宮沢喜一日録
朝日新聞の経済音痴ぶりは、とりわけ90年代以降、バブル後の財政拡張、大蔵省改革、構造改革、財政支出組み換えと様々な局面で政府の経済政策に悪影響を振り撒いてきたが、その原点を示すかのような、宮沢喜一の日録が紹介されている。朝日新聞の経済感覚を追うのには格好の教材とも言えるので、これをみてみたい。
7月15日付では、『意気込んだ円高打開 挫折』として、プラザ合意後の宮沢喜一の行動を追っている。
「ブロック経済が先の大戦の一因となった反省から、戦後世界は自由貿易を推進してきた。」お題目はその通りだが、結局のところ、沖縄返還の時に「糸で縄を買った」と話題になった通り、実質的には世界中が唯一の兌換貨幣となったドルの下での単一ブロック化、そしてアメリカにとっての自由貿易が行われるようになっただけであり、このような表現は、朝日新聞が自由貿易というものを客観的に定義できないメクラっぷりを示して余りある。
「ベトナム戦争で国力が揺らぎ、」とあるが、実質的にはベトナム戦争を通じてアジアに強い軍事的ロジスティクスを確立し、とりわけフィリピンなどでは米軍のプレゼンス無くして経済社会が成り立ちがたくなるほどにアジアへの浸透が深まり、そして結局ニクソンショックによって日本の頭越しに中国と国交を回復することで、戦前のアジアにおける日本の影響圏をかなりの部分自国のものに置き換えたという点で、国内的な疲弊は別として、国際的にはこの戦争によってアメリカの海外展開が大きく可能になったという点は無視できないだろう。これは経済問題というよりも、歴史や安全保障に関わる問題であると言えるが、朝日的な通念に取り込まれると、視野が非常に限定的になるというリスクは十分に認識すべきであろう。
「巨額の貿易赤字を抱えるなか、」アメリカの貿易赤字はベトナム戦争による国力疲弊というよりも、レーガン政権による高金利ドル高路線であるというのはほぼ常識であるといえ、それは、ニクソンショックによるドル兌換停止以降も基軸通貨として全世界ドルブロック圏を維持するというとりわけ対共産圏向けのアメリカ通貨政策に起因するものだと分析できそう。朝日新聞はその頃、教科書問題で日本のアジア進出批判をすることで、アメリカのアジア進出既成事実化を補強する一方で、モスクワオリンピックなどを契機にソ連にも接近するという、一体どこの国の、誰のための報道機関なのだかよくわからないような行動をとっていたということは銘記すべきであろう。
「旗振り役だった米国で保護主義が台頭し、戦後の経済秩序が脅かされていた。」保護主義をどう定義するかの問題ではあるが、当時、というか80年代後半にアメリカのとった手法は、国内市場を守るというタイプの保護主義というよりも、とりわけ日本市場をターゲットにした海外市場こじ開けであるといえる。それが、朝日新聞が自由貿易というものをどう定義しているのかという問題にも繋がってくるのだが、アメリカ的グローバリゼーションの萌芽とも言えるこの現象を、果たして自由貿易であったのかどうか、という議論をまともにできないことが、現在にいたるTPPの議論に対してどう対応するのか、ということへのご都合主義的な態度に繋がっていると言えるのだろう。自由貿易の考え方は、自由というものをどう考えるか、ということに直結することであり、朝日新聞の少なくとも一部にはアメリカ型グローバリゼーション自由貿易を是認する立場があると思われ、それが朝日の攻撃的自由、自らの自由のためならば何をしても許されるのだ、という考えを補強し、支持しているのだと考えられそう。
さて、その後に「米やっと介入を決心」と記した宮沢のその後の言動を紹介し、加藤紘一氏のインタビューを引いて首相後継を目指すための政治的な動きだとしているが、宮沢のその前後の行動を考えるに、大蔵官僚出身であった宮沢は円高やアメリカからの内需拡大要求に応じて大型間接税を導入する、ということに、より強い意欲を燃やしていたのではないかと私は推測している。だから、円高阻止のための内需拡大、利下げを行ったのだろう。もし宮沢に多少でも経済感覚があったのならば、この事態が金本位制の崩壊から起きているのだ、という原因を分析した上で、内需拡大というよりも、エネルギーや食料の備蓄を本位資産とした新たな固定相場制、それはおそらくIMFのSDRを通貨バスケットではなく、食料・エネルギー備蓄に変えることで達成できたのではないかと考えられるが、そういった構想を持って、とりわけ冷戦終結後に首相になるという機会もあったのだから、そこで日本で行われたサミットにおいてその話を主導するという千載一遇のチャンスがあったのだろうが、所詮宮沢喜一という人物にはそのような器量を期待するだけ無駄だったということになるのだろう。
宮沢の熱意は、1987年(昭和62年)2月に売上税法案を国会に提出したが、それがうまくいかなかったことで完全に途絶えてしまったように見える。そして残されたのは、バブル、そしてその崩壊に伴う不良債権の山ということになる。
朝日新聞の記者であった船橋洋一は『通貨烈烈』という本を1988年に著したが、それは、いわば国際通貨マフィアによる管理通貨制度を是認する書であり、これによって通貨を武器にした国際金融市場における経済戦争の構図が固定し、それは製造業に一日の長があった日本経済の長期的凋落傾向をほぼ決定づけたものであったと言える。つまり、どれだけ生産性を改善しても、通貨政策一つでその利益は全部吹っ飛んでしまうといういわばギャンブル経済を是認したことになるからだ。朝日新聞の経済音痴がこれほどまでに如実に現れた例というのも大変興味深いことだ。
経済音痴、朝日新聞の後をついていったらろくなことにならないというのは、この30年強の歴史を見ても明らかなのだろう。朝日がもっともらしく語っている論説ほど誤謬に満ちている可能性があると考え、できる限り朝日とは逆張りの方向で自らの進路を定めて行けるよう心する必要があるのではないだろうか。
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