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「ありがとう」は人を変える魔法の言葉

今日は、義母の月一回の診察日だった。
近くのかかりつけ医院へ。義母は足が悪いので私が車で送迎し、院内でも私が付き添っている。
なんたって御年94歳だもの。今年の誕生日がくれば満95歳だ。
超高齢者だけど頭はしっかりしていて、私より記憶力がいいくらいだ。身体の方は足腰が弱ってきて、今は家の中でも手押し車を使って移動している。しかし(補助具を使っていても)自力歩行はできるし、トイレや着替えも一人でできるし、身辺のことも一応は一通り一人でできている。ただし、腕力や脚力がかなり衰えているため、たとえば掃除や料理や作業的なことは、私と夫で協力してやってあげるようにしている。


以前の義母は、「わたしがやってあげたのよ」感を誇示するところがあり、家の中を全て自分の思うとおりに仕切りたがる人だった。それで私も夫もすごく苦労してきた。何をしても感謝されるどころか「できて当たり前」で、逆にダメ出しされることが多く、何度も心が折れそうになった。
しかし、家庭内で絶対的な権力を持っていた義母も、身体の老化が進むにつれて「わたしがやってあげているのよ」感を出せなくなり、我が家のパワーバランスが(いい意味で)崩壊。今は立場が逆転し、私と夫が義母の世話をしている。すると、威張れなくなった反面、今は何かと「ありがとう、ありがとう」と感謝の言葉をかけてくれるようになった。

まさか、あの義母から「ありがとう」を言われるようにとは。実の息子の夫も、初めて義母から「ありがとう」と言われた時は耳を疑ったという。息子の夫が驚いたくらいだもの。私も驚いたけど、きっと義母なりに何を変えたくて勇気を出して一歩を踏み出してみたのだろう。

しかし、穏やかな表情で何度も「ありがとう」を言われると、菩薩みたいで「もしかしてお浄土に逝っちゃう日が近づいているのかしら」と心配になる。

いやはや、人って変わるものなんだなぁ。

そういえば以前、私が教師をしていた頃、大先輩にあたるベテラン先生が、よくこんなことを言っていた。

「人間は死ぬまで成長し続ける生き物なんだよ」

そう語っていたこの先生は、「いくつになっても成長する自分であり続けたい」と仰っていて、それを実践していた。70代になられた今は、地域の役職に就いていて、私は時々会議などでお会いするのだけど、先生は当時と変わらず、常に人の話に耳を傾け、オープンな心で人と接し、誠実さと明るさと感謝を忘れず、体験を通して自分を成長させたいという意識を持ち続けている。こんな感じで爽やかに歳を取りたいなぁ…と、いつも思う。

義母の話に戻すと、人が成長するのに必要なものは「感謝の心」じゃないかと思う。素直に「ありがとう」と口に出して言ってくれるようになって以降、義母の雰囲気ががらりと変わり、表情も態度も穏やで温かくなった。感謝の心がベースにあると、人はみるみる変化し成長していくのだ。義母の姿を通して「年齢なんて関係ない。人はいくつになっても、どんな状況の中であっても成長する可能性を秘めているのだ」ということを実感する。

さて、今日の義母の付き添いが終わり、自宅で義母を車から降ろして家に入れて、お薬とかいろいろ渡したとき、義母が私に
「今日はありがとう」
と言ってくれた。いつものことだけど、義母から御礼を言われると、ホッとして嬉しくなる。

いえいえ、こちらこそありがとう。
いつも「ありがとう」と言ってくれてありがとう。

たった五字のささやかな言葉なのに、人の心に深く染み入る言葉。
今日も聞けてよかった。

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