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婆ちゃんの第二回ワクチン集団接種を終えて感じたこと

先月、義母(91歳)の二回目のワクチン接種を無事に終えました。

一回目の接種では、お陰様で、義母は針を打った瞬間の痛みを全く感じず、何やらお喋りしているうちに全てが終わってしまった感じで、義母自身が「えっ?私の注射はもう終わったんですか?」と驚くほどでした。

その後も、腕が腫れたり、痛くなったり、熱が出る…なんてことも一切なく「よかった、よかった」と胸をなでおろしたのです。

しかし、その後、全国各地で二回目の接種が始まるタイミングに合わせて粛々と流されていたテレビ情報(←「接種2回目では、一回目が大丈夫だった人でも、副作用がかなりきつく出る」という話)を、毎日視聴し続けていた義母は、テレビの話を心底信じ切ってしまい、「私も次の接種では地獄を見るかもしれない」と恐怖に引きつっていました。

そこで、かかりつけ医での定期診察の時に、義母は先生に不安な胸の内を打ち明け、「お守り」に熱さましの頓服を出していただいたのでした。

ここまでが前回までのお話です。

◇◇◇

いよいよ明後日が義母の第二回目の接種…という日、私は義母の問診票に必要事項を記入し、残りの箇所(当日の体温や体の状態、本人の直筆サイン)は義母自身に書いてもらうよう、前もって渡しました。

その時、義母は、問診票を見てギョッとした表情になり、どんどん顔が強張っていきます。

かかりつけ医の先生からは、「副作用は若い人に出やすいみたいですが、高齢のお年寄りは大丈夫ですよ。だから心配しないで受けてくださいね」と懇切丁寧に言われていたにも関わらず、義母はまだ怖いみたいでした。

まぁ、気持ちが分からないでもないけど…。

でも、もう良い歳なんだから(←スミマセン💦嫁の愚痴です)、いつまでも持て余し気味な自分のネガティブ感情を辺り構わず吐露して、自分のメンタルケアを私たちに押し付けないでね…。

接種を受けるのは、義母。私ではない。

「接種を受ける」という経験に付随して湧き出てくる様々なマイナス感情も全部ひっくるめて、義母自身が実際に体験して乗り越えなくてはいけないことなんだから…ね。

緊張のせいか、義母は「前にも書いて出したのに(←1回目接種のこと)、どうしてまた問診票が要るのか!?」「お薬手帳がまた要るのか!」等々、訳の変わらないことを叫んでいましたが(←多分、怖くて興奮している…汗)、同調も同情もしないで「当日の朝に、こことここを書いておいてくださいね」とさらりと伝えて、持ち物のことも繰り返し説明し、問診票を義母のところに置いてきました。

この年代(80~90代)の女性たちは、社会が求めるままに主婦となり、家に籠って家事と育児と家族の世話を愚直にしてきた世代です。

そのせいか、常識的なことを的確にこなして継続するのは得意で強いんだけど、レールから外れた「新しい体験」や「ちょっとした変化」に遭遇すると、どう対処すればいいのか?どう乗り越えればいいか?さっぱり分からなくて焦っちゃうんですよね。
で、うまく対応できない自分を「恥」と感じて隠そうとする…。

これって要は、家の外での体験(社会体験)が不足しているせいだと思うのです。

だから、自分がちょっと社会に触れたり、新しいことや未知のことに出会うと、どう対応していいか分からず不安になり、周囲の反応を見て「人がこうしていたから、自分もこうする」という形で落とし前をつけようとするんですよね~。

みんながやっていることを自分も選んでやることで、安心するのでしょう。

でも、今回のワクチン接種の場合は、「みんなが選んでいること(接種)には、どうも重大なリスクがあるらしい…」ということをテレビ情報で知り、すごい葛藤とストレスを抱えているようです。

つまり、

みんなが選んでいること=安心・安定・安全

ではない。

そんな事実(←箱入り嫁状態だった義母には、生まれて初めて出会った新しい観念)を、ここで初めて突き付けられている…。誰にも頼れず、誰のせいにもできず。自分が受けてたたなくてはいけない恐怖と不安にむき合っている…。
そんな感じなんだろうなぁと思います。


今回のコロナ禍は、「みんなと同じが善」という価値観のお年寄りのもとにもダイレクトに押し寄せ、「新しい経験」の風をビュンビュン吹かせています。今まで「当たり前」だったことが「当たり前」でなくなり、常に臨機応変の対応を求められ、自分も変化に適応しなくてはいけません。このワクチン接種も然り。

だから、今回の義母のワクチン接種にまつわる苦悩と葛藤は、(義母本人には苦しくて辛いことかもしれないけど)、私は彼女にとっては新しいチャレンジであり、非常に素晴らしい人生経験になった…と感じるのです。

◇◇◇

テレビを見ながらコロナ対策について文句ばかり言っていたお年寄りも、ワクチン接種が始まった時点で、皆さん全員が「当事者」になりました。国内では他の世代を差し置いて、最前線&最先端でのワクチン体験です。

そして、今までは「自分には関係ない」と他人事にしていた人たちも、こうして当事者になって初めて「自分のこと」と受けとめざるを得なくなりました。接種について「自分はどうするのか?受ける?受けない?」の選択も含めて、自己判断&自己決定&実行しなくてはいけなくなったのです。

しかし、いざ予約して行動しなきゃいけない段階になったら、とたんに「私にはできない」「こんなことは無理」等々。

更に、「怖い」「不安だ」「心配だ」…云々。

いざ自分が打つ立場になったら、急にいろんな感情があふれ出てきて、それを誰かのせいにして擦り付け、誰かを責めることで自分の不安を解消しようとする人もいます。

あるいは、何か万が一のことがあった場合は「誰が責任を取るのか!」と大騒ぎしたり…。

でもね、あれほど「自己責任論」をかましていたお年寄りたちが、副作用が怖いと感じ始めたら、とたんに恐怖におびえ、「何かあったとき、誰が責任を取ってくれるのか?」と詰め寄り、大騒ぎしている姿を見ていると、結局、みんな「自分の人生に対して、自分が責任をもつ」ことができないんだなぁ…と、そんなことも感じてしまうのです。

「打つ」と自分で決めたんでしょう?

ならば、潔く、きっぱりと腹をくくる。

それができずに大騒ぎするのって、なんだか往生際が悪くてカッコ悪いよね。

…と、そんなことを思うのです。また、

長く生きてきたのなら、長く生きてきた者にしか醸し出せない「気骨ある姿勢」を見せてほしい…。

こんな風に年を重ねたい…と若い世代が憧れを持つような、「老練されたカッコよさ」を見せてほしい…。

…と切に願うのです。

こういう時にこそ、その人の本当の姿が滲み出てくるから、ある意味怖いですね…。平生往生とはまさにこれです。

そして当日。

義母の2回目の接種は、私ではなく、夫に付き添ってもらいました。

この日は私に他の用事があったということもあるけど、何より、夫にも「親の集団接種に付き添う」という体験を分かち合っておきたいなぁ…と思ったからです。この体験を私が独り占めしたんじゃ、勿体ないですもんね。

車で会場へと向かう二人を、そっと見送ります。

そして一時間後…。

二人は帰ってきました。

早かったねぇ~と夫に声をかけると、人の流れがスムーズで手際もよく、予想より早く終わったとのこと。

なんと、今回は、細かいところまで配慮が行き届いていて、会場内の移動も楽だったし、接種自体もとてもスムーズだったそうです。

義母のそばにいた夫の話では、針を刺して注射した時、前回同様、義母は全然痛くなかったそうです。

更に、心配していた接種後の副作用も、打った後に腕が一日ほど痛かった程度で、腫れたり発熱することもなく、大丈夫でした。

本人も「こんなにあっけなく終わるとは…」とビックリ。

こうして義母の二回目の接種は無事に終わったのでした。

あぁ、良かった。これで一安心です。

◇◇

しかし、後日談。

今回の経験で自信をつけた義母は、私に

「もうすぐ64歳以下の接種も始まるそうだから、あなた宛てに郵便で(予約の)封筒が送られてくるから、ちゃんと気を付けておきなさいね!」

「封筒が来たら、その辺に放っていないで、すぐに封を開けて中身を確認しなさいよ!」

「早めに、封筒が来たその日のうちに予約しないとダメだからね!」

…と指南しまくりです(汗)。

あのぉ~、義母宛の封筒を開いて中身をチェックして、オンラインで予約を取ってあげたのは「私」なんですけど…。

予約時にあんなに怖がり、「大丈夫かな?ちゃんと予約が取れるかな?」と不安な気持ちで私にすがりついていた義母。
自分の接種なのに「私では不安だから、あなたに全部やってほしい」と、最初から手続きの全てを私に丸投げしていたというのに、何とまあ…。

義母の予約も書類の管理も問診票の記入も、私が全部やってあげたことをケロッと忘れてしまっているようです。(おいおい…汗)。

さすが、転んでもただでは起きない…昭和一桁世代(-_-;)。
最後に素晴らしいオチをありがとう(白目)…と言いたい気分でした(笑)。

以上が、義母の「ワクチン接種」体験記です。

このまま何事もなく2週間が経ち、無事に抗体ができることを心から祈っています。

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