相対的戦略性がもたらす連動性

戦略という言葉には二種類がありそう。自分の目的合理性を追求する主体的戦略と、他者との相対性で有利な行動をとる相対的戦略だ。主体的戦略は、自らの価値実現のために合理的行動をとるという点で、少なくともその目的が排他的ではなくそして公開されていれば、価値を生み出す行動として有効だといえる。一方で、相対的戦略は、他者の行動への反応で自らが有利になるように行動する、という点で、主体的に価値を生み出す行動ではない。

主体的戦略は、要するに、自分で目標を立て、計画をし、それに従って行動する、ということで、その中で時として他者との関係性で計画・実行を行わなければならなくなることもあるのかもしれない。そのときに、分業、そして必要ならば契約という概念が出てくるわけで、それによって個人間での自発的な分業体制が出来上がる。契約とは、本来的に社会と行うものではなく、個人間でそれぞれの計画遂行を円滑に行うために結ばれるものなのだ。スキルとは、その契約を実施する能力であると言え、そのスキルの交換によって、分業による仕事の効率化、というものが行われる。それはあくまでも、個人の目標があり、その達成のためにスキル交換による効率化、というオプションもある、ということに過ぎない。

この主体的戦略をベースにすれば、ナッシュ均衡によって状況が変わらなければ戦略を変える必要がない、という状態の説明がつく。もちろん完全競争の状態で、常にスキル交換の需要が満たされるという状況も想定可能ではあるが、そこまでガチガチに均衡させなくても、個々人が複数の目標を立て、進むものから進めてゆく、という二次元では表しにくい複数均衡の状態だって十分に考えられる。競争しなくても、人は多様な目標を追求することで、多くの満足を得、そして多様な分業体制を他者との間で組むことが可能なのだ。それは、誰かに、何かに従属し、必死にしがみつかないといけないという筋のものではなく、自分のやりたいことを、やりたい順序で、もちろん他者との契約があればそれは確実に果たしてゆくという形で、自分のために合理的に目標を追求してゆくことができるし、それが市場を最も滑らかに機能させることにもなる。

一方で、相対的戦略は、他者の行動を見ながら自分の利益を極大化するようにその行動を決めるという、ゲーム理論的、駆け引きの世界だといえる。それに従えば、一対一では出し抜きが正当化され、そして大きな組織で有利な立場に立つことで相手に対してマウンティングを仕掛け、有利な条件を引き出す、というようなことが行われることになる。だから、よらば大樹で、勝ち馬に乗り、その中でなるべく良い位置に着けて自分の地位を有利にする、ということが戦略の中心的な在り方となる。そうなると、個別契約というよりも、社会があり、その社会的立場を相手に飲ませる、というような関係になり、だから自分が社会とどういう関係にあるのか、という社会契約的なもの、誰が見えないながらも自分のボスあるいはスポンサーなのかということが重要になり、常にその背後の意向を忖度しながら行動し、そこへの利益誘導によって自分の利益を最大限確保する、という手法が合理的となる。

そしてまた、その間をつなぐ鞘取り的な市場によって、その位置は常に評価にさらされ、つまり、相対的ポジションの奪い合いの完全競争が常に市場によって支配されることになる。市場に煽られて、完全競争に参加せざるを得ない状況であり、そこで相対的立場が下がれば、自分の条件がどんどん下がってゆくことになって、必死に競争せざるを得なくなるのだ。そして、その競争は、自分の目標を達成するため、というよりも、単に他者よりも相対的に良い位置につけるということだけを目指すようになり、どこまで行っても自分の満足は見つけられず、ひたすらに競争に勝ち続けるよう条件づけられて、走り続けることになる。

この完全競争下では、一つの目標を最大限合理的に追求し、競争し続けるということによって、平面的ナッシュ均衡が成立している状態であるといえるが、この場合、戦略を変える必要がない、という余裕のある状態ではなく、競争に敗れたら自らの戦略、追求目標を変えざるを得なくなる、という追い込まれた状態になる。つまり、自分が主体的に目標を追求するのではなく、目標を市場に吸い上げられ、それを必死になって追いかけ続けなければならない、という本末転倒の結果になるのだ。それは、社会にとっての目的合理性の部品として個々人が存在する、しかもそれは競争によっていつでも取り替え可能であるというディストピアになる。社会契約と完全競争の導く世界はそういうものになるのだ。

この相対的戦略の世界では、金融市場による鞘取り機能が作用するので、戦略変更がすぐに金融市場に反応してそれが他者の戦略変更を誘発するという、戦略連動性が起きることになり、それによって個々人の目的合理性よりも、利益率の高い行動への連動性ということの方が強く作用することになって、金融市場の動きが個々の目的合理性よりも優越することになる。金融市場、そしてそれに誘導された社会での”空気”は、このような相対的戦略の連動性によって起こるのだと言えそう。

これは、拡張して考えれば、気候変動的なものにも影響しているのではないか。人の活動が気候に影響する、というのは、このような空気感が、人だけでなく、直接環境にも作用するほどの効果を持つようになり、旱魃や大雨、猛暑や台風の巨大化と言ったことの頻発につながっているのではないか。だとすれば、その大きな要因は、ゲーム理論が支配する、特に金融市場であり、そしてそれが誘導する相対的戦略の合理化だといえるのではないか。

自己の充実のためにも、そしてもしかしたら気候変動を和らげるためにも、相対的戦略をやめ、一人一人が自分で目標を立て、その目標を達成するよう合理的に行動すべき時が来ているのではないか。そして、相対的戦略に誘導する金融市場のようなものはなるべく縮小するべきではないのか。個々の私的な人間関係の中でのものはともかくとして、仕事としての駆け引きやゲームのような無駄なことをなるべくやめ、それぞれの目標が合理的に達成されるよう行動すれば、分業と具体的なスキルの交換市場がうまく機能し、合理的な分業・協力関係が築かれるようになるだろう。そして、それによって私的な人間関係におけるちょっとした駆け引きやゲームも、もっと純粋に楽しめるようになるのではないか。

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