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448.【オジャさんの「ノベルセラピーワークショップ」体験しました!】

(人は、自分の中から出てきた、自分で紡いだ物語に、癒される)
(治癒のチカラはその人の中から、無限に湧き出してくる)
 
(グループのメンバーが紡いだ物語に、癒される)
(グループのメンバーのふりかえりに、扉がひらく)
(グループのメンバーからいただく感想が、宝物)
 
人の「声」というものは、なんと優しくふれてくるノックなのだろう。
 
みなさんが紡ぐそれぞれの物語は、共通のテーマを持っていたり、シンクロを感じるものがあったり、自分では絶対に思いつかないアイテムや展開に反応しているうちに、心が、どんどん動き始め、柔らかくなっていく。
 
短編集のようでいて、連続した長編のように感じられ、全編とおして、一つの壮大な物語だと感じる。
 
*****
(人は誰でも自分の物語を持っている)
(自分で自分を、癒すことができる)
(名前の音には、使命とメッセージがある)
 
これまで、大切にしてきたもの、信じてきたものが、つながっていることの歓び。

(本文より)

 
************
 


尾道の露地の奥の素敵な本屋さん 紙片さんより

私は、子どものころから物語が好きで、大人になった今でも、ずっと読んでいる。
通勤電車は読書タイムで、駅を乗り過ごしてしまうほど夢中になれる本に出逢えることが、至福の歓びだ。
本を読まない日はない。
言葉に癒され、物語に癒され、物語のチカラを信じている。
 
読み手には、すぐになれる。
でも、書き手には、なかなかなれない。そう思っていた。
 
ところが。
たった30分で、書き手になっていた!
 
「ノベルセラピー」というものがあると知ったのは、いつだっただろう?
本は好きだけど、「セラピー」とか「カウンセリング」とか、そういう、「人に何かを話すこと全般」に抵抗があるので、遠巻きにしていた。
 
でも、「ノベルセラピー」の創始者 オジャさんのインタビューの動画で、「主人公に名前をつけると、命が生れ、物語が動き出す」ということを、お話されているのを聴いて、
 
(このかたのワークショップを受けたい!)
 
と思った。
名前の持つチカラを、私も、ずっと感じているからだ。
 
◆語り部になる
 
そうして、受講の日を迎えたノベルセラピーワークショップ。
 
(楽しかった!)
 
頭で考えていたら、たぶん、何日かかってもできない。
でも、決して枯渇しない泉のような、無尽蔵の引き出しがあって、そこにアクセスし続ける回路があるのだと知る。
 
そうとしか思えない不思議さで、短い時間なのに(だからこそ)、インスピレーションによって、どんどん物語が進んでいく。
 
びっくりしたのは、物語が、創っているあいだに変わっていったことだ。
 
〈成長する〉
〈レイヤーが深まる〉

 
といったほうがぴったりかもしれない。
漠然とイメージしていたものに、焦点が合っていったとき、そこに浮かび上がっていたもの。
それは、思いがけない、私の「願い」
 
最初のころは、ぎこちなくて、頭で考えているようなところがあったとしても、どんどん進んでいくうちに、いつのまにか、瞬時にアクセスする通路ができ、そこから何かがやってくる。
 
あまりにも突拍子もなくて、自分から出たとは思えないアイテムも。
そのときにはわからなくても、あとになって、じわじわとひびいてくることも。
 
いちばんおどろいたのは、そうやって、オジャさんからの質問に答えながらメモした断片をつなげて、即興で語り部になったことだ。
 
ふだんは、どんな文章でも、どんなに短くても、人に伝える文章は、何度も読み返して文体を整える。
手紙も下書きしてから、便箋に書く。
そのくらい、私から最初に出てくるものは、自分本位で、説明が足りない。
ましてや、話し言葉のような、しどろもどろで、むちゃくちゃなものを、人に伝えるなんて、ありえない。
 
でも、できた。
しかも、メモにはないことまで、即興で話している。
 
話しながら、思い出していた。
 
小学生のころ、毎晩、妹とかわるがわるに、ほとんど口からでまかせに、勝手に創った物語を、並べた布団の中で、好き勝手に話していたことを。
 
おふろに入って、パジャマに着替えて、ほかほかの身体で布団に入るのは、冒険の旅に出かけるような気持ちでいたことを。
目をとじれば、満点の星がきらめく空の下で、野宿しているみたいな気持ちでいたことを。
 
たとえば、砂漠。たとえば、浜辺。たとえば、森の中。
そのときの、わくわくと、高揚感。
 
オジャさんの「ノベルセラピー」を体験して、確信できた。
 
(人は、自分の中から出てきた、自分で紡いだ物語に、癒される)
(治癒のチカラはその人の中から、無限に湧き出してくる)
 
こんなことも体験した。
 
(グループのメンバーが紡いだ物語に、癒される)
(グループのメンバーのふりかえりに、扉がひらく)
(グループのメンバーからいただく感想が、宝物)

 
人の「声」というものは、なんと優しくふれてくるノックなのだろう。
 
みなさんが紡ぐそれぞれの物語は、共通のテーマを持っていたり、シンクロを感じるものがあったり、自分では絶対に思いつかないアイテムや展開に反応しているうちに、心が、どんどん動き始め、柔らかくなっていく。
 
短編集のようでいて、連続した長編のように感じられ、全編を通して、一つの壮大な物語だと感じる。
 
◆名前からの贈り物
 
名前の持つ「ことだま」をひもとくことは、私のライフワークなので、グループのみなさんの名前にも、主人公や登場人物の名前にも、メッセージの音連れを感じる。
 
たとえば、今回のワークショップでご一緒したかたのお名前は、「てるみ」さん、「みき」さん、「えみな」
 
(みんなに「み」の音が!)
 
物語の主人公の名前は、「テアリー」「ミラ」「ハル」
 
(みんなに「ら行」の音が!)
 
やまとことばに秘められたチカラがあつめられた、主人公の名前のことだま®は、その名前を呼ぶ作者への贈り物だ。そのことを、伝えたい。
 
ワークショップは、それぞれの物語を語り部となって伝え、シェアタイムで終了する。
自分の物語を聴いてくれる人がいて、感じたことを伝えてくださることの歓び。
 
それで終わりではなく、その日のうちに「文字化」する作業がある。
私にとって、「文字化」は、新しいアトラクションに乗り込むことだ。
 
(楽しかったーーーー)
 
ワークショップで語ったときが、「スクリーンに映ったムービーを観ながら描写している」としたら、文字化するときは、「バーチャル空間に入り込んで、登場人物となって、実際に演じながら描写する」ことだと、わかった。
 
すべてがリアルに体感でき、外からではなく、内側から体感し、それを文字にしていく。
 
(「私」という肉体を離れて、登場人物の肉体に入る)
(そのことが、癒し。禊。浄化)
(そんなことが、できるなんて)

 
物語で主人公が進んでいくのは、自分自身の「願い」だ。
 
(そんなものがあるならほしい)
 
と願っているものを、主人公は物語の中で、手にする。
その体感。
 
文字化した私の物語は、1500字ほど。
どの場面を書いているときも楽しく、何度読んでも楽しい。
 
(人は誰でも自分の物語を持っている)
(自分で自分を、癒すことができる)
(名前の音には、使命とメッセージがある)

 
これまで、大切にしてきたもの、信じてきたものが、つながっていることの歓び。
 
◆ノベルセラピスト
 
オジャさんにお願いして、「ノベルセラピスト養成講座」を11月に受講させていただく。
ワークショップの準備ができたら、ご案内します♪
 
浜田えみな
 

 
 
 

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