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夏送り

 あの悔しい悔しい日から一ヶ月。どう整理していいのかわからないままひと月。とにかく悔しくて悔しくて。勝てたのに。勝てたのにとどうしたってどうにもならないのに、その思いに取り憑かれた。わたしが試合したわけでもなくただ息子の野球なのに、こんなにもわたしの中で大きく影響を受けていた。なんとなくわかっていたけど、考えていたよりずっとずっとすごかったんだな。なかなかのモンスター級だ。
 試合を見た人が感動したよ、すごかったね、頑張ってたねと言ってくれた。たまたまテレビを見た古い友人がラインをくれた。その度に思ったのは、感動する試合じゃなくていい、いい試合なんかじゃなくていい、甲子園行きたかった。
 しばらくはずーっとぼんやりすごした。毎日呼吸してご飯作って食べて食器洗って寝てまた起きる。そんな生活。それで精一杯。涙は出なかった。負けて泣きはしないと決めていたから。五日ほど経って氏神さまは参拝した時に初めて涙が溢れてきた。泣いていいんだよって言われた気がして。
 たまにチームメイトの母と生きてる〜?って連絡取り合って悔しさを忘れてはいけないみたいにすごした。みんな一緒。ため息とともに過ごした。甲子園が始まっても見る気も起こらない。そこにいるのはうちの息子たちでよかったのに、って。きっと笑われるだろうし、あきれられる。でもわたしのまぎれもない2024年8月だ。
 この一ヶ月の間にやらなければいけないことや一泊旅行もした。息子の進路のことも動きがあったし、これまで手をつけられなかった家の片付けもやれた。そんなふうにすごしているうちに甲子園が終わった。ああ、やっと終わったなあ。少しホッとした。
 小学校五年生から始まった野球中心の生活も終わりを迎えた。息子の野球を見守るというより見張っていた時もあった。結果に過敏に反応しイライラすることは日常。心配と不安と怒りにまみれた8年間。正直、喜ぶ場面もたくさんあったけれども、素直に喜べずに常に次を気にしながら嬉しいよりもホッとする感じ。いつも安心できずに、ずっとずっと、もっともっとだった。夏の背番号をもらった一ヶ月が唯一次を考えずに応援できた。やっとチームを応援できた。こんなふうに息子と息子の仲間たちを応援したかったんだなあと気づいた。幸せな時間だった。そんな幸福なときをずっとすごしたかった。だからわたしはずーっと切り替えられなかったのかもしれないな。
 野球が育ててくれたわたし。いやなこと、辛いこと、苦しいこと、たくさんあった。ご褒美のような決勝までの時間を味わうための最高のキラキラ時間だったんだと思う。

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