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30代・イギリス大学院留学までの10ヶ月 前編

会社を辞めようと思い立ってから、海外行きを決め、大学院留学に挑戦し、実際に旅立つまでの出来事を月ごとにまとめてみました。『専門分野を極めるため』でも『キャリアアップのため』でもない、少し緩めな海外大学院留学準備の記録です。

はじめに

こんにちは。Emiです。先日イギリスの大学院を無事に卒業しました。専攻はInternational event management。勉強内容について詳しく知りたい方は是非過去のnoteをご覧ください。

このnoteの前編は留学のきっけについてです。私の場合「一度海外に住んでみたいな」という漠然とした「目的」を叶えるために選んだ具体的な「手段」が「イギリス大学院留学」でした。「海外大学院留学って結構ポップにできるんだ」ということが少しでも伝われば幸いです。

通常、海外大学院への進学は
・(日本では学べない)専門分野を極めるために
・キャリアアップのために
という大きな目標のために、通常約1~2年、長い人はそれ以上の時間をかけて準備をすることもあると聞きました。

しかし、私の場合は大学院受験を決めてから
・条件付きの合格をもらうまで約3ヶ月
・無条件の合格をもらうまで約5ヶ月年
という短期間で、実際にイギリスでの留学生活を始めました。

「次の夏休みはどこの国に旅行に行こうかな?」と考える様な時間軸(1年以下)で大学院留学が実現できるんです。

30代になり会社ではある程度できることが増え、このまま同じ会社にいればどんな未来を歩むのかが何となく見えてくるこのタイミング。そこでもう一度歩みたい人生を考え直し、その選択肢の幅を広げるための手段として、海外大学院留学はなかなか面白いのではないかと個人的には感じています。

前編の要約

この前編では大学院留学を決意するまでの5ヶ月間を、後編では受験を決意してから実際に留学に旅立つまでの、出願や勉強に関する内容をまとめています。

前編は要約すると、
・国際イベントの運営を経験して楽しくて、海外で生活してみたくなる。
・半年〜1年ふらふら海外生活をしようと決める。
・色々な理由からどんどんやる気がでてきて、大学院留学を決意する。
といった内容です。

なぜ30代でこれまでの学業・キャリアとは異なる分野で海外大学院留学をしようと決めたのか、その動機に興味のある方にご覧いただけたら嬉しいです。

10月:留学の動機づけとなる体験をする

2019年10月。日本で初となったラグビーワールドカップの開催時期に合わせ、ラグビーのクラブチーム国際交流事業の運営をボランティアとして経験しました。ウェールズ・カナダ・ニュージーランド・アメリカからラグビーチームを招き、日本チームを交えた5チームでのトーナメント戦、そしてホームステイ、小・中学校での英語&ラグビー特別授業などの企画・運営を事務局として実施しました。
父の長年の夢をサポートするという目的で始めたお手伝いでしたが、1年以上準備してきたことが実現し、心から感動。100人以上の海外から来た選手とみっちり過ごした5日間は本当に濃厚で、イベント終了後しばらく抜け殻になっていました。

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ニュージーランドの選手を空港にお迎えに行った時の写真

私の主な役割は小・中学校に選手を派遣する際の通訳の募集と運営、そして役員のおじさま方と若手運営メンバー間の情報共有と橋渡し。実際は100人の選手を受け入れ50以上の家にホームステイさせ15以上の学校に同時に派遣し、トーナメント戦や文化交流をする5日間のプログラムを、ボランティアの4人(私・妹・友人2人)で管理していたので、全員なんでも屋さん状態でした。事前準備における英語でのやりとりは英語が得意な妹が担当してくれていましたが、4チームの選手が来日してからは彼女1人で対応することは不可能。そこで私の拙い英語も戦力となり、ツアーガイドさながら数十人の選手を空港からホテルに連れて行ったり、各所でプログラムの説明などを担当をしました。

今振り返ると、約30年の人生の中で英語で大きな何かを成し遂げた初めての経験(それまでは授業や旅行中に使ったり、ちょっとおしゃべりするくらいでした)であり、達成感と悔しさの両方を感じていました。

11月:退職して海外へ行きたいと思い始める

当時の仕事は、入社当時からずっと携わりたいと意気込んでいた教育分野。社内公募で転籍した先で新しいプロジェクトを立ち上げ、マネジメントにも挑戦させていただき、それでもやっぱり顧客接点の最前線に戻りたい、と営業現場に戻らせていただいていたタイミングでした。大変だけどやりがいがあり、辞めたいとは全く考えていませんでした。

しかし、上記ラグビーイベント終了後、事務局全員が披露困憊で風邪で寝込み、約3週間のバカンスを日本で過ごしていたニュージーランドの選手を送り出し、英語通訳ボランティアメンバーと打ち上げをし、と徐々にイベントの余韻が薄くなり、日常生活に戻っていくにつれ、猛烈な虚無感に襲われるようになりました。

そして、気づいてしまったのです。私、今、ものすごく新しいことに挑戦したくなっている!

そう気づいた翌日に転職エージェントに登録し、最初にメッセージをくださった方と面談をすることにしました。

約1時間半のオンライン面談で今自分の感じていることや、上記のイベントについてなど色々話しているうちに「なんだか気づいちゃっているって感じですね。」と言われ、「せっかく9年も勤めてきた会社を辞めるんだったら、さっきからずっと会話の中に出てきている海外にチャレンジしてみれば?」というアドバイスをいただきました。

確かに、中学・高校時代には教科としてそれなりに得意だった英語ですが、帰国子女が多い大学に入ったことで苦手意識を持つようになり、英語で誰とでも話せる人を「かっこいいな」と思いつつなんとなく目をそらすという、典型的な英語コンプレックスを抱き続きてきたような気がします。

ラグビーのイベントを通じてたくさん英語で話をして、リアクションが返ってきて、とにかく楽しくて・・・。そんな経験をして、やはりもう一度チャレンジしてみたいという気持ちが湧いてきていました。

決断の際、背中を大きな力で押してくださったエージェントさんの一言があります。

「今後の人生においてずっと後悔し続ける可能性が高いことを、
今1つでも減らせるかもしれないとしたら、そこには大きな意味がある。」

「今はその大きなチャンスだから、急いで転職するんじゃなくてその道も考えてみて」と。営業色0のその言葉に心底感動し、この時「会社を辞めて半年以上海外で過ごしてみよう。」と決めました。

その時お話しを聞いてくださった佐藤さんの会社がこちらです。

12月:仮の留学先を決め退職を申し出る

会社を辞めて半年以上海外で過ごすと言っても色々な選択肢があります。

・世界一周旅行
・ワークキャンプ・ボランティア
・留学(語学・大学院)
・海外インターン

色んなサイトを見てみたけど可能性が広すぎて絞りきれず、社会人留学の経験がある友人に相談してみました。そこでもらった一言は「自分が海外から帰ってきた時に、一番得ていたいものは何か考えてみて」という言葉。

そう問われて初めて「英語を使って働けるようになりたい」「ラグビーのイベントの時みたいに働きたい」という高校生のような純粋な自分の気持ちに気づき、言葉にすることができました。

もともと海外旅行は大好きで、大学時代〜社会人の間に20カ国ほど行ったことがあるのですが、今回は色々な場所を転々とするのではなく、1つの場所にじっくり滞在して「暮らす」ことがしてみたいなとも思いました。

そこで世界一周旅行やワークキャンプはリスト外に。「社会人・海外留学・インターン」でネット検索して出てきた「アメリカの大学でビジネスコースを半年〜9ヶ月受講し、その後3カ月自分で探して応募した企業のインターンシップに参加する」というコースに参加することに決めました。

英語環境の中で半年〜1年で留学と就業の両方を体験する。という私のやりたいことを全て叶えられると思ったからです。

学位が取れるコースではないので、留学に必要な要件が低く(私が行きたかった大学はTOIEC830点)、授業自体もビジネスの基礎的な内容とインターン準備をするような内容なので、「ある程度日本語でなら分かることを英語で学び直して実践の準備をする」ことができると考えました。

費用は滞在費・学費・保険等を含めてたしか400〜500万円ほどで、貯金と退職金で賄える範囲でした。

退職を決めた翌週には↑の留学エージェントさんと面談。その次の月曜日に上司に対して退職を申し出ました。

「なんか海外向いていると思う、頑張れ!」と応援してくださった当時の上司には今でも感謝しています。

1月:仕事と英語の勉強を頑張る

当時所属していた部署は年度サイクルの事業だったので、1月はまさに最後の一踏ん張りの時期。立つ鳥跡を濁さず、ではありませんが、この時期は気持ちよく旅立てるように仕事を頑張っていました。

合わせて、アメリカの大学への出願資格獲得のためにTOEICの勉強をしていました。1月のテストで無事第一志望に必要なスコアをクリアできたのでほっと一息。ちなみにTOIECのスコアは元々が730点、2ヶ月ほど勉強して870点でした。

また、会社内でプロトタイプ的に始まった「ミネルバ大学とコラボのAll Englishで受けるリーダーシップ研修」が始まったのもこの時期でした。ちょうど退職・海外行きを決めた時に募集が始まったので、勢いで応募してみたところ受かり、参加させていただくことができました。

週1、2時間の授業とその前の膨大な事前課題がある3ヶ月間というのは今思えば大学院の授業1つを取っていたのとほぼ同じような内容だったなと思います。最後の課題は確か1000 words程で軽いものでしたが、授業の予習・復習・発言も全て英語、事前課題が毎回数時間かかると、働きながらこなすにはかなり重かったのを覚えています。でも、ここで学び始めたことが楽しくて「もう少しちゃんと学問をやってみるのも良いかも」と思い始めました。

2月:イギリス大学院留学を決意

そして運命の時がきます。このタイミングで急にイギリスが候補として出てきて、しかも大学院に留学することになるんです。

理由は色々あるのですが、

1)1月から始まったミネルバ大学の研修でもう少し負荷の高いちゃんとした留学をしてみるのもありかもと思い始めていた

それに加えて、

2)今後海外で働く時に働きたい分野の学位を持っていた方が良さそうだと気づいた

というのがあります。

実は留学を決意したタイミングで当時付き合っていたパートナーとお別れすることになり、「英語を話すパートナーを作れということか」と都合よく解釈し、日本に住んでいる英語話者の方数人とデートをしていました。そのうちの1人の方が実は大学卒業資格がないために、日本滞在ビザを延長するのにとても苦労していることを知り、「留学後はそのまま現地に残って仕事に挑戦できたらいいな」とぼんやり思っていた私は、学位が出ない留学は実はコスパが悪いのではないかと考え始めました。

私は大学卒業資格は持っていますが、専攻は教育学です。就職したい分野の学位を持っていないと就職ができない、またはビザが取れないということもあるようなので、外国で教員になりたいと思っていなかった私は、ビジネスの学位を取った方が良いのではないかと思い始めました。

そして最終的なきっかけは、

3)新しくできたパートナーがギリシャ人だった

ことです。笑えるくらいキャリアとも学問とも全く関係ありませんね。笑

1月から付き合い始めたギリシャ人のパートナー(無事新しいパートナーができたのです!)は日本に留学中で、私が留学を始めるタイミングで母国に帰る予定になっていました。その彼とちゃんとお付き合いをしていこうという話になった時に「ところでアメリカとギリシャで僕たちの関係はworkすると思う?」と問われたのです。

確かに!!!アメリカとギリシャじゃ遠過ぎてなかなか会えない。それは辛いよね。と思い、12月に色々リサーチしてた時に今からでも間に合う英国MBAという広告を見たのを思い出しました。ギリシャとイギリスなら同じヨーロッパ内なので往復1万円以下で行き来ができることも分かり「これはイギリスしかない!」と、その週末に英国留学のエージェントさんにアポをとって面談をすることになりました。

約2時間のアポで、ことの経緯を全て話し、鼻息荒めに「今年9月からのイギリス大学院留学、まだ間に合いますかね?」と担当の方に問いました。

「保証はできませんが、やれるだけ一緒にやってみましょうか。」という返答をいただき、そこから留学に向けた準備を進めることになりました。

↑最終的にお世話になったイギリスに強い留学エージェントさんです。口コミを聞くと賛否色々あるのですが、私は利用して良かったと思っています。私の場合は準備期間が3ヶ月と短期だったため、BEOさんの知見なしには間に合わなかったと思います。

BEOさんでは初回の相談担当の方(営業?)とその後伴走してくださるカウンセラーの方が異なるシステムの様なのですが、初回の相談担当の方が、私の熱量を理解してくださったのか、時期がギリギリだからなのか「今から次回のアポを調整してきます。あなたの場合、カウンセラーが誰でもいいってわけではないですからね・・・」と言って時間をかけてアポ調整をしてくださったのをよく覚えています。

アサインいただいたカウンセラーの方は、過去にイギリス留学を実際に体験された方で、この後志望校を決めていく際にも有益な助言をいただき、今でも本当に感謝しています。

さて、ここから大急ぎのイギリス大学院留学準備が始まります。
続きは後編をご覧ください。


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