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フェイクファー

僕はぬいぐるみだが、素性を偽り社会生活をおこなっている。

ある日、昼休みに公園のベンチで日向ぼっこをしていた。
ぬいぐるみはお腹が減らないが、太陽の光を浴びてふかふかにしておく必要がある。
すると、一人の青年が近づいてきた。

「膝、ほつれてますよ。」
「え、」

見ると膝から綿が出ていた。

「あー、、、」
困った。

「直しましょうか。僕そこの服飾の学校通ってて。」
肩から下げたカバンからソーイングセットを取り出すとあっという間に穴を塞いでしまった。

「ありがとう。助かったよ。」
「どういたしまして。それにしても、おにいさんぬいぐるみなんですね。」
「このことはくれぐれも秘密にしておいてくれ。とはいえ、膝に穴が空いてるのに気付かないようではダメだな僕は。」
「まぁ、そういうこともありますって。あ、そろそろ午後の授業始まっちゃうんで行きますね。」
「僕も戻らなきゃ。本当にありがとう。」

そうして僕らは別れた。

僕は古本屋で働いている。
大手のチェーン店などではなく、雑居ビルの2階に入居している小さな店で人がほとんど来ない。
扱っているのも専門書なので余計に。
こんなに人が来ないのに何を思ってオーナーが人を雇っているのかは分からないが、お給料が貰えるし暇なときに本を読めるのでいい仕事じゃないかと思う。
ぬいぐるみは水と火に弱いので飲食店で働くことはできないのだ。

「オーナー、戻りました。」
「おぅ、お帰り。んじゃ俺行くわ。店よろしく。」

オーナーは昼に1度だけ店に戻ってくるが、それ以外は朝の開店時にしか姿を見せずにどこかに出かけていく。

僕はレジに戻り読みかけの本を手に取った。
これは売り物の本なのだが、正直難しすぎて書いてあることの3割ぐらいしか分からない。
でも文字を読んでいるのが好きなので特につまらないということもない。
古い本に囲まれたこの空間にいることが心地よかった。
思想が刻まれた紙の束はそこにあるだけで人の気配を感じさせる。

今日はたまに来る大学の先生が本を5冊ほどまとめて買っていった。


仕事を終えて店を閉め家に帰る。
僕は電気のついていない暗い部屋に戻るのがどうにも苦手だった。
部屋に入る瞬間、ひんやりとした空気が身体の中にじわじわと染み込んでくるような気がする。
その気持ち悪さを誤魔化すように玄関で身体の埃をはたいて落とす。

ソファに横になるがぬいぐるみは眠くならない。
夜のこの時間が嫌いだった。
何年経っても慣れない。

本に囲まれた店と違い、この部屋にはほとんどものが無い。
それが余計に部屋の寒々しさを引き立てている。
昼間に吸い込んだ熱が今はほとんど残っていない。
自分が布と綿の塊だということを嫌という程思い知らされる。
このまま夜に飲まれてしまうのではないか。
 
毎晩そんな不安にとらわれながら夜を越えていく。
陽の光が窓から差し込んでくる瞬間、いつもほっとする。
身支度を整えて今日もまた仕事に向かう。
 
昼休み、また公園のベンチに座っていると、昨日の青年がやってきた。
「こんにちは。隣いいですか?」
「昨日はどうも。どうぞどうぞ。」
青年は僕の横に座ってお弁当を広げた。
 
「いただきます。って、なんか僕だけ食べてすみません。」
「ぬいぐるみはご飯食べないから気にしないで。」
「あ、そうなんですか。そういわれてみれば確かに。」
「そのかわり、ここで毎日陽に当たってるんだ。お布団をベランダに干すみたいな感じかな。」
「なるほど。」
「だから夜はちょっと苦手だな。身体がどんどん冷たくなっていってなんだか怖いんだ。ぬいぐるみは寝ることがないから朝がくるまでずっとその時間が続くのがちょっとキツい。」
 
そういうと、青年は箸を止めてちょっと間を開けてこう言った。
 
「僕は太陽の出ている時間の方が少し苦手です。」
「まぶしいから?」
「いや、外に出なくちゃいけないから。たくさんの人に会わなくちゃいけなくて、なんだかそれが疲れちゃうんです。好きな洋服の勉強をするのは楽しいけど、学校にいるのは苦手で。沢山の人の中にいると自分の輪郭がどんどん曖昧になっていくような気がして。だから夜に部屋に戻って冷たい空気を吸い込む瞬間、自分の輪郭を取り戻した感じがしてホッとするんです。」
「そうなんだ。」
「でもおにいさんはぬいぐるみだからかな。なんか一緒にいても疲れないです。」
「ぬいぐるみはそういうものだからね。それに誰かといないときのぬいぐるみはただの布と綿の塊でしかない。」
「夜が怖いなんて、僕は今まで考えたことがなかったです。でも、自分の存在が揺らぐような時間が毎日繰り返される感じはわかります。」
「僕らは似てるね。」
「そうですね。真逆なのに。」

僕らは「あはは」と笑いあった。

「そうだ、おにいさん、もしよかったらうちに来ませんか?」
「昨日今日で会ったばかりのどこの馬の骨ともしれないぬいぐるみを家に上げるのか君は。」
「だってぬいぐるみじゃないですか。ぬいぐるみは大抵出会ったその日、熟考したとしても1週間以内には家にいますよ。」
「それもそうか。」

僕はこうして青年の家に行くことになった。

午後の仕事を終えて公園のベンチで待ち合わせて青年の家に向かう。
それは町はずれのとても小さなアパートだった。

「どうぞ。」
「お邪魔します。」

電気をつけるとその部屋は控えめなアイボリーのドアからは想像もつかないほど鮮やかな色で溢れていた。
まず目に飛び込んできたのは壁一面に掛かる洋服、そして部屋の一角に置かれたミシンの周りにうずたかく積まれた様々なテキスタイル。
しかしそれ以外は至って簡素なインテリアでまとめられていた。

「散らかっててすみません。」
「いや、すごいね。この服は全部君が?」
「まだなかなか思ったようには作れないんですけどね。」
「僕は洋服のことはよく分からないけど、それまでなかったものを生み出せるっていうのはすごいことだと思うよ。」

僕がそう言うと彼は「ありがとうございます。」とちょっと恥ずかしそうに答えた。

「適当に座ってください。お茶でも出したいところだけど、、、」
「お構いなく。ぬいぐるみだから。」
「ですよね。」

とりあえず部屋の真ん中に置いてあるソファに座った。

「家に招いておいてアレなんですけどぬいぐるみってどうやってもてなしたらいいんですかね。」
「ぎゅってしてもらえるかな。」

すると青年は鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった。

「ぎゅっと、、、」
「ぬいぐるみはぎゅっとされるのが一番うれしい。」
「まだ出会って日も浅いぬいぐるみに抱きついてもいいもんなんですかね。捕まりませんか。」
「ぬいぐるみ抱きしめて捕まったやつはいないよ多分。」

青年はしばらくその場で考え込んだ。
そして僕の横に腰掛けてちょっと困った顔をしながらこう言った。

「・・・・・・この歳でぬいぐるみぎゅっとするのってイタくないですかね。」
「ぬいぐるみはふわふわしてるから痛くない。自分の部屋で体面を気にするのか君は。」
「そっか。ここは僕の部屋か。僕の部屋で合意の上ぬいぐるみをぎゅっとしても何も後ろめたいことは無いですね。」

青年は納得したように、ぽん。と手を打った。
昭和のマンガみたいなリアクションだ。

「・・・・・・それじゃ、失礼します。」
「どうぞ。」

ぎゅ。

あったかい。
おひさまよりずっとずっとあったかい。
誰かから抱きしめられたのはいつぶりだろう。

「おひさまの、匂いがしますね。」

僕に顔を埋めたまま青年が言った。

「そりゃ、毎日浴びてるからね。」
「・・・・・・ぐうぐう、、、」

寝てしまった。

僕はやっぱり一晩中起きていたけれど、夜に怯えずに朝を迎えることが出来た。
起きてからそのまま寝てしまったことを青年は何度も謝っていたけれど、久しぶりに朝に怯えずにぐっすり眠ることができたと言っていた。
僕たちは似ている。

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