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仕事上の価値観の差

仕事とは何か。

仕事とはお金を稼ぐ事だ。

お金を何故稼がなければいけないか、それは生活を維持する為だ。仕事を促す立場として、それを導く立場としては、そこを十分に理解していなければいけない。

仕事をして、自分で稼ぐという事を勧めるには、私自身が自分で稼いでなければ言えないからだ。

世の中に出る事は確かに怖いかもしれない。それはアルバイトでも、正社員でも非正規でも同じだ。

何かに興味があって、それをプロとしてやりたい、そして、お金を対価としてもらう事には変わりはないはず。

人は恐怖が先行すると、自分が何かを始めようとする事を怖がりやめてしまう。そこから抜け出せない人がちらほらおられる。

私が思うに、このやめてしまう方は、さほど人生でお金を欲していないか、困っていない人だ。

これから困るかもしれない人生でも、恐怖が先行すると、今今の現状に甘えてしまうのだ。

最近身近に感じた事は、人の価値観の差だ。仕事の価値観の差、そしてそれは同時に金銭欲の差である事を感じた。

ある人はもっと稼ぎ、充実した毎日を送りたいと思っている。又ある人は、さほど稼がなくても、節約していけば、何とかなると感じている。

この価値観の違いは、仕事の量に比例する。そして、この価値観があう人同士しか仕事に対する熱量を共感する事が出来ない。

ある人は「こんな仕事をしている自分がいいな」という空想を追い求めて実際にはずっと働かないでいる。

又ある人は、「自分の好きな仕事で、1億稼ぎたい!」など、具体的な金額が分かっている。

この違いは欲望の差であり、熱量の差であり、仕事の価値観の違いである。

自分の欲望の深さを知らない人は、ずっと分からないまま、仕事や自分がそうなっているというイメージで何かをしようとする。

そして、イメージでやってしまうからこそ、そのイメージは時と場合で変わってしまうのだ。そうすると、今は忙しいからできないとか、家庭の事を理由にまたもや自分の仕事、自分で稼ぐ事をやめてしまうのだ。

それでいいならば、きっとそれでもいい人生なのだと思う。

それならば、それをまずは自分で見極める必要がある。

教える立場としては、こうやったらいい、ああやったらいいと、時間を費やし、愛情をもって接している。

ただ、相手の仕事の価値観が不安定、又は不明、止めてしまう方だと、それが無駄に終わってしまうことが多々ある。

私は何回もそういった方と接してきたが、最終的には、その方は世に出るという事が出来ないか、稼いでも、少ない。

私は、リスクを負えば追うほど、稼げると思っている。それは賭け事も同じだし、小さくかけて、大きい利益は出にくいし、そんなに世の中甘くは無いと経験上分かっている。

これから先、どの企業に属そうが、アルバイトだろうが、自営だろうが、3年先その企業さえ存続が難しいと思う。

それよりも自分がこれから死ぬまで、今やっている仕事が続けられるかどうかを考えるべきだ。

私は自分の母を介護しているので、よくわかる。人は老いるとほとんど動けないし、好奇心も無くなるし、力も無い。移動力も衰えるし、頭も回らなくなる。

そんな時、自分を雇ってくれる社会が存在するだろうか。

きっと、無いと思う。

今でも仕事に悩んでいる人だったら、この先も同じ事を繰り返すからだ。だから今からでも遅くは無い。自分がずっと死ぬまで出来る仕事を見つけるべきだ。

まず定年は無いからだ。そして、体力を主に使うものは、まず身体が健康でなければ続ける事は不可能である。だからこそ、体力があるうちには、これをやるというのは、趣味範囲であれば良いと思うが、仕事ではどうだろうか。

今は分からないかもしれないが、いつまでも旦那がお金を稼いでくれるとは限らないし、今は円満でも離婚するかもしれない。

子供も、いつまで健康でいられるか分からないし、子供が自分の面倒をみてくれるとも限らないのだ。

私は子供が一人おりますが、この子が私の面倒を見てくれるとは思ってはいない。それよりも私は自分生命があるうちは、自分で自力でお金を生み出し続け、さらには一人で自分の身の回りの事が出来るようにしたいと願っている。

私の母は、勝手に自分の地元に老後働けなくなったら帰り、今まで縁も無かった兄弟や兄弟の子供をあてにしていた。私は初めからわかっていた。そんなうまい話は無いと。

兄弟や兄弟の子供が、母の面倒を見るほど、暇じゃないし、そんな恩はないだろうと。

こうやって、ぼんやりした未来、老後を夢みていると、痛い目にあう。

母がそうだ。自分の後しまつぐらいは自分で具体的に考えておく必要があるだろう。子供と無縁になっている人は、自分が孤独と戦うしかない。急に自分が動けなくなったら面倒みてくれるなんて都合の良い話は無いからだ。

そして、人は必ず死に、人は必ず老いる。

今まで人との縁を切って切って切り刻んできて、友達なんていらないという態度や、自分の話しかしない、人の話をしないような自分勝手な事をしてきた方は、必ずといっていいほど、老いてくると人が恋しくなる。

そうなってからじゃ遅いんですよね。

でも、その方は自分勝手なので、自分が苦しい時、寂しい時だけ、人に媚びてなんとかしてきたので、老いた時にもきっとそうするのだろう。

そんな方を沢山みてきた。

自分が一人で生きていると思わない事。そして、自分の身の回りの人を大事にする事。相手から何も返ってこなくてもだ。それは必ずあなたに返ってくる。

老いても性格が良い人はいるし、それは人にぶつかって、人と関わって、丸っこい石になったからだ。

誰ともぶつかってこなかった人、人のいう事を聞いてこなかったつくつくにとがった石は、対相手がいると傷つけてしまう。そんな人になると、施設からも追い出されてしまう、厄介な人間になるだろう。

そうならないためには、今から人と会い、人を大事にする事だ。

仕事の熱量以前に、人間としてまっとうに生きていく事がとても大事だと本当に思う。

お金を稼ぐのは、まず人間がしっかりしていてこそだ。自分がどんな人間か、まっとうかそうでないか、人を大事に生きているのかどうか、人の役に立つ為に何か持っているのか、持っていないなら、努力をしているのかを常に考えてほしい。

それは自分が老いた時、かならず自分が得をする。この業を徳という。

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