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カリフォルニアン・イデオロギー


The Californian Ideology


 いまの時代を捉える重要なワードのひとつと思うので、まずこの項目から始めたい。折にふれて更新し、バージョンアップを期す予定。以下は引用とリンク。


サブカルニッポンのレベルロック (1)
https://plaza.rakuten.co.jp/ken5551/diary/200904140000/

"「カリフォルニアンイデオロギー」とはヒッピーの理想とコンピュータ技術者であるハッカーの理想が交じり合った混合物である。ヒッピーもハッカーも反権威主義、自由の尊重という点で共通点がある。しかしヒッピーはその先に人間の本来性の尊重という反属性主義、コミュニティー志向、脱資本主義という理想を持っていた。それに対してハッカーの反権威主義や自由の尊重は、個人の実力の評価という反属性主義、フロンティア志向、資本主義の肯定に連なるものであった。目的は逆であるが、反権威主義と自由の尊重そして反属性主義という共通点からヒッピーの理想とハッカーの理想は重なり合い、「カリフォルニアンイデオロギー」が出来上がった。"


【書籍化記念・無料公開】宇野常寛『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』第1回〈サブカルチャーの季節〉とその終わり(1)
https://note.com/wakusei2nd/n/n6430810efa51

カリフォルニアン・イデオロギーの登場

 しかし、若者のサブカルチャーを語ることが、そのまま社会を語ることだった時代は終わろうとしています。その変化の発端は、一九七〇年代にアメリカ西海岸で勃興したヒッピーカルチャー、これがいまの世の中を動かしている思想である「カリフォルニアン・イデオロギー」を生み出すのです。

 カリフォルニアン・イデオロギーの代表的な存在がAppleの創業者スティーブ・ジョブズです。彼に象徴されるような、アメリカ西海岸のIT業界のパイオニアのルーツは、七〇年代のヒッピーカルチャーにあるんですね。

 当時の彼らの考え方はこうです。政治運動による革命は失敗した。世界を変えることはできない。だったら、自分の自意識のほうを変えていこう。こうしてドラッグ、オカルト、ニューエイジといった新しいカルチャーが生み出されます。そのなかのひとつに「サイバースペース」がありました。

 奇しくもそれは、最後のフロンティアであるアメリカ西海岸で起きました。アメリカ大陸の開拓の歴史は、大西洋を渡り東海岸に入植したイギリス人たちが、フロンティアを求め西部を目指したことからはじまります。いまのカリフォルニア州にあるシリコンバレーは、アメリカ大陸の西の果てであり、そこから先に新しい土地はない。そこで花開いたヒッピーカルチャーは、行き止まりの現実世界ではなく、仮想空間にフロンティアを求めました。当時勃興しつつあったコンピュータカルチャーと合流し、サイバースペースを開拓する道を選んだんですね。

 当時はいまほど直接的に情報技術が現実に影響を与えるとは考えられていなかった。サイバースペースはあくまで仮想空間であり、ある種のファンタジーの世界でした。それがテクノロジーの急速な進歩により新しい考え方が生まれます。サイバースペースがグローバルな資本主義経済と結びつけば、世界を変えられるのではないか。GoogleやFacebookを見れば明らかですが、サイバースペースでビジネスを展開する企業は、国境線とは無関係に活動領域を拡大しています。サイバースペースという超国家的な領域がグローバル資本主義と結託すれば、マーケットから世の中を、それもローカルな国家を超えて、グローバルな市場から世界全体の規模で変えられるのではないか、という一種のユートピア思想が生まれるんですね。これがカリフォルニアン・イデオロギーです。その影響で二一世紀に入ってからは「自意識ではなく、世界を変える」という思想が、再び強くなってきています。

サブカルチャーの時代の終焉

 カリフォルニアン・イデオロギーが広がることで、「自意識を変える」よりも「世界を変える」ことのほうにリアリティが出てきた。社会の前提が変化したことで、サブカルチャーについて語ることが、そのまま社会を語ることと結びつかなくなっています。いまの時代、『エヴァンゲリオン』や『ガンダム』『ナウシカ』について語るよりも、FacebookやGoogle、AppleやLINEについて語ることのほうが、世の中について説明しやすいのは明らかです。




wikipedia
The Californian Ideology
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Californian_Ideology

wired
いま「カリフォルニアン・イデオロギー」を考える意味:ケヴィン・ケリー、『WIRED』を語る(下)
https://wired.jp/2018/11/12/kevin-kelly-interview2/


純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落/井上智洋
日本経済新聞出版(2019/5/24)
のamazonカスタマーレビュー “「1968年革命」の意味” より(読みやすさを考慮して一部を改行)。


 私たちはなすベきことではなく、したいことをするようになる。仕事をしたいから仕事をする、勉強したいから勉強する、遊びたいから遊ぶ。1968年、当時の学生たちは、「~すべし」と命令する父権的な強迫観念から解き放たれたかったのではないだろうか。「父権的な強迫観念から解放」とは要するに、「根源的思考への志向」であり、それはすなわち「自己感覚を拠りどころとする」ということだった。さらにそれはアナーキズムに通ずる。

 現代のアナーキズムは、
⑴ドゥールズ&ガダリの思想
⑵カリフォルニアン・イデオロギー
⑶リバタリアニズム
という三つの要素を持っており、いずれも中枢=国家に対して否定的だ。

 とりわけ「1968年革命」の精神は、「創造的破壊」ということで「カリフォルニアン・イデオロギー」へと通じてゆく。「ヒッピー」に象徴される「カリフォルニアン・イデオロギー」の中から、マッキントッシュやウィンドウズやアイフォンが生まれ出る。

 21世紀を発明した人々が、スティーブのように、サンダル履きでマリファナを吸う西海岸のヒッピーだったのは、彼らが世間と違う見方をする人々だからだ。東海岸や英国、ドイツ、日本などのように階級を重んじる社会では、他人と違う見方をするのは難しい。まだ存在しない世界を思い描くには、60年代に生まれた無政府的な考え方が最高だったのだ。







最終更新 21.08.22


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