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光のあるうちに光の中を歩く−写真文化と北海道

いつか旅行するときのために書いている。光のあるうちに光の中を歩き、写真にまつわる話を集めよう。まずは北海道から。カバー写真は、冬の晴れた早朝に見ると美しい美瑛町の「青い池」。

アイヌ民族の体温や息遣いを10年記録した『AINU』

第45回木村伊兵衛賞の有力候補、池田宏
北海道に関連する写真の話をするとなると、まず最初に取り上げるのは第45回木村伊兵衛賞にノミネートされたこの写真集。2019年にアイヌ新法が施行されたタイミングと出版が重なった『AINU』。写真家の池田宏(本人は北海道ではなく佐賀出身)がアイヌの血を引く人々を2008年から10年に渡り北海道で撮り続けた記録写真である。報道写真家が撮るような鋭い視線ではなく、向こうからも一瞥が返ってくるような長い親交が伺える写真だ。彼自身大学でスワヒリ語を学んだ経験からマイノリティに対する意識が芽生えたのではないかと推察する。

酒を酌み交わしながら馬鹿笑いし、時には仲違いすることもあった。いまでは「あのときこうだったよな」と笑い合える人たちがいる。
多くの出会いと別れに一喜一憂するばかりで、おまけのように写真があったような気がする。『AINU』あとがきより

北海道出身の写真家を3人挙げるとするならば

迷ったけれど「美しさ、話題性、(あまりスポットが当たらない)女性」という観点で岡田敦、吉田ルイ子、深瀬昌久の3人に絞った。

馬の楽園「ユルリ島」の危機を表明した岡田敦
まず、岡田敦はユルリ島と呼ばれる北海道根室半島沖に浮かぶ無人島に生息する野生馬を撮る写真家。その島はかつて「馬の楽園」といわれたが、その馬たちの住処が島を訪れる漁師の高齢化もあり終焉を迎えようとしていた。しかし、岡田の展示や講演で人々の関心が高まり、2017年に「根室・落石地区と幻の島ユルリを考える会」が設立されることとなる。(ちなみに岡田は2007年に『I am』で第33回 木村伊兵衛写真賞を受賞している。)

 北海道根室市昆布盛沖にあるユルリ島には、かつて昆布漁の労力として島に持ち込まれた馬の子孫が無人島となったいまでも生きている。ユルリ島は、周囲7.8km、面積168ha、海抜43m。台地状の島の海岸線の大部分は30~40mの絶壁をなし、岩礁で囲まれている。その切り立った断崖の上に昆布を引き上げるため、馬の力が必要だった。

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何この美しさ!ずるい。海からもたらされる湿気で鬱蒼とした島の様子が手を取るように感じられる。大気の変化を感じる写真は素敵だ。

1960年代のニューヨークを残した吉田ルイ子
次に吉田ルイ子。大学を卒業後、NHKの国際局を経て朝日放送でアナウンサーとして勤務したのち、フルブライト交換留学生として渡米。1960年代にコロンビア大学でフォト・ジャーナリズムを学び、大学で出会ったアメリカ人と結婚しハーレムに住み写真を撮りはじめた女性である。さらっと書いたけれど、1960年代のハーレムに住む日本人女性っておそらくこの方しかいなかっただろう。

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あるとき、彼女の母校である慶應大学の同窓会が、ニューヨークで開かれた。参加したのは、ほとんどが日本人のエリートビジネスマンである。パーティーがお開きになった後、彼らのうちの一人が、彼女を車で送ってくれることになった。「お宅はどちらですか?」と聞かれた吉田さんは素直に、「ハーレムです」と答える。何げなく言ったつもりだったが、その日本人男性の顔色がさっと変わったのを彼女は見逃さなかった。ハンドルを持つ手が小刻みに震えている。

最近はお年を召していらっしゃることもあり、精力的に活動をされていない印象だが、のちのち1960年代を撮った日本人女性が残した写真として史料価値が高まっていくことが予想される。

自身を見つめさらけ出すことに挑戦した深瀬昌久
最後に深瀬昌久。VICEの元ディレクターで、2020年現在オランダ在住のトモコスガさんが、深瀬昌久アーカイブス創設者兼ディレクターとして作品を世に広める活動をしている。以下のウェブサイトから過去の展示を確認することができるので関心のある方はチェックして欲しい。

2020年3月現在では、ロンドンのバービカンセンターで開催されている写真表現における男性性を振り返る「マスキュリニティーズ」展で深瀬昌久の作品が展示されている。

写真評論家の渡辺勉は「"私"を凝視しつづけ、"自身"への肉薄に"写真"を賭けている写真家であることだけはまちがいない。」と評し次のようなコメントを残している。なぜ、トモコスガさんが彼を追っているのか、渡辺勉の言葉を借りて理解したいと思う。

執拗なまでの"私"への肉薄であり、サディスティックとさえ思えるほどの自己告発のきびしさである。またそれがあればこそ技術もさえてきて、そこに深い意味が定着するのだろう。
『現代の写真と写真家 -インタビュー評論35人』渡辺勉,朝日ソノラマ
 そして、"私"を通じてみる日常というものが、平穏に見える表皮を一皮むいてゆくならば、そこにはひどくねっとりした陰湿な世界が顔を出す。しかも、そこは猟奇に満ち溢れ、かつ猥雑でもある。その上、狂気と犯罪の匂いさえ漂う空間でもあることを、この写真家の一見露悪趣味のように見える映像は、ある種のユーモアを交えながらたいへん面白くのぞかせてくる。
 彼はやはり日本でしか生まれない写真家だし、日本でも稀にしか見られない異色の存在である。
『現代の写真と写真家 -インタビュー評論35人』渡辺勉,朝日ソノラマ

少し長くなってきたが、最後に北海道で開催されている国際写真フェスティバルと写真集を扱う古書店を紹介したい。

写真の町で30年以上続く「東川町国際写真フォトフェスティバル」

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日本では非常に珍しく「写真の町」として1985年から現在に到るまで写真を軸に街づくりをしている東川町。記事の冒頭で紹介した「青い池」のある美瑛町の隣町である。東町国際写真フェスティバルの目玉である東川賞は(元々どうだったかは分からないが)推薦制で、国内作家賞にはある程度これまでの功績が認められた人が選ばれている印象がある。過去には、植田正治、今道子、奈良原一高、杉本博司、石内都、畠山直哉、森山泰昌、松江泰治、川内倫子、佐藤時啓などが受賞している。ちなみに、昨年の2019年は志賀理江子が国内作家賞、新人作家賞は片山真理が受賞している。

そもそも芸術好きの町長が「写真の町にしたい!」と宣言し、当初は特に写真の企業を誘致している訳でもないし、なぜ...?と住民から理解が得られなかったようだが、最近では撮る方も撮られる方も浸透してきているとか。高校生向けの写真甲子園まで開かれている。

ソフィアコッポラやタルコフスキー、ビル・ブラントなどの写真集を扱う札幌の古本屋

写真集専門の古本屋はさすがになかったが、写真集を多く扱っている古本屋を2つ見つけたので紹介したい。

海外の通な写真集も扱う古本トロニカ
まずはソフィアコッポラやタルコフスキーなど映画監督としての印象が強い人物の写真家としての一面をのぞかせてくれる写真集を扱っている古本トロニカ。こんな風に書いてしまったが、多くは大御所の写真家が多い。フランス人写真家のクリストフ・ボールガールなどなかなか検索しても引っかからないような名前の作家もかなり扱っているので店主の写真集愛が感じられる。

住所:〒060-0061 札幌市中央区南1条西13丁目317-2 三誠ビル2F
TEL:011-596-0909
MOBILE:080-3591-6160(広川)
メールアドレス:tronikabooks@ybb.ne.jp
営業時間:
月-金 12:00~19:00
土 12:00~17:00
日・祝日定休

アイヌにまつわる美術書から幻の写真季刊誌まで扱うビーバーブックス
札幌で美術書と写真集を扱っていることを売りにしている唯一の古書店ビーバーブックス。こちらは先ほど紹介したトロニカと違い、有名どころの写真集だけではなく写真評論や作家論を扱った本も置いている。驚いたのは1990年に飯沢耕太郎が創刊し、フォト・プラネット社が刊行、河出書房新社が販売していた季刊誌「deja-vu」を扱っていることだ。読んだことないから探してみたい。

住所:064-0917 札幌市中央区南17条西8丁目1-32サエキビル1F
TEL : 011-299-1811
メールアドレス : info@bvsbooks.com

ここの古本屋さんが、ビル・ブラントの写真集を扱っていたので最後に彼の言葉で締めさせてほしい。

写真はいまだ非常に新しいメディアであるから、あらゆることを試し、勇気を持って立ち向かわなければならない。写真にルールはない。スポーツではないのだ。重要なのは結果である、それがどんな過程を経ようとも。
−ビル・ブラント

ここに書ききれなかった北海道出身の写真家が2人いるので最後に記す。「手製の筏(いかだ)による日本海漂流」という謎のエピソードがプロフィールに載っているフォトジャーナリストの長倉洋海(エルサルバドル、アフガニスタンの写真を撮っていて第12回土門拳賞を受賞)。もう一人は、猫の写真家として有名な岩合光昭の父である岩合徳光。満州で報道写真家をしていたが、戦後に動物写真家に転じたことを知り、もう戦争の惨禍に目を向けたくないという強い気持ちがそうさせたのかしらと思案した。

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