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広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(13)

為替制度改革

金本位制の成立から戦間期の金本位制放棄の様子を見てきたが、そこから為替についてもう少し考えてみて、今回もVisionary-Essayが仕上げられれば、と期待しながら書いてみたい。

金本位制の実態

現在の変動相場制から見ると、いかにも金本位制の時代が理想的であったかのような印象を受けるが、その実態はどのようなものだったのだろうか?

古典的金本位制

近代的な金本位制度が1973年のドイツ帝国による古典的金本位制の導入であったところから見た。これは、基本的に国家が金貨の鋳造を行い、その価値を安定させて、他の通貨との交換比率も金の純度に基づいて固定する、という仕組みで、通貨を跨いだ貿易もやりやすくする、というものだった。
これに影響を受けて、ラテン通貨同盟やスカンジナビア通貨同盟が古典的金本位制を導入し、それによって国際的な交易の条件が整ったと言える。
スカンジナビア通貨同盟を主導していたスウェーデンは、英国と並んで古くから兌換紙幣を用いていた。これは、記載された金額相当の金と交換できるという紙であり、紙幣というよりもむしろ金の引換証という色合いが強かったものだと言える。この紙幣は、スウェーデンにおいてはスカンジナビア通貨同盟による古典的金本位制の導入によって使われなくなった。
英国でも、かつてはどこの銀行でも自由に紙幣を発行できていたが、それが次第にイングランド銀行の独占となってゆき、1844年にはイングランドとウェールズでは他の銀行による紙幣の新規発行ができなくなり、紙幣発行銀行自体も次第に減っていった。最後の民間銀行による紙幣発行は1921年だったという。

本格的金本位制の日本

いずれにしても、英国以外では、ドイツによる古典的金本位制の導入の後は、ほぼ兌換紙幣は無くなった。アメリカではナショナルバンクによる紙幣発行がなされていたが、すでに書いた通り財務省債権を裏付けとしたもので、直接的に金との兌換が保証されていたものではなかった。例外は日本で、明治15(1882)年に日本銀行が設立されると、3年後の明治18(1885)年から銀兌換の日本銀行券が発行され、明治30(1897)年に貨幣法が成立し、金本位制が確立すると、金兌換券としての「日本銀行兌換券」に移行し、明治32(1899)年には、それまで発行された紙幣を整理し、この金兌換券に一本化した。つまり、第一次世界大戦以前で、金兌換の紙幣を発行していた本格的な金本位制をとっていたのは英国と日本だけだったということになる。この特殊性が、日本が金解禁できにくくなった大きな理由だと言えそうだ。

不換紙幣の発行開始

さて、第一次世界大戦が始まると、ヨーロッパでは戦費の捻出のために、金本位制から離脱の上で紙幣の発行を始めた。離脱というよりも、正確には紙幣の発行自体をしていなかったのを、不換紙幣の発行を始めたのだと言えるだろう。一方で、アメリカではようやく連邦準備制度が機能し始め、1913年になって連邦準備銀行の発行する金兌換の連邦銀行券が発行されるようになった。つまり、第一次世界大戦に先立って、ようやくアメリカで本格的金本位制が導入されたが、その翌年になって始まった第一次世界大戦によってヨーロッパで不換紙幣の発行が始まり、それによって古典的金本位制が行き詰まった、というのが、近代的金本位制の実態であり、世界中で本格的な金本位制が導入されていたのが戦争によってそれが停止された、というイメージとは随分違ったものだったのだ。あるいは、このアメリカによる本格的金本位制の導入によって、兌換紙幣を発行していなかったヨーロッパ諸国の経済の出遅れが目立つようになり、それで戦争に至らざるを得なくなったという側面もあるのかもしれない。金貨で遠く離れた海外との貿易決済を行うというのは不便極まりなく、貿易のためには兌換紙幣、もしくは中央清算システムが必須になり、それをめぐっての競り合いが世界大戦に至ったと言えるのかもしれない。日本が金兌換券を発行せざるを得なかったのは、西洋と地理的に隔絶していたために、貿易を行うために重い金を運ばなくて済むように、必然的にそうなったと言えるのかもしれない。

悪貨が良貨を駆逐した

いずれにしても、不換紙幣の発行というのは、当時の状況から考えて最善の選択肢だったとは思えず、それを率先して行ったドイツが戦後にハイパーインフレとなったのは、ある意味で必然だったと言えそう。また、日清・日露で日本に対して戦争を煽り、あるいはシーメンス事件のような事件を起こしてでも日本市場に食い込みたかったというのは、兌換紙幣を発行できていたという日本の信用度の高さゆえであると言えるだろう。その辺りを見誤ると、第一次大戦前の世界における日本の存在感というのは理解できないだろうし、そして戦後に国際連盟の常任理事国になったという重大な事実についての説明もうまくつかなくなるのだろう。

アメリカの金本位離脱

さて、そんな状況で、兌換紙幣を発行し始めたばかりのアメリカが、そこからわずか4年で金兌換を一時停止して輸出も停止し、金本位から離脱した。英国は、法的には金本位から離脱はしてはいなかったが、国民に金への交換を控えるよう、愛国心に訴えることで、事実上金本位を停止していた。そんな状況で、日本一国が金本位を維持するなどというのはどう見ても不可能なことで、アメリカの離脱の後を追うように日本も金の輸出を許可制西、事実上禁止した。これによって、国際的な貿易ネットワークのインフラは完全に破壊され、清算ができない貿易取引を行うということ自体が大きなリスクとなっていった。

アメリカの金本位復帰

アメリカは大戦が終わると1919年には金本位に復帰し、他の国も徐々に復帰していった。この風景から見ると、いくつかのことが腑に落ちるようになる。例えば、西原借款は実は中国と通貨統合を行う原資として行われたとの話もあるが、世界市場が閉鎖的になる中で、中国と通貨統合を行い市場を広げるというのは一つの案であったと言えるのかもしれない。それを狙い撃ちにして上海事変などが起きたという見方もできるのかもしれない。それは、文脈的にはその後の満洲国にもつながる話であり、この金本位制をめぐる混乱というのが、日本という国の運命を大きく左右したのだと言えるのかもしれない。その意味では、ブロック経済化というのは、この金本位からの離脱によって各国間での為替が成り立ちにくくなったという状況は無視し得ないのだろう。
そして、帝人の広島工場という話も、時期的に見れば、アメリカの金本位復帰を見て、ということになりそうで、それは、金本位に復帰してまた絹の輸出がアメリカを襲うと大変になるかもしれない、というアメリカ側の意図を汲んでの人絹製造、すなわち、石油はアメリカから買わないといけないわけであり、それによって貿易構造を逆転させるための工場開設だったかのしれない。そういった意味でこの時期の経済戦争は、もしかしたら現在よりも熾烈なものだったのかもしれない。

ジェノア会議での金本位体制再確認

高橋是清が金本位への復帰を渋ったのは、このような大きな経済構造の変化を見て、そして英国をはじめとして世界の主要国がまだ金本位復帰に踏み込んでいない中で、果たして火中の栗を拾うべきか、ということを考えたのかもしれない。そこには、もしかしたら銀本位や金銀複本位が選択肢として浮上するかもしれない、という読みがあったのかもしれない。だから、1922年のジェノア会議で金本位への復帰が決議されるまでは動きが取りにくい、ということはあったのだと考えられる。ただ、ジェノア会議には、日本も出席したのだが、原敬総理が暗殺された直後ということもあり、総理となった高橋是清が大蔵大臣も兼務し、本人が出席できる状況ではなかった。そこでもう少し主導権を握れていれば、銀本位の可能性を残すような交渉もできたのかもしれないと考えると、あまりに惜しいことをしたと考えざるを得ない。

輸出競争力と金解禁

とにかく、これで金本位制への復帰を目指すことが決まり、そうなると、輸出向けに最適化してきたが、人造絹糸ができた後の市場や輸出動向が読みきれない絹産業のバリューチェーンをどうするのか、という問題が発生したのかもしれない。震災後に問題となる震災手形とは、実はこの不安定化したバリューチェーンを支えていた相互金融のネットワークから生じたものだと言えるのかもしれない。
金解禁自体は、もしかしたら、日本が解禁すると再び輸出が強くなってグローバル経済を席巻する可能性がある、というおそれから、外国方面から復帰しないように、という圧力がかかっていた可能性もありそう。その後に世界恐慌が起きてから金解禁へ、というチグハグな政策からも、そのような可能性を視野に入れて検討すべきかもしれない。

その後の金本位体制

そのあとは、世界恐慌の余波で、各国は再び金の輸出を停止し金本位制は完全に息の根を止められて第二次世界大戦に突入、そしてその大戦の最中からブレトン・ウッズ会議が始まり、戦後の国際経済金融体制について日本抜きで話が進み、結局戦後はアメリカだけが名目上の金兌換を確保した金本位制がとられ、それがニクソンショックまで続くことになり、そしてニクソンショック後は変動相場制となって現在に至っている。
こうしてみると、金本位が機能していたのは、古典的金本位制がその導入から第一次世界大戦に至る40年程度、日本の本格金本位制は金本位の導入から第一次世界大戦途中までの20年、アメリカのそれは第一次世界大戦の中断をのぞいても20年足らず、そしてブレトン・ウッズ体制は25年余りと、金兌換による金本位制は20年程度の寿命しかなかったことがわかる。一方で英国のそれは、グローバル化が始まるまでは長きにわたって維持し得たわけで、グローバル経済を支える金本位制という考え方自体かなり無理があるのではないかと考えられる。

為替相場の役割

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