技術の基本

技術というと、最先端のテクノロジーのようなイメージが強いが、果たしてそのような技術に注力することのメリットはどれほどあるのだろうか。

宇宙など、確かに最先端の技術は派手で、すごいことをしているという感じはあるのだろうが、それが実生活に及ぼす影響というのはすでにそれほど大きくなくなっている。たとえば、宇宙への技術が進んだところで、すぐに皆が宇宙に行けるわけでもないし、そこから得られるフィードバックが生活にもたらされる効果も、ないとは言わないが非常に限定的だろう。つまり、最先端の技術革新から得られる収穫はかなり逓減しており、その意味で、実生活に対する投資効果というのはかなり小さくなっている。もちろん、やらなければいつまで経っても進まない、ということはあるのだが、そうだとしてもそういった技術に対して、激しい競争で、日々の生活を犠牲にしてでもそれを実現してゆく、ということに多くの人々が携わる、というのは果たして意味のあることなのだろうか。

資本主義は、そのような大規模技術に資本を集中させ、人も資源も集約することでどんどん技術革新を加速してゆく。企業としての利益率はともかくとして、実際の生活に対するリターンがどんどん下がっている技術に対して、利益が出るから、という理由で資源を集約することは正当化しうるのだろうか。

本来的には、技術というのは、身近な問題を解決し、生活を快適にするために少しずつ積み上げられ、伝承されてきたものだ。それが、産業化と分業の進展に伴い、生活から離れた特化した技術を習得することを求められ、そしてそれは生活に結びつかないが故に潰しが効かず、技術という名でありながら組織に依存してしか生きてゆくことができない状態に人を追い込んでゆく。そしてその技術と、それに伴う組織での立場を守るために、生活を犠牲にしてでもそれに磨きをかけてゆくことを求められる。さらに全体の技術の方向性自体も、上に述べた通りどんどん生活へのリターンが少なくなっている。技術と言いながら、ほとんど自分の生活を向上させることにつながらないことに、人生の大半を費やさざるを得ない状況というのは果たして幸せなのだろうか。

産業化は、それが実生活を改善する局面においては非常に有益であったと言え、確かにそのような局面においては、どこの国であってもそれが経済成長と結びつき、高度成長の時期と重なったといえる。しかし、その局面が終わると、大規模設備は動かし続けないといけないことで却って負担となり、産業の存在自体が社会にとっての負担となる局面が、脱工業化の時期として、多くのいわゆる先進国が経験した。その後、片や上に書いたような最先端技術を競い、高度技術が生活からどんどん離れてゆき、片や身近なところではサービス産業化、特に金融や情報に向けて産業が展開することになったが、それらはサービスということで、顧客の資源、典型的には時間を奪い合うような競争となり、いかに人の時間に入り込むか、ということを競うようになっているといえる。それは考えようによっては非常に異様で、自分の時間を充実させるのではなく、いかに人の時間に入り込むか、ということを競うという、何のための努力なのかよくわからないことになっているといえる。つまり、産業化は一方で人の日常から大きく離れ、もう一方で他者の生活にどんどん入り込むことに進み、特に後者は人との関係性ということで、利益をめぐっての駆け引きが日常化するという非常に虚しいことになっているといえる。自分の生活を成り立たせるために、他者の時間、生活に入り込み、競争と駆け引きで利益を取り合う技術を磨くというのは何のための技術なのだろうか。こうして、技術は一方で日常とかけ離れたものになり、一方で関係性から利益を引き出すものとなり、どちらにしても直接自分の生活をよくすることには繋がっていない。

もはや、このような産業化の方向が人や社会を豊かにする局面は終わっているのではないだろうか。もっと自分の日常を大事にすること、家事、子育て、趣味と言ったことで技術を磨き、料理のレパートリーを増やすとか、子供のあやし方が上手くなるとか、その先に自分の好きなことで自分なりの技術を磨くとか、そう言った生活の延長線上の技術というものを大事にし、そしてそれらが社会全体で共有されることによって、社会全体の生活自体を向上させる技術革新のプロセスができるのではないか、という気がする。それは産業とか経済とかとは別のものであり、そのような経済的な定量化、生産性であるとか利益であるとか行ったものでは測れない、もっと本質的な豊かさをもたらすものではないかと思う。

産業ありきの社会ではなく、実生活での技術を重視し、必要な部分だけを産業化する、という形で、技術をできるだけ人に近いところに取り戻すべき時なのではないだろうか。派手な技術よりも、もっと生活に密着した実用的な技術が見直されると良いと思う。

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