経済核反応としての金融商品

核反応は、核物質を臨界に達するようにして連鎖核分裂を引き起こすことで起きる。金融商品とは、それを経済において疑似的に再現したものだと言えるのかもしれない。

金融市場

すでに何度も書いているように、金融市場はケインズ的美人投票を数値化して具現化したようなものであると言える。もともと株式市場の観察からそのような表現に至ったのであろうから、その発展形である金融市場がさらに精緻にその具現化を行うようになっているのも、ある意味で必然であるといえる。
さて、この金融市場であるが、それぞれの金融商品としての基本的な性質は別として、金融市場全体を共通して動かすエンジンは、安く買って高く売る、という行動の集合体であるということができるだろう。そうなると、安い時に買って、そこにさまざまな情報を入れ込み、高くなるように誘導して、そして高くなりきったと感じたところで売るという行動が多くの市場参加者によってなされることになる。

情報濃縮

情報を入れ込むという部分は、いわば核物質を濃縮しているような状態であると言え、それによって情報密度を高めて臨界に達し易くしているのだと言えるのではないか。つまり、自然状態で存在する放射性物質を、その性質を整えるよう濃縮し、連鎖反応が起きやすくするゆくように、自然の価格で購入した商品を、さまざまなシナリオの中に織り込んでその性質が生きるようにし、それによって価格を調整するように仕向けてゆく、という行動をしているのだと言えそうだ。
これが、平和利用として発電に使われるためには、継続的な臨界状態となるようにシナリオを安定させ、継続的に利益が出るようにして、安い原価から高い配当を得られるようにして、利益率を高める、ということになる。

情報核爆発

一方で、市場を戦場のようなイメージで捉えると、急速に濃縮して臨界性を高め、一気に臨界に持ち込んで価格連鎖を起こし爆発させる、という、瞬間的臨界である核爆発のような現象があちこちで絶え間なく起こることになる。それはまさに情報戦争のようなものであり、濃縮による利益をいかに確保するのかの、売り抜けのタイミング、つまり核爆発を引き起こすボタンをめぐっての駆け引きが常に繰り広げられるという非常に危険な状態にあるのだと言えそうだ。

安全装置なき金融原子炉

そして、それは個別商品の集合体が全体の金融市場をなすという性質から、一つの爆発から連鎖的に臨界が発生し、あちこちで爆発が起きるという、核の暴走のような市場暴落の連鎖というものが起こり易くなっているのだとも言える。臨界に達した核物質が近接して存在し、相互の反応がトリガーとなるような状態になっていれば、そのような暴走はいつ起きてもおかしくないし、そしてそれ自体を利益の源泉とするような先物売りという、臨界点自体を操作するような取引すら存在して、臨界管理というよりも、暴走性を高めることで核反応を活性化させるというような危険極まりないことがなされている世界だとも言えそうだ。

金融市場の平和利用

このように、管理されているどころか、暴走を促進するような仕組みの元で運営されている金融市場を安全に、平和利用できるようにするにはどうしたら良いだろうか。

個別相対取引

まずは、基本的に金融市場を公開で行うということ自体に問題があると言えるのだろう。公開で行われる取引というのは、その名にもかかわらず相手もわからず、ただ価格だけで取引が行われるということであり、それは、誰が核物質を管理し、それを濃縮しているのかわからないままに行われる核管理のようなものであると言える。それが個別に秘密裏に行われるということ自体、核管理上においては非常に大きな問題を抱えていると言える。だから、金融商品の取引は、個別相対で行い、もし公開という概念を用いるのであれば、誰がどれだけ取引したのか、という履歴が公開されることが必要で、それによって誰が濃縮をしている可能性があるのか、ということを明確化する必要があるのではないだろうか。

安全の基準はどこに

個別相対の取引で必要とされる金融商品は非常に限定的で、融資や貯蓄、そして保険と言った一般向け商品、そして実需に基づいた為替や商品先物といった業務上必要最小限のリスクヘッジを業者と金融機関との間で個別に行うということに限られるのではないだろうか。株式については、個人のみが投資可能で、その取引明細が明示されるということであれば、平和利用の範囲として認められるのではないかと考えられるが、濃縮臨界技術を持つような業者の参加や、相互臨界のトリガーをもたらすような投資信託のような派生商品は、それ自体平和利用の範囲を逸脱して用いられるセキュリティホールとなるので、その危険性を考えれば、禁止されて然るべきではないかと感じる。

情報という核のゴミ

個人による株式投資にしても、情報という核のゴミが出ることは避けられず、それをどのように管理するのか、ということは、引き続き慎重に議論する必要があるのだろう。市場に直接的な影響力を持つような巨大な権力や独占的情報源のようなものはできる限り分割、細分化される必要があるだろう。大きな情報源から発生する核のゴミをいかに管理するのか、というのは、平和利用のためには欠かせないことであると言える。その意味で、大きな情報源が、建前としての公開されたような方針とは別に、隠れた特定のシナリオに沿った思惑的情報発信を行うという濃縮活動を行うことに関しては、厳しく監視の眼が向けられる必要があるだろう。

金融商品の安全性を確保し、それが平和的に利用されるように、更なる知恵が求められている。

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