政権批判と国民感情への配慮、そして自由について
知識共有サイトQuoraで質問回答やオフ会開催などしている私ですが、そこの体験を通していろいろ思うことがあります。
先日投稿した質問に対し、中国の方々含む数名からご意見を頂きました。
ざっくりいうと、この質問が国民感情に十分な配慮をしておらず挑発的であるというもので、それはモラルに欠くのではというご意見もありました。
これの前にはもう一つ他の質問を投稿しています。
TwitterやYoutubeで勇敢に情報発信していた陳秋実さんが失踪した件です。
潜在的に、中国でも、現政権への疑念や不信感を抱いている人々は当然いるはずです。
そういう人々による反発心が、こうした出来事により強まることは想像はできます。
ですが、政権による徹底的な監視と言論統制により、意義を唱える事すら難しく危険であり、反乱は尚更非常にリスクが高く、現実的ではありません。
それをわかっていてあえての質問なので、挑発的であるのは否定しませんが、これによって中国の方々や中共に寄り添う立場の方々の思考や心理の露出と、問題意識の喚起を狙いました。あえて、です。
この辺りが、中国のユーザーさんや他の一部ユーザーさんから見れば『モラル』や『配慮』に欠いていたのでしょう。
がしかし、そこに問題があるとわかっている時に、更に覆いをかけて見て見ぬふりをするのは、私はしたくありません。
カルト宗教にのめりこんで心身の自由を奪われた状態の人に対し、真実に目を向けようと促すことで彼らに起きるであろう感情の揺れを懸念して、何も指摘せずに放っておくのは良いことでしょうか?
それは優しさなのでしょうか?
民主主義が機能している国であれば、その国の政権に対する批判はごく当たり前に許されていますし、実際に日常的によくあることです。
ここで、
天災の際にこう言う不謹慎な質問をするのはいかがなものですかね。。ちょっとモラルを疑います。
というご回答をいただき、コメント欄や他のご回答でも同様のご意見がありました。
天災の際に”政権批判”をするのが不謹慎であるというのは、実に奇妙です。
日本の大震災の際、政府の対応が不適切であると感じた一部の国民がそれを批判したり強い怒りを表明したとして、一体誰が同様の意見を述べるでしょうか?我々の記憶に新しい近年の数々の大きな災害時にはむしろ多く見られた反応です。
これを、モラルに欠き不謹慎であると感じてしまう方に問題があるのは明らかです。そう感じるのは、そこの人々に自由な言論が許されておらず、政権を支持し従うことが強制されているからなのは誰にでもわかるでしょう。
彼らがこうして、『反乱』という語に敏感に反応してしまう状況があまりに異常なのです。
純粋に、自由に、政権や習近平を愛しているのであればよいですが、これには懐疑的にならざるを得ません。
人はすべて、自由に考え、自由に批判し、自由に発言をする権利が当然あり、それは守られないといけない。
それが著しく侵害されている隣国の状態を、黙って無視したり、温存する姿勢に加担することは、私はしたくありませんし、しません。
関係ない国の話ではありません。
中国は強大です。世界でトップの技術力を持ち、権力を世界中に拡大しています。彼らの能力の高さに圧倒され称賛すると同時に、その合理的ではあるけど国民の自由を無視したやり方に、今後人間の価値が大きく塗り替えられてしまう可能性を予感し、恐れを覚えます。
フランス革命をはじめとした歴史の中で人類がやっと確立してきた、人間の価値を重んじ、人間の自由を重要視する価値観が壊されてしまうかもしれない事態に、戸惑っています。それは西欧的な価値観に過ぎず普遍的ではなかったのだろうか、と考えもしました。
ですがやはり私は、人が人に管理され、思考や言論の自由を奪われコントロールされること、権力者の事実隠蔽などは、許せることではないという立場を選択するし、ここは曲げたくないと思っています。
本音を言えば、いずれ、中国で大きな反乱が起きればよいのに、と願っています。
最後に、私の敬愛する人々の言葉を貼って閉じます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?