人間はあまり郵便を出したりしないらしく、正直かなり暇だ。
そんなとき、僕は人の手紙を勝手に読むということを始めた。

月に1度、同じ人間から同じ宛先に手紙が届く。
おそらく文通をしているのだろう。
ある日興味本位でこっそり持ち出して中身を読んだ。
全く自分と縁もゆかりもない人間の言葉を読むのはとても新鮮だった。
何でもない普通の日常のことが書いてあるが、全く知らない他人の生活を覗き見るのはこの退屈すぎて死にそうな毎日の中でとても刺激的なものだった。

そして、毎月1度、坂の上の下宿に住んでいる女性が郵便を出しにくる。
文通相手は間違いなくこの女性だろう。
彼女の手紙もこっそり開封して中身を読んだ。
文章が下手なのか、元からふわふわとしているからなのか、たまによくわからない表現が出てくる手紙だった。
それからというもの、僕はこの文通の内容を盗み見ている。

昼食時、お湯を沸かす際に湯気の上を数回くぐらせると糊がはがれる。
封筒が破けるようなことがあってはいけない。

勿論これは信書開封罪というれっきとした犯罪でありバレた場合1年以下の懲役または20万円以下の罰金に処される。

が、退屈な毎日にはこれぐらいのスリルがあったほうがいいと思う。

読み終わった手紙は丁寧にまた封をし、仕分け棚に入れた。


夕方、事務作業を終え、郵便局を閉めて自宅のある2階へと上がる。

もともとこの簡易郵便局は商店と住宅が一体となった建物だったが、商店が廃業したあと僕の祖父が近隣に郵便局が無くて不便だということで簡易郵便局を始めた。
両親が共働きのため、祖父に預けられていた僕は小さい頃から祖父の仕事を見て育った。
祖父は仕事を手伝うことを厳しく禁じた。
人様の手紙を預かるというのは子供にやらせれるような軽々しい仕事ではなく重い責任が伴う。というのが祖父の持論であった。
一度手紙の棚に手を触れたときなど思い切り頭を殴られたことがある。

祖父が亡くなり、主を失った郵便局を僕が引き継ぐことになった。
ずっと見ていたため業務は完ぺきに覚えていた。
あれほどやってみたかった郵便局の仕事も半年もやっていたらそのうちに飽きてしまった。
祖父のいた頃に比べるとこの町も人が随分と減ってしまい、そもそも郵便の流通自体が減っていた。
しかし他に特にやりたいこともなかった僕は相変わらずだらだらと郵便局員を続けている。
祖父とは違い他人の手紙を盗み見るようなひどい郵便局員として。

朝に作ったみそ汁の残りを火にかけ、冷蔵庫の常備菜を電子レンジで温めながら、僕は盗み見ている往復書簡について考えていた。
坂の上の女性の手紙にはよく海が出てくる。
高台に住んでいる彼女の家の窓からはきっと海がよく見えるのだろう。
この郵便局は海抜の低い場所にあるため海を望むことができない。
しかし郵便局自体は坂の上よりもよっぽど海に近いため、海からの肌にまとわりつくようなべとついた風だけが吹き込むため窓は締め切って除湿器を回している。
春先のこの時期はまだマシだが、夏場は地獄だ。

海は見えないのに海の匂いだけがする。
日が落ちて青く沈む部屋は海の底のようだった。
コンロの火と電子レンジの窓だけがぼぉっと光っている。
ぴろりろりろりろぴろろ、と電子レンジが温め終わりを告げる。

夕食を食べながら、もしも彼女達の往復書簡にイレギュラーなものを紛れ込ませたらどうなるだろうかと考えてみた。あるいは手紙の内容を別のものにしてしまうとか。
「もう手紙を書くのはやめにします」だとか「もう飽きてしまいました」だとか「あなたのことが嫌いになりました。もう手紙を送ってこないでください」だとか。

手紙を司る人間にはそういうことも出来てしまうのだと思うと自分が神にでもなったような気分になった。
実際そんなことをしても筆跡から一発で見破られてしまうだろうことは僕にもわかっていたのでやらないけれど。

僕はなんて性格が悪いのだろうか。

楽しそうに手紙を送り合うような相手は僕にはいないし、手紙に書けるような楽しいこともない。
そんな人間が人からの郵便物を取り扱っているのだからどうかしている。
しかし今更郵便局員以外の仕事をやる気にはならない。

食べ終え空になった食器を台所に持っていく。


やぎさんゆうびんという歌がある。
着いた手紙を読まずに食べてしまって内容が分からなくなる山羊の歌だ。
この歌に出てくる黒山羊は白山羊からの手紙を読まずに食べ、「さっきのてがみのごようじなあに」と返信を書くのだが、2番では白山羊もまたその手紙を食べ「さっきのてがみのごようじなあに」と黒山羊に返信を書く。
きっと、この山羊たちはずっとこれを延々繰り返していることをうかがわせる歌詞なのだが、もうきっと、手紙の内容などどうでもよく、手紙をやり取りする行為自体がこの山羊たちにとってメインなのではないかと思う。
読まずに食べられた手紙にもし「もういいです。」と書かれていても、食べてしまっているのでそれが分からずに山羊たちは返事を送るのではないか。
手紙に書かれた内容はわからない。
何度かのやり取りの間に何かが紛れ込んでいても彼らは気付かないかもしれない。
しかしこの郵便局には山羊からの手紙は集荷されたことがない。

その夜、夢を見た。

僕は牢屋で拘束されていた。
状況が呑み込めない。
目の前には白と黒の山羊を従えた軍服の男が立っていた。
「なんなんですかこれは。」
僕は尋ねた。
「貴様は人の手紙を勝手に読んだだろ。」
「読んでません。」
僕は嘘を吐いた。
すると、刷毛のようなもので足の裏に何か冷たい液体を塗られた。
「や、やめろ!何を塗った!」
「塩水だ。」
僕は嫌な予感しかしなかった。
山羊が放たれ足の裏がべろべろと舐められる。
軍服の男はどこかへと去った。

これはヤギ責めだ。ネットで見たことがある。
塩分を求めた山羊が足の裏をなめ続けやがてザラザラした舌により肉がこそげ取られていくという恐ろしい拷問だ。

人の手紙を盗み見た報いをこんな形で受けなければならないのか。
1年以下の懲役または20万円以下の罰金のほうがマシだ。

「やめろ!!やめろぉおぉ!!」
僕は迫りくる山羊の恐怖に打ち震えながら叫び続けたが助けなどやってこなかった。


気が付くと朝だった。
ひどく汗をかいていた。
昨日山羊のことなんて考えていたからあんな夢を見たのだ。
台所で水を飲む。
ぬるくてサビ臭かった。

山羊は悪魔の化身と言われているのが分かった気がする。
あれは悪魔だ。

僕はそれからしばらく手紙を盗み見るのをやめた。

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