「あなたはお母さんにとても大切にされたから、自分は偉いと勘違いしたんだね」を違う表現で。
タイトルの文言は
よくある一色先生の修正で出てくる言葉。
チャイルドが「自分が偉い」と思ったままだと
イマイチ沁みてこないのではないかな。
「だって、その通りでしょ」
と心の奥底で思っていそう。
なぜなーら
私がそういう自分を感じていたから。
この言葉を違う表現に変えてみた。
あなたは大切にされたけど
だからといって偉いわけではない。
これも一色先生の修正にも出てくる。
しかし、私の脳はこれすらもまだ弾き飛ばしていた感覚がある。
そこでもっと端的にしてみた。
大切にされた🟰偉い
ではない。
大切にされた≠偉い
可愛がられた≠偉い
それは別物。
自分じゃ何もできないくせに
偉いわけない。
辞書によると
偉いとは
[偉]
品行や経歴や才能が立派だ。すぐれた。
「カントより―哲学者」
[偉]
地位や身分が高い。
「―方のお越し」
赤ちゃんがこれに当てはまるか?
当てはまるわけがない。
ここまでやって初めて
小さな自分が「そっか」と思えた感じになった。
その小さな自分は
母が父を優先するのを面白くなく思っていた
ということも初めて自覚できた。
「あいつ、邪魔だな」
って思ってる。😱
父を優先する母は正しかったのだ。
しかし、小さな自分を優先しろと言う思いの強かった私は
自分が子育てするときに
母の口からそのチャイルドの言葉を聞くことになり
子育てが苦しくなっていく。
「子供を優先させなさい」
子育ての先輩の母からの言葉は
正しいと思うじゃないか。
まさかチャイルドの言葉だったなんて。
修正文は聞いて眠るだけで効果がある。
しかし、大人の自分がまずそれを理解していないと
時間がかかる。
聴いて寝ればいいんでしょ、
それで変わるんでしょ
と言う姿勢では変わらないのだ。
チームの監督が理解していないことを
部員は聞かないからだ。
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