本能と理性

人間の三大欲求として食欲、性欲、睡眠欲があると言われる。これらの欲求は、本能であるとも言えそうだが、本能と理性はどのように関わるのだろうか。

三大欲求の対象の違い

まずその三大欲求をみてみると、睡眠欲に関しては、単に寝るだけなので、全く個人でできることであると言える。食欲に関しては、食べること自体は個人的なことであると言えるが、完全な自給自足でない限り、食糧の調達は社会的行為となる。その調達対価はなんらかの形での労働から得たものになると言え、つまり食欲を満たすためには社会との関わりが必要となることになる。性欲に関しては、他者とのより深い信頼関係が必要となり、社会というよりも個人と個人との関わりであると言える。

欲求最接近の帰結

欲求に最接近してしまうと、他者との関係性は、性関係を持ちたいから異性に近づき、食糧のための対価が必要だから社会と関わる、という、非常に直接的な理由づけになってしまう。さらにそこに功利主義、とりわけ経済学的な功利主義が結びつくと、同性には金が必要だから近づき、異性には金が欲しいから、あるいは金を出しても性関係を持ちたいから近づく、ということになってしまう。

関係を築く二つの方法

それではあまりに殺伐とした世界であり、関係を築くハードルがあまりに高すぎるということで、ポジティブとネガティブの二つの解決法があると言える。ポジティブな方では承認欲求があり、他者に認めて欲しいから関係を求めるということで、自分を認めてもらうために自我を押し出して他者に近づくということになる。しかしながら、これはある種の押し付けであり、強制的に自我を他者に押し付けるということになりそう。一方でネガティブの方では自分の嫌という感覚を大事にし、その嫌の感覚から派生する、人との関わり方を考え、嫌な感覚に近づいたところでこういう理由でそれは嫌なのだ、ということを伝えてそこから相互作用を深めるという手法だ。これだけではわかりにくいので例を挙げると、あるスポーツが嫌な時、それとは別のスポーツの話題を持ち出して、そこから嫌なスポーツの話になったらそれはこういう理由で嫌いなんだ、としてそれへの共感か反発かという反応から生まれる相互作用から関係性を深めてゆく、というあり方だ。これは非常に直接的な例なので出発点としてはそれくらい受けの広い話が良いのだと思うが、その後も自分の嫌という感覚を常に大事にしながらその理由を探りつつ、その感覚が近づいてきた時にはきちんと説明できるようにする、ということで防衛ラインを定めながら少しづつ他者との信頼関係を深めてゆくという手法があるのかもしれない。

本能の理性による深掘りでの認識拡張

本能と理性の話に戻ると、本能というのは、欲求に基づき考えもなく行動できる衝動的とも言える作用であると言え、一方理性とは、その本能を少し引いて見てそれを嫌だという感覚で押し留める作用であると言えるのかもしれない。つまり、ポジティブの例で自分自身で押し付けではないかと感じるところがポジティブの理性ラインで、一方ネガティブの方は嫌だ、という感覚が起こったところがそのラインになるのではないだろうか。そして、理性は、そのどちらの感覚も説明できるものではないかといえ、本能的に嫌だ、という感覚に至る前の説明できる範囲での嫌というのが理性なのではないだろうか。それを一つ一つ細かく説明してゆくと、”本能的に嫌”の本能の具体的輪郭が次第に明らかになるのだと言えそう。そしてその明らかになった障害となる要素が取り除かれれば、”本能的に嫌”の範囲が少し狭くなってゆくのかもしれない。そしてそうなると、本能というのは実は認識に大きく依存しているのでは、ということが見えてくるのかもしれない。つまり、認識が切り替わるだけで、これまで嫌だと思っていたことがなんの苦もなくできるようになるのでは、ということだ。よく”一皮剥けた”というような表現がなされるが、それはこの認識変化に大きく依拠しているのではないだろうか。だから、理性の作用で嫌の理由を探ってゆくことで、認識の範囲が広がり、それによって自意識も拡張してゆくのではないかと考えられる。自意識の拡張は自我の強化であり、だから嫌の方から認識を深めてゆけば、ネガティブ方向での他者との関係性を深める要素が広がってゆくということになりそう。

理性によって制御する功利主義と本能

このように本能と理性の関係が整理できれば、他者との関わり方も、まずは承認欲求で自分が押し付けであると感じるまでの範囲内で承認を求め、そこから相互作用が生まれれば嫌の感覚を大事にしながら、そしてもちろん相手の嫌の感覚をもっと大事にしながら、相互の認識を深めてゆき、そこからお互いの納得、そして合意によって功利主義的、あるいは本能的行動に切り替わるという、理性主導の行動というものがもっと一般化するのではないだろうか。このように、関係性においては、功利主義や本能は理性によって制御される必要があるということが言えるのではないか。

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