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気が強く強引な人が嫌い。だけどなぜか好かれてた


小学生の頃、私の隣には
いつも気が強くてワガママな女の子がいた。


みんなの輪に入れず、引っ込み思案で
大人しく、自己主張をせず、争いもしない私は
彼女たちにとってはちょうどいい存在だった。


ワガママで強気なあの子たちが怖かったけど
集団の中で一人になるよりかはマシだった。


彼女たちに振り回されていたけど
そんなことより一人になるのが怖かった。


私なんかと友達になりたと思う人なんか
絶対にいるわけないと思ってたから
選ぶ権利は私にはないと思っていた。



ただただ来てくれる人を受け入れる
ことしかできなかった。


私は友達だとは思ってなかったけど
私のことを親友だと思ってた子もいて
本当に不思議でたまらなかった。


私は嫌われるのが怖くて、本音が出せず
いつも笑顔で誤魔化してきたからこそ
相手は勘違いをしたのだろう。


相手からしたら
いつも笑顔の優しい友人だったのだ。



NOと言わない私だったからこそ
彼女たちのお気に入りだったのだ。


大人になってもそんな人は現れた。



気が強くて上から目線の上司とか
強引で私の気持ちを考えない異性とか
私のため!と言って方向性を決める
コーチやセラピストとか


私は何度も何度もそんな人に捕まり
そしてとても気に入られた。


彼らの期待に応え続ける私を
相手が気にいるのは当然だった。


私は相手の期待に応えることで
自分の価値を見出してたのだから
いつも素晴らしい自分でいようとした。


だけど本当は彼らが苦手だったので
機会を見ては関係性を切ろうとしてきた。


いつも相手ばかりが正しくて
私は間違ってる気がしてしまうからだ。


私を支配しようとする人が人生で現れるのは
私が自分より他人を優先するからであり
NOと言わずに受け入れてきたからだ。


支配する人は「あなたのため」
という言葉をよく使う。


あなたが一人で可哀想だったから
才能があるからこの方向性がいい
売上伸ばすためにはこの講座がいい


いつも心がモヤッとしたけど
優しさで言ってくれてるんだと思って
感謝すべきなんだと思った。


でも、出来なかった。


私が私らしくいることができず
私をコントロールする彼らを
好きになることはできなかった。


そうやってこのパターンを繰り返し
ようやく原因が自分にあることに気づいた。


私が私の気持ちを大事にしないから
相手にいいようにされてきたのだ。


嫌なのにNOと言わず、嫌いなのに笑顔で接し
いつも感じよく、いい人で存在し続けた
私だからこそ相手が依存してきたのだ。


一人になるのが怖く、愛されないのが怖くて
私はずっと自分を偽ってきた。


偽りの自分で居続けるのには限界がある。



そのままの私でいいわけがない!と
自分のことを卑下して見下してきたのは
誰よりも私自身だったのだ。


勇気あるNOを言いはじめた時
私は怖くて怖くてたまらなかった。



だけど少しずつ楽になってきた。


ようやく自分の人生の手綱を
握ることができはじめたから。


ちなみに...



私自身も優しそうな人が大好きで
NOと言われないのをいいことに
相手の境界線を超えて干渉しはじめ
いつの間にか距離を取られてた事がある。


私は自分に自信がなく孤独だったので
周りの人に干渉し助ける事で
必要とされようとしてきたのだ。
 


あぁ… 私も同じだった… !
と愕然としたのは言うまでもない。


目の前の人は常に鏡になり
同じ恐れを持っていたのだ。


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