生成AI

7月18日付2面「時時刻刻 記事抜き出すAI 見えぬ共存」
生成AIへの危機感が現れた特集記事。生成AI自体の影響と報道機関の対応についての両面から考えてみたい。

まずは生成AI自体の影響であるが、「『まとめ型』のほうが楽で、浸透は押しとどめられない。」とあるが、AIによるまとめで済むような情報ならば、検索が楽になったほうが利用者にとっても有意義であり、浸透が押しとどめられないというのもやむなき傾向であろうと思われる。プラットフォーマー側がどのようなビジネスプランでこの生成AI導入を図っているのかにもよるが、従来型のサイトへ誘導することで広告料を得るというモデルで考えると、実際のサイトを踏ませないというやり方にいったいどこまで身を入れて取り組むのかというのは気になるところ。

これには二つの方向感が考えられる。一つには、生成AIでは捉えきれないような高い質の記事を作るようモチベートする、というあり方だ。検索エンジンで検索をかけても、著名サイトのコピーばかりで、独自の記事がほとんど検索上位には上がってこないという状況がある中、生成AIによってコピーサイトを淘汰して、独自記事の閲覧可能性を高めるというのは、SEO対策に対応したプラットフォーマー側の戦略としては有効性が認められるかもしれない。

もう一つには、生成AIで引用した記事へのリンクをつけ、そこを踏ませるようにすることで、SEOにAIによる独自性判断を付け加えて検索の有用度と生成AIに採用されるような記事に報奨をつけるという考え方もあるかもしれない。いずれにしても、引用にリンクをつけるというのは、著作権的にも当然ありうる流れであり、それによって引用されやすいアブストラクトの部分で興味を惹き、本文に誘導する、という新たなSEOスタイルが出てくるのかもしれない。

このように、生成AIも、プラットフォーマーがビジネスベースで採用する限りにおいては、次の時代への何らかの潮流を作り出してゆく可能性が高く、その方向を注視する、ということが重要になるのではないか。

続いて報道機関の対応についてだが、まず取材コストについて言えば、すでに大手メディアの多くは記事を単純引用しにくい有料サイトに移しているのであり、むしろそれゆえに有料サイトに誘導しにくくなることへの危機感だと見ることができそうだ。個人的には、ニュース的な記事についてはむしろ無料で広く公開した上で、そこからの論説記事を有料にしてそこでプロの書き手の腕を見せつける、というあり方の方が、専門職としての報道機関には相応しいように感じるが、この記事からは、いかにプラットフォーマーから金を引き出すか、という方向しかみてとることができず、非常に残念。

次いで、地域社会の報道体制と生成AIがそこまで深い関連があるか、というのはちょっとわかりにくく、むしろ生成AIで調べても出てこない情報を取材することに意味があるのだ、という記者としてのベンチマークになるのではないか、という気もする。地域社会に限らず、生成AIでのまとめを見れば、真剣に取材をしていれば、その薄さというのを実感するものであろう。それを糧に、生成AI何するものぞ、と、より質の高い記事に挑戦するようになれば、生成AIも悪いことばかりではないかもしれない。

「ハルシネーション」についても出ているが、もし仮に生成AIがさまざまなサイトから情報を集め、プラットフォーマーの、典型的には政治的文脈に寄せた形でまとめを作るようになったら、報道機関としては、それは意に反する、という議論になるかもしれない。ここで問題となるのは、とりわけ日本の報道機関には、社としての哲学のようなものがかけているように感じられ、上記のようにプラットフォーマーが政治的文脈によせて生成AIを使うようになったら、政治的な空気を動かすことを使命のように感じているとも観察できる日本の報道機関との利害の直接的対立は避けられないのではないかとも感じられる。本来ならば、政治的文脈でまとめがなされたら、その立場の違いから議論になるべきところ、とりわけ前回書いたような経済政策について定見を持っているとは言い難い日本の報道機関では、政策論争よりも、誰が空気を動かしたのか、というような不毛な議論となってゆく公算が高そうで、ネットの議論自体が政局的になりそうな、非常に嫌な予感がする。

最後に、「共存できるかどうかは、AI検索の「質」にもかかわる可能性がある。」として、「引用元の上位10位のサイトのうち半数以上が報道機関のサイトだったという。」としている。これは、調査内容が今ひとつ分かりにくいので何とも言えないが、一つには、AI検索自体が未だ報道機関からの情報を優先的に扱うようアルゴリズムが組まれており、自ら文章の質を判断する能力が薄いという可能性がある。一方で、「約一千万のサイトを分析したところ」とあるので、サイトにおいてニュース分析をするのに報道機関からの情報を引用して議論するという当然のあり方を、報道機関の情報が質が高いのだ、というように一方的にミスリードしている可能性もある。私は今あえて朝日新聞の報道の偏りが気になって仕方がないのでこのように新聞からの引用で議論しているが、果たして日本の時事サイトで半数以上を報道機関の情報からの引用が占めるというほどに、報道機関は質の高い情報を提供しているだろうか?それよりも、公的機関の情報を引用したりする方が遥かに客観性の高い議論となるのではないだろうか?

この記事も、結局朝日新聞の我田引水の色合いがかなり強い、残念な記事であったと言わざるを得ない。

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